「デモ・シカ」教師の再来と言えるのか?
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教育論
【教員採用試験のバイブル】
数十年も前になるのでしょうか。
「デモ・シカ」教師という言葉が流行りました。
「デモ・シカ」教師とは,
教師にでもなろうか。
教師にしかなれない。
という教師志望者を指した言葉でした。
教師にでもなろうかとは,特に決めた就職希望先もなく,就職活動をするのも大変なので,教員免許を大学で単位取得で取り,教員採用試験を受けて合格すればなれる,教師にでもなろう!という意味でした。
教師にしかなれないとは,教育学部や教育大学で学び,教育のことはそれなりに詳しいけれど,一般企業に就職するノウハウや能力を持っていなくて,教員免許しか持っていないので,教員以外に就職の選択肢がない!という意味でした。
数十年も前のことですが,「デモ・シカ」教師にだけはなるな!というような言説で使われていた言葉でした。
ところが,21世紀,しかも,令和という新しい時代になった今,再び,「デモ・シカ」教師が闊歩し始めたのではないかと危惧しています。
学校の教育現場のブラック化が進み,「デモ・シカ」教師と呼ばれていた数十年前と比べれば,教師の仕事は,何倍にも増えています。
学校の教育現場のブラック化が進んだだけではなく,近年,それが,マスコミやソーシャルメディアで大きく取り上げられ,教師という職業を忌避する人も増え始めました。
教員採用試験の競争倍率は,特に,小学校教諭において,低下が続いています。
自治体によっては,実質,1倍,つまりは,「全入」を危惧される場所もあります。
そして,もう一つ,数十年前と比べて,大きな変化が日本社会を覆いつくしています。
それは,終身雇用制が崩壊し,労働者人口の大きな割合が,非正規となってしまっていることです。
もちろん,学校教育の世界も例外ではありません。
日本で初めて,子供の世代が親の世代より収入が少なく,子供の世代が親の世代より学歴が低いという状況が進行しています。
収入の格差も大きく広がり,正採用(正社員)と非正規の収入の差は,民間企業を中心に,倍以上に広がる場合も多くなりました。
数十年前は,「当たり前」だった正採用(正社員)が,今では,あたかも「特権階級」のようになり,臨時の職でしかなかった非正規の雇用者が,今では,「普通」の労働者階級となりました。
このような時代に,かなり簡単な試験で,正採用となり,公務員給与をもらえる教育公務員は,多くの転職志望者にとって魅力的な職業となったことは確かです。
一般の公務員試験に比べて,教員採用試験の難易度のレベルは,あまりにも簡単です。
公務員試験の難易度のレベルが大学入試以上であるのに比較して,教員採用試験の難易度のレベルは高校入試程度と言ってもいいでしょう。
確かに,中高の専門教養の場合は,大学入試レベル以上かもしれませんが,自分が専門とする1教科だけなので,複数教科を課される大学入試に比べれば,比較にならないくらい容易だと言えます。
残念なことに,現在の日本の教員採用試験のレベルは,日本の公務員試験で,最低の難易度レベルとなっています。
ちょっとした穴埋めや,一問一答的な出題,暗記さえすれば何とかなる問題であふれかえっています。
これは,受験者のレベル低下だけではなく,出題側のレベル低下を顕著に現わしています。
こういった状況の中,「教員ならなれそう!」と考える人も多くなってきました。
商機に長けた大学は,通信制の教員免許の取得を大々的に宣伝してきました。
日本の教員免許制度は,単位を取得していくだけですから(教育実習も単位取得のためです),ちょっと時間をかければ,基本的には誰でも取得できます。
多くの人が教員免許を取得したので,教員採用試験の競争倍率が飛躍的に高くなるかというと,そうではありません。
能力がある人は,教育公務員という職業を回避するようになったからです。
そのかわり,民間企業で転職を繰り返したような人が,教育公務員を目指すようになりました。
閉鎖的な日本の雇用慣習によって,短期間で転職を繰り返したような人は,民間の企業で再就職することが困難になります。(特に大企業などでは。)
また,まだまだ,日本の民間企業では,学歴社会ですから,有名大学出身でなければ,民間企業で重用される機会は,そんなに多くはありません。
教員採用試験は,まがりなりにも,公務員試験ですから,建前上,転職を繰り返したような人でも,成績次第では合格が可能です。
また,教員採用試験では,出身大学が合格・不合格の決定的ファクターになることは,ほとんどありません。
このようにして,教員採用試験は,日本で,最も合格しやすい「公務員試験」となりました。
もちろん,ここで,言及しておかなければならないことがあります。
それは,本気で教師を目指し,本当に教育に情熱を持っている人も少なからずいるということです。
子供の頃から,教師を目指し,教育学部や教育大学,教職課程を持つ大学に進学し,子供たちのための教育に一生を捧げようとしている人も多くいます。
しかし,団塊の世代の大量定年退職に伴う,教員採用数の増大と,教採での競争倍率の低下により,本来,教師など目指していなかった人が,安易な転職先として,教師を目指しているのも事実です。
「教師にでもなろうか」という人が,日本の歴史上,最も多い時代は,現在であるということは,疑う余地がありません。
そして,「教師にしかなれない」,つまりは,教師を一生の仕事とし,教師以外になるつもりはないという人の数は,相対的には減少しています。
数十年前は,比較的,侮蔑的に使われていた「教師にしかなれない」人は,現在では,皮肉なことに,かなり望ましい人材となっていることも事実です。
教師を本気で目指し,教育以外の職業に興味がないという人ですから,教師としての情熱はそれなりにあるわけですから。
本来であれば,民間企業から教師を目指すということは,歓迎されるべきことです。
優秀な人材が民間企業から,教職に転職することは,学校教育に多様性を与え,有能な人材による教育に繋がります。
現在でも,こういう転職はありますが,全体としては,必ずしも多くはありません。
民間企業からの転職の現在のトレンドは,民間企業で転職を繰り返し,もはや,一流どころの民間企業での就職可能性がなくなったので,公務員職である教員に活を求めるというものです。
こうした人が不適であると言うつもりはありません。
ただ,こういう人の教採での合格可能性は,面接を中心とする2次試験(3次試験)で,かなり低位に水しているというのが現状です。
数十年前は,教師志望者を揶揄する言葉であった,「デモ・シカ」教師も,令和の時代には,侮蔑的な揶揄の言葉ではなくなったようです。
「教師にでもなろうか」は,教師志望者のかなりの割合を占めるようになったように見受けられます。
「教師にしかなれない」は,もはや侮蔑的な揶揄の言葉ではなく,かなり貴重で,ありがたい存在になっているのではないでしょうか?
今日のブログ記事のタイトルは,<「デモ・シカ」教師の再来と言えるのか?>ですが,このタイトルに込めた思いは,
21世紀の令和の時代の教師志望者の多くは,「デモ・シカ」教師と言えるかもしれない。
「教師にでもなろうか」という教師志望者は,近年,その割合を増しているようだ。
「教師にしかなれない」という教師志望者は,近年,貴重で優れた人材を構成している可能性が高い。
ということです。
これからの時代の教員採用がどういう推移をしていくのか,かなり見ものではないかと考えています。
では,また明日!!
河野正夫