本物を見る眼を失ってしまうときに,チープな失敗劇が始まる。

教育論

【教員採用試験レトリカル戦略】

 

私(河野)は,しばしば,「旧態依然とした昭和の慣習」を批判します。

旧態依然とした受験勉強とか,旧態依然とした学校現場とか,折に触れて,昭和の時代から,進化もせず,続いている非効率なものを糾弾します。

それはそれで,真実だと信じるのですが,昭和の時代の方が,現在より,はるかに良かったこともあります。

 

それは,昭和の時代には,本物を見る眼,本物を見ようとする意欲が,現在よりは,はるかに高かった部分もあるのではないか,ということです。

昭和の時代(太平洋戦争後の昭和)は,概ね,高度経済成長の時代でしたから,常に,経済は,発展していました。

社会全体としては,常に,収入も伸び,生活も向上し,人々は,次の贅沢へと突き進んでいました。

 

弊害が全くなかったとは言いません。

でも,社会全体としては,常に,向上心にあふれ,経済発展を動力源にして,人々の生活は,概ね,常に,向上していました。

個人レベルで見れば,中には,社会全体の流れに乗っていなかった人もいたでしょうが,社会全体として見たとき,常に右肩上がり,常に成長,常に豊かになり続けるという時代が,昭和でした。

 

ところが,皆さんもよくご存じのように,平成になり,バブルがはじけ,それ以来,日本の経済は低迷しています。

世界の主要先進国の賃金が,この30年間で,1.5倍から2倍になろうとしているのに,日本の賃金は,1割近く,少なくなっています。

日本は,もはや,先進国ではなく,多くの経済統計などで,世界で,20番目とか30番目に成り下がっています。

 

昭和と,平成,そして,令和の最大の違いは,もはや,令和では,社会としての経済が,これ以上,発展するという現実的な期待を,ほとんどの人が持ちえないことです。

 

昭和の時代は,概ね,子供の世代は,親の世代よりも,学歴も収入も高くなるというのが一般的傾向でした。

でも,平成を経て,令和では,子供の世代の方が,親の世代よりも,学歴も収入も職業の安定度も低下するということが,日本中で見られています。

 

先進国の一般的な平均賃金は,1,500円を超えようとしています。

物価も,日本は,先進国の中では,とても低い方です。

 

日本が高いと言われている,家賃も,たとえ東京23区内の家賃でも,サンフランシスコや,ニューヨーク,ロンドンなどに比べれば,ものすごく安いと言わざるを得ません。

 

日本は,既に,世界の経済を牽引する国ではありませんし,世界の人々が羨むような生活をしている国ではありません。

国内にいれば,かろうじて生活できるけれども,海外(先進国)と比べれば,発展途上国とほぼ変わらない国になってしまいました。

 

日本で,いま,多くの消費者が求めているものは,ものの安さです。

でも,これは,いわゆる,コスト・パフォーマンスではないようです。

確かに,最近は,コスパ(コスト・パフォーマンス)という言葉が,頻繁に使われるようになりましたが,多くの人が意識しているのは,コストの方であり,パフォーマンスを追い求める機運は低下しています。

 

 

安ければ,それでいい!と考える人が増えてきました。

コストは,値段で測れますので,簡単に比較できます。

1万円よりは,2,000円の方が,安いのは一目瞭然です。

1万円のホテルに泊まるよりは,2,000円のネカフェに泊まる方が,安いのは,数字上の事実です。

 

でも,パフォーマンスは違います。

1万円のホテルでのリラックス感や,身体への優しさや心の余裕は,ネカフェでの仮眠とは大きく違います。

でも,常に,ネカフェで泊まっている人は,もはや,ホテルの快適さを知りません。

だから,比較ができないのです。

「一晩寝るところ」という概念で考えるだけです。

この概念だけで考えれば,1万円よりも,2,000円の方が,5倍もコスパがいいことになります。

 

でも,実のところ,これは,コスト(金銭的価格)だけを比較していて,パフォーマンスの比較は無視しています。

次の日の快適さ,心身の爽やかさ,健康的な生活等を考えれば,ホテルとネカフェのパフォーマンスの差は,大差ある価値比較となるでしょう。

 

昭和の時代は,貧しさから,豊かさへ向かう時代でした。

人々は,より豊かに,より快適に,より贅沢にを求め続けていました。

もちろん,それを可能にする賃金上昇や経済発展も存在しました。

 

現在は,異なります。

人々は,必ずしも,より豊かに,より快適に,より贅沢にを求めているとは言えません。

豊かさや,快適さや,贅沢さを求めるだけの賃金水準も経済発展も,現在,日本には存在しません。

 

人々は,サバイバル(生き残り)に必死です。

日々の生活の維持に必死です。

 

そんな社会では,コスト・パフォーマンスの考え方は,真の意味では,根付きません。

コスパと呼びながらも,結局は,金銭的な価格の高低だけで,ものごとを判断してしまいます。

 

そんな言説(ディスコース)では,

 

無料=最高

低価格=次善

中価格=最後の手段

高価格=選択不可

 

となってしまいます。

 

質(クオリティ)を追求しないわけですから,無料なら最高,低価格が最高の次で,中価格くらいで最後の手段となります。

高価格になると,もはや,選択する意志すらありません。

 

すべての人が,すべての分野でそうだとは言えません。

ある人は,ある分野では,質(クオリティ)にこだわるということはあります。

 

でも,社会全体として見たときに,今の日本では,コスト・パフォーマンスと言いながら,その実は,金銭的な価格だけで判断しているところが多すぎるようです。

 

このブログで,今日,なぜ,このことを書いたのかといいますと,それには意味があります。

 

平成,そして,令和の時代のこの風潮は,教育の世界でも表れているのです。

 

何でも無料でやってもらえるべきだ。

 

この風潮が圧倒的に強いのです。

 

教育公務員は,公務員としては,平均的以上の給料をもらっています。

民間の中小企業の賃金よりは,高水準であるのは確かです。

でも,これは,あくまでも,金銭的金額としての,平均以上です。

その実質,例えば,実質的な時給換算とか,労力に応じた給料とか,働き甲斐に応じた給料という点では,平均以上と言えるかどうかは疑問です。

 

担任をしても,手当は,雀の涙。

部活をしても,手当は,雀の涙。

土日に出勤しても,手当はないか,雀の涙。

保護者対応をして,何十時間を費やしても,手当なし。

いじめや不登校の問題に,何百時間を費やしても,手当なし。

 

まさに,定額働かせ放題です。

 

今の,この状況では,教育公務員,正規も非正規も含めて,コスト・パフォーマンスが高い職業と言えるかどうかは,はなはだ疑問です。

でも,金銭的賃金自体は,民間の中小企業よりは,高いことがしばしばです。

だから,我慢して働くという人も多いでしょう。

 

子供の保護者の立場を,考えてみましょう。

保護者も,必ずしも裕福とは限りません。

裕福でないから,自由に使えるお金は限られています。

だから,学校に対して,無償の要求をするようになります。

あれをしろ,これを指導しろと,あれもこれも,すべて学校に要求します。

 

要求された学校は,それを拒むことなく,受け入れます。

そして,手当も出さず,残業代も出さず,教師にそれをすることを強要します。

 

政治的に考えても,そうなのかもしれません。

幼稚園を無償化するとか,保育所を無償化するという話がよく出てきます。

無償化は,保護者にとっては,ものすごくグッドニュースかもしれません。

でも,幼稚園や保育所で働く,教員や保育士の給与や待遇は,あまりにも悪いというのが現状です。

無償化するという美名の裏側で,そこで働く教員や保育士は,低賃金で,長時間労働を強いられます。

 

教員採用試験も同様です。

現在は,教員採用試験は,各都道府県(政令市)ごとに行われています。

センター試験や,その他の大型の試験に比べて,教員採用試験は,とても作りがチープです。

筆記試験の問題も,考え抜かれて作られたとは思えません。

いまどき,法令等のカッコでの穴埋め問題など,言語道断と言えるでしょう。

教採の面接の質も,上場企業の採用面接と比較すれば,最悪・最低と言えるでしょう。

 

教員採用試験も,要は,チープなのです。

お金をあまりかけずに実施しようとするから,あのチープさ,あのいい加減さになってしまうのです。

 

教員採用試験の,特に,教職教養や,一般教養の筆記試験を,テスト理論で,厳密に評価すれば,おそらく,国内でも,最低・最悪水準の低レベルで,何の意味もない試験だということがわかるでしょう。

教員採用試験の面接も,人材の優劣を判断する力がないことも,科学的に測定すれば,すぐにわかることでしょう。

でも,そんな調査も測定も行われたことがありません。

行うのが怖いというのもあるでしょうが,そもそも,そういう調査を行う予算もありません。

 

その昔,昭和の後期,このブログの読者の多くの方が,まだ生まれていない頃,日本は,経済の絶頂期にいました。

ジャパン・アズ・ナンバーワンとか,日本に学べとか,日本はすごい!という機運がありました。

もはや,日本にその力はありません。

 

日本にその力がないことは,現実として認めるとしても,今の日本の社会では,無料であればいい,安ければいいという風潮が強すぎて,結局は,働く人の賃金・給料が上がりません。

 

完全無料化・無償化した教育では,そもそも,教員に手当など払えるはずがありません。

そもそも,国民の所得水準が,先進国の中でも低レベルなのですから,税収もあてになりません。

税収が少なければ,そもそも,教員の基本給さえ,低下していくことは間違いありません。

 

満足いくものに,適正なプライスを付けて,その代金を払う。

これが,コスト・パフォーマンスの大原則です。

 

できるだけ安ければいい。無料なら最高!

これは,コスト・パフォーマンスではありません。

なぜなら,この背後には,苦しみ,虐げられている人(働く人・労働者)がいるからです。

 

その昔の経済学では,資本家(富める人)が,労働者(貧しい人)を搾取すると言われていた時代がありました。

現在の日本では,どちらかというと,貧しい人が,貧しい人を搾取しています。

つまり,貧しい人が,より安いものを要求するので,それに従事している貧しい労働者のさらなる賃金低下を招いているということです。

 

学校で言うと,貧しい保護者が,学校に無料サービスを求めるすぎるので,現状でさえ厳しい環境で働いている教師がさらに無償労働を強いられるということです。

 

今の日本は,貧しい人同士が,お互いをさらに貧しくしています。

ほとんどの人が,自分に都合のいいところで,より安く,できれば無料!と叫びすぎているので,結局は,全体として,賃金は低下し,経済は衰退します。

 

適切な市場原理も働かなくなった今の日本では,貧しい人同士の攻防で,全体として,さらに貧しくなります。

 

より良いもの,より優れたもの,より豊かなもの,より素晴らしいものを,高いお金を払ってでも,手に入れようという気概がなくなったとき,経済は滅びます。芸術もスポーツも滅び,文化も学問も滅びます。

 

本物を見る眼を失ってしまうときに,チープな失敗劇が始まる。

 

これからの日本は,どうなってしまうのでしょうか?

 

 

では,また明日!!

 

 

教採塾

河野正夫

 

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