河野正夫の「三つ子の魂百まで」の真実!だから,ゲームチェンジャーになれるんです!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教育論

【レトリカ教採学院】ブログDE教採
「三つ子の魂百まで」という言葉があります。
河野正夫の人生を振り返ってみても,「三つ子の魂百まで」と言えることがあります。
河野正夫は,3歳くらいのときから,合理的ではない日本の習慣が大嫌いでした。
精神論的で,科学的根拠もない,日本のくだらない習慣に反発してきました。
本当に,3歳くらいから,大嫌いでした。
そもそも,子供は「子供らしくする」というのが嫌いでした(笑)。
3歳くらいから,子供番組とかは,嫌いだったそうです。
普通にニュースの方に興味をもっていたんだそうです。
はっきり覚えている幼稚園以降では,なぜ,給食やおやつの前に,みんなで歌を歌うのか,さっぱり理解できませんでした。
そして,なぜ,みんなで一緒に,同じことをしなければいけないのかに,幼稚園児ながら,ものすごい疑問を感じていました。
小学校に入っても,同じでした。
なぜ,制服を着るんだろう?
なぜ,みんな持ち物を揃えるのだろう?
なぜ,みんな同じようなことを言うんだろう?
なぜ,手の上げ方まで決まりがあるんだろう?
手を上げるのは,発言したいという意思表示に過ぎないのに,なぜ,腕をピンと伸ばして上げる必要があるのだろう?
すべてが不思議でした。
幼い頃から,洋画やアメリカの映画が好きだったので,そういった映像で見た,アメリカの学校と日本の学校の振る舞いは,あまりにも違い過ぎました。
当時から,私(河野)は,日本という国は,大人が,自分の非合理的な美学に基づいて,意味のない行動を,無理やりに子供にさせる変な社会だと反感を感じていました。
中学校・高校・大学・大学院と,それなりに人生は楽しみましたが(微笑),日本の,特に,日本の学校教育のくだらない側面にうんざりしていました。
大学院修了後,アメリカに渡りました。
アメリカにも,良いところ,悪いところはありましたが,少なくとも,日本の社会のような,くだらない習慣がほとんどなかったのは,私にとっては,パラダイスでした。
アメリカの公立高校や大学で,教壇に立ってみて,日本で,私がでくだらない,合理的でないと思っていたことは,何一つしなくてよかったですし,意味のない美学を強制されたことは,一度もありませんでした。
それから,約10年後,日本に帰国しました。
また,くだらない,合理的でない習慣と向き合わなければならなくなりました。
なぜ,カラーコンタクトが悪いことなのか,私にはわかりませんでした。
なぜ,授業間の休憩時間は10分しかないのに,5分前着席なのかも,さっぱりわかりませんでした。
なぜ,「若い教師」は,パワーポイントではなくて,黒板にチョークで書くべきなのかも,わかりませんでした。
人を応接するときに,お茶とコーヒーはいいけれど,コーラはダメな理由もわかりません。
法律ではそうかもしれないが,うちの職場ではそうはいかないという,「治外法権」も理解できません。
法律上の権利を行使しようとしたら,すぐに,組織から排除しようとするメンタリティも理解できません。
そんな理不尽・不合理とは,たくさん戦ってきました。
人生,ずっと,そんな戦いでした。
でも,私の想いがぶれたことはありませんでした。
嫌なことは嫌だと言い,できないことはできないと言い,違法なことは違法なことだと言い,合理的でないことは合理的でないと言い続けてきました。
日本という国では,「清濁併せ呑む」のが「大人」だそうです。
私(河野)は,「濁」は飲みません(微笑)。
悪いことをするのが「大人」という定義ならば,私は「大人」になりませんし,子供たちを「大人」にすることもしません。
正論を主張すると,「青いな」と言われ,「大人」扱いされない社会は,根本的に間違っています。
でも,そもそも間違っているから,本気で法的に訴えると,うろたえて,おろおろするような愚か者ばかりです。
おかしなものです。
私は,そんな風にずっと戦ってきましたが,あまり,迫害されませんでした。
でも,迫害されなかった理由はわかります。
私が,戦い続けたからです。
そして,私は,本気で,法的に訴える人間だからです。
組織の中で,私は嫌われたかもしれませんが,本気で法律を基にして,公開の場で,私と争う勇気を持った組織は,まずありませんでした。
結局,日本の組織の多くは,法を破り,倫理を押し曲げ,独善的な精神論で,理不尽なことをしていながらも,違法,かつ,非合理的である故に,公の場で争うことはできないのです。
だから,日本の組織は,本気で戦うことをいとわない個人とは,戦えないのです。
そして,それも,悲しいことです。
弱い人はいじめぬき,組織から排除するけれど,本当に戦う人は,腫れ物に触るように扱いながら,結局は,何もできない。
日本の組織は,弱い者いじめしかできません。
強いものと,正々堂々と戦うことはできません。
精神文化を吹聴するわりには,本気で戦う勇気はありません。
せいぜい,裏でこそこそするくらいの卑怯者の集まりです。
もちろん,日本の全ての組織がそうだとは言いません。
まともで,素晴らしい組織もあると信じますし,そうであってほしいと願っています。
でも,不運なことに,私が,遭遇した日本の学校組織は,概ね,すべて,非合理で,卑怯で,最低でした。
教師は,それでも,子供たちがいるからと最善を尽くしています。
もちろん,それは尊いことです。
子供たちのためなら,我慢できることもあるというのも崇高なことです。
ただ,私(河野)は,たとえ,子供たちがそこにいても,ダメなことはダメ,悪いことは悪い,不合理なことは不合理,そう言い続けたいと願ってきました。
むしろ,ダメなことはダメ,悪いことは悪い,不合理なことは不合理だと言い続ける大人がいることが,子供たちのためになると考えてきました。
今日のブログ記事で,なぜ,こんなことを書いたかと言いますと,これが河野正夫だということを知っていただきたかったのです。
先日,ある方に,「河野先生って,どんな人なんですか?」と聞かれました(笑)。
「どんな人」というのは,なかなか,答えるのに難しい質問です。
私のプロフィールを語っても仕方がありませんし,私の趣味を語っても仕方がないでしょう。
だから,私の生涯の信念を語ってみました。
このブログ記事を読んで,組織の管理職の方なら,「こいつは,危険人物だ!」と思われるかもしれません(笑)。
このブログ記事を読んで,組織で虐げられている人なら,「頑張ってください!」と声援をくださるかもしれません(微笑)。
このブログ記事を読んで,たぶん多くの人は,「変な人だ!」という感想を持たれるかもしれません。
でも,「変な人」が社会を変えたということをお忘れにならないでいただきたいと願っています。
発明家も,革命家も,哲学者も,芸術家も,概ね,「変な人」です(笑)。
河野正夫は,世界を変えるほどのパワーはありませんが,「変な人」として,ちょっとしたことを変えるくらいのパワーはあるつもりです。
そして,河野は,自分の信念を人に押し付けることもしません。
人は,みんな違って,みんないいんです。
私がどんな信念を持っていようと,それは,私の問題です。
むしろ,世界中が,私と同じ信念を持ち始めたら,私が,一番,気持ち悪がります。
みんな,違っていてくださいね!(微笑)
それはともかくとして(笑),こんな私だからこそ,ゲームチェンジャーになることができます。
こんな私だからこそ,サイエンスで,人を説得する戦略を知っています。
日本の組織に反発し,日本の組織を研究し尽くしたからこそ(微笑),日本の組織人に気に入られる方法は熟知しています(笑)。
ただ,私(河野)自身は,そんな方法は,絶対に行使しませんでしたが,教員採用試験の面接などで,日本の組織人に気に入ってもらって,合格したい!という方,是非,河野にご相談ください!(笑)
河野は行使しませんでしたが,百発百中の戦略を伝授しますよ!
是非,日本の組織に入って,いつか,日本の組織を変えていただければと願っています。
では,また明日!!
河野正夫