一番,自分が知っている。そっと自分に聞いてごらんよ!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教育論
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今日のブログ記事のテーマは,
一番,自分が知っている。そっと自分に聞いてごらんよ!
です。
人間という生き物は,弱いものです。
生き物として弱いというよりは,心が弱いと言うべきかもしれません。
私たちは,毎日,何か,言い訳をして生きています。
私たちは,毎日,何か,自分の心をごまかして,こじつけて,生きています。
教育心理を勉強した人は,「防衛機制」という言葉を知っているでしょう。
例えば,有名大学に受験で失敗した人が,「有名大学に行っても,何にもならない!」と考えるのは,「合理化」と呼ばれるのでしたね。
その他にも,たくさん,「防衛機制」の種類はあります。
私たちは,時に,自分の心を慰め,自分の心をごまかしながら,それなりに,快適に生きています。
そのこと自体は,決して,悪いことではありません。
苦しみながら,心を病みながら,生きるよりも,時には,バサッと心を割り切って,たまには,心にウソをついて,楽しく生きることも,人生の知恵なのかもしれません。
それは,十分に認めた上で,あらためて,考えてみたいことがあります。
私たちは,自分の本当の能力を,かなりの精度で知っています。
例えば,教師を目指している人がいるとします。
その人は,自分の能力を,かなり正確に知っているでしょう。
確かに,隠された能力とか,潜在的能力というものもないではないですが,それでも,現時点での自分の能力は,それなりにわかっているでしょう。
そもそも,自分は,自分の専門教科について,精通しているのか?
自分の専門教科についての自分の知識・教養・見識のレベルで,本当に,教師が務まるのか?
自分の教師への志望動機が,本当に,子供にとって,メリットがあるのか?
自分の人間としての資質・適性・能力が,本当に,教師に向いているのか?
そもそも,自分という人間は,子供を教えるに値する何かを持っているのか?
そもそも,自分という人間は,子供たちの前で,人の前で,わかりやすく話をして,教えることができるのか?
これらの問いについて,教師を目指す人は,それなりの本当の,正直な答えを心の中に持っているはずです。
時に,その正直な答えは,自分の心を苦しめることでしょう。
時に,その正直な答えは,自分の心を悩ませることでしょう。
だから,時に,自分の心に言い訳をします。
だから,時に,自分の心をごまかします。
心理学でいう,「防衛機制」に走ってしまうこともあります。
それが,特に悪いことだとは言いません。
それが人間です。
「人間だもの。」というやつですね。
でも,いくらごまかしても,ごまかすだけでは,自分の心は晴れません。
いくら,「防衛機制」をして,その瞬間の自分の心は繕ったとしても,本当の自分の心の不安や悩みが消えることはありません。
もう一度,上に書いた,質問を,自問自答してみてください。
そもそも,自分は,自分の専門教科について,精通しているのか?
自分の専門教科についての自分の知識・教養・見識のレベルで,本当に,教師が務まるのか?
自分の教師への志望動機が,本当に,子供にとって,メリットがあるのか?
自分の人間としての資質・適性・能力が,本当に,教師に向いているのか?
そもそも,自分という人間は,子供を教えるに値する何かを持っているのか?
そもそも,自分という人間は,子供たちの前で,人の前で,わかりやすく話をして,教えることができるのか?
本当の答えを知っているのは,自分だけです。
そして,その本当の答で,悩んでいることを知っているのも,自分だけです。
その悩みは,不安となり,特に,苦しみとなることもあります。
でも,その不安と苦しみを糧にして,一歩踏み出すことができる人が,成長する人だと,私(河野)は考えています。
やや違うコンテクストですが,ソクラテスは,「無知の知」を問いかけました。
自分は知っているようで,実は,何も知らない。
この自覚が,より善く生きるための出発点だというのが,ソクラテスの主張です。
今,自分の心に,自問自答して,自分が不安に思うこと,自分が欠けていると思うこと,まず,そこに向き合って,そこを改善していくことを始める必要があります。
教員採用試験の本番を直前にした今,多くの教採受験者が,心の中で,不安を感じて,心の中で,悩んでいることと思います。
あえて,繰り返します。
そもそも,自分は,自分の専門教科について,精通しているのか?
自分の専門教科についての自分の知識・教養・見識のレベルで,本当に,教師が務まるのか?
自分の教師への志望動機が,本当に,子供にとって,メリットがあるのか?
自分の人間としての資質・適性・能力が,本当に,教師に向いているのか?
そもそも,自分という人間は,子供を教えるに値する何かを持っているのか?
そもそも,自分という人間は,子供たちの前で,人の前で,わかりやすく話をして,教えることができるのか?
強烈な不安です。
強烈な悩みです。
この不安を,一夜にして,払拭することはできません。
でも,この不安を出発点にして,一つ一つ,改善の方向へ持っていくことはできます。
そして,その改善の方向へのロードマップを自覚し,それを語ることは,教員採用試験での合格に直結します。
不安や悩みは,誰にでもあります。
でも,不安や悩みを出発点にして,成長につなげ,成功につなげ,教員採用試験であれば,合格につなげる方法は,必ずあります。
私(河野)は,このことを,16年間以上,支援してきました。
これからも,続けていきます。
ふと,そんなことを思った,梅雨入りの雨の日でした。
では,また次回!!
河野正夫