現状にうんざりしながらも,現状を変えて,望ましい未来を創りましょう!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教育論

【レトリカ教採学院】ブログDE教採
私たちは,現状に不満を持つことが多いですよね,
仕事においても,人間関係においても,いろいろと不満はあります。
特に,日本の場合,合理性では割り切れないことが多く,毎日がフラストレーションということもよくあります。
もちろん,楽しいこと,嬉しいこと,幸せなこともあります。
でも,やはり,日本の場合,もしかすると,教育関係の仕事に就いている場合には(笑),特に,現状への不満は,相当に大きいものがあるようです。
例えば,日本の職場では,
1分遅刻しても,人間失格と言われるくらい叱責されるのに,5時間残業することは,何の問題にもならない。
ボランティアという名の強制労働が,たくさんある。
どう考えても理不尽で合理的でないことを,「普通はそうだろ!」とか,「うちの職場では常識!」などと正当化される。
法律や規則が,まったく通用しない職場環境がある。
正論を言うことは,「反逆罪」として,処断される。
こんなことが多いですよね。
そして,日本の文化は,上記のような理不尽に耐えることが,「大人」であり,「社会人・職業人」であると教えられています。
はっきり言います!
クソくらえ!
ですね。
下品な言葉で,ごめんなさい(笑)。
でも,本当に,この国は,この国の文化は,変わらないんですよね。
教員採用試験でも,まったく同様で,合理的でないことが多すぎます。
そう言えば,先日,ある人が,私にこう言いました。
「教員採用試験は,教師としての資質が問われる。だから,学問に励み,指導力を向上させ,子供理解を深め,真の教師としての実力を付けることが重要だ。」
この人,何にもわかっていないんだなと感じました。
ただ,この人が言っていることの後半部は,100%正しいです。
「学問に励み,指導力を向上させ,子供理解を深め,真の教師としての実力を付けることが重要だ。」
これは,本当に正しく,そうあるべきですよね。
でも,前半部が極めて問題なんですよね。
「教員採用試験は,教師としての資質が問われる。」
とても,残念なことに,これはまったく正しくないんです。
もう一度だけ,下品な言葉を使わせてください。
日本の現在の教員採用試験はクソです。
科学的には,何の弁別機能もなく,試験としての体を成していないクソ試験です。
確かに,教員採用試験の目的は,受験者の中から,教師としての資質を持ち,指導力が高く,人間的魅力が溢れる人を選んで採用することです。
しかしながら,現在,日本の各自治体で行われている教員採用試験では,そのような選抜と採用は,絶対に不可能です。
教員採用試験の筆記試験のレベルも,特に,教職教養・一般教養では,噴飯物です。
高校入試の方が,よほど,まともに作られていますし,学力も判定できます。
教育法規や答申等の文書の単なる穴埋めなど,クズ中のクズだと言わざるを得ないでしょう。
問題作成者も,学者・研究者がリサーチをしながら精密に作成するというよりは,試験実施というアリバイ作りのために,仕方なく作っているという感が否めません。
高校入試や大学入試,センター試験などにあるような綿密な作り込みも,何にもありません。
ほとんど,素人同然の作成者が作ったクズ問題ばかりです。
アクティブ・ラーニングとか,主体的・対話的で深い学びなどと言っておきながら,教員採用試験の教職教養や一般教養の問題は,昭和,いえ,昭和以前のクズ問題ばかりです。
専門教養の筆記試験は,もう少しは,まともですが,それでも,受験者の学力や指導力を正しく評価しているとはいいがたいものがあります。
残念ながら,日本の教員採用試験は,テストとしての妥当性も信用性もありません。
また,教員採用試験のテストとしての妥当性や信用性を,追跡調査して,本当に,優れた人物を採用しているかどうかを調べた自治体など皆無ではないでしょうか。
日本の教員採用試験は,はっきり言って,優秀な教師を選び出すという点では,何の意味もありません。
もっとはっきり言いましょう。
日本の教員採用試験は,優れた教師志望者が合格するとは限りません。
日本の教員採用試験は,愚かな教師志望者を排除する弁別機能もありません。
日本の教員採用試験は,ただアリバイ作りのように行われています。
本気で,検証チームが,日本の教員採用試験のテストとしての妥当性と信頼性を検証したら,その結果は,目を覆うばかりの酷いものになることは確実です。
教員採用試験の面接も,多くの自治体で,20分程度のものが,1回,多いところでも,2回行われるだけです。
こんな面接で,人物の能力や適性や資質を判断することはできません。
絶対にできません。
よほど非常識で,愚かな人なら,20分くらい話せば,排除できるかもしれませんが,せいぜいその程度です。
誰も言わないから,私が言っておきます。
日本の教員採用試験に合格するのは,レトリックとパフォーマンスの特訓をした人です。
日本の教員採用試験に合格するのは,戦略的に,楽しく,楽(らく)して,学んだ人です。
日本の教員採用試験に合格するのは,20分間だけでも,明るく,元気に,爽やかに,語ることができる人です。
教採塾の講座の宣伝として言っているのではありません。
日本の教員採用試験は,教採塾程度の,戦略特訓,レトリックやパフォーマンスの特訓程度で,簡単に合格できる,クズみたいな試験だということを言いたいのです。
上記で引用した人の言葉,「教員採用試験は,教師としての資質が問われる。だから,学問に励み,指導力を向上させ,子供理解を深め,真の教師としての実力を付けることが重要だ。」が正しくなる日が,やって来ることを,私は心から願っています。
でも,今は違うんです。
たとえ,学問に励み,指導力を向上させ,子供理解を深め,真の教師としての実力を付けても,現在の日本の教員採用試験では,合格するとは限りません。
現在の日本の教員採用試験では,学問をせず,指導力もなく,子供理解も浅く,教師として疑問を感じるような人であったとしても,簡単に合格します。
これが真実です。
このブログは,教育委員会の関係者の方々も多く,ご愛読いただいています。
今日は,大変に失礼なことを書いて,本当に申し訳ありません。
でも,反論できますか?
あなたの自治体で行っている教員採用試験は,本当にテストとしての妥当性と信頼性がありますか?
その検証を行っていますか?
もし,あなたが面接官経験者なら,グループワークや集団討論で,本当に優秀な人材を選別できていますか?
あなたは,教員採用試験に対して,なんでこんな試験やっているんだろう?と疑問を感じたことはありませんか?
よく自問自答なさってみてください。
そして,可能であれば,日本の教員採用試験の在り方を改革してください。
本当に,本当に,よろしくお願いします。
でも,日本の教員採用試験の在り方が改革され,テストとしての妥当性や信頼性が確保されるまでは,
レトリックとパフォーマンスの特訓をした人,
戦略的に,楽しく,楽(らく)して,学んだ人,
20分間だけでも,明るく,元気に,爽やかに,語ることができる人
が,教員採用試験では合格します。
そして,教採塾は,毎年,こういう人を確実に合格させます。
もし,教採塾のやっていることが間違っていると思われる教育委員会があるのであれば,教員採用試験を大改革してください。
それまでは,教採塾で,学んだ人が,教採合格者の多くを占めることになります。
と,今日は,こんなことを,激しく感じました!(微笑)
では,また明日!!
河野正夫