理系的な考え方と,文系的な考え方の違いを,たまには,感じてみると,面白いかもしれません!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 合格への戦略, 教育論, 面接力向上

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学問を,ことさらに,「理系」・「文系」に分けるのは,適切ではありませんが,時には,理系的(理数的)な物の考え方と,文系的(哲学的)な物の考え方の違いを,感じてみることも重要なことかもしれません。
人によっては,理系は数字だけ!,文系は言葉だけ!のように極論を言いたがるかもしれませんが,理系と文系に,そこまで,極端な差異があるわけではありません。
また,理系はロジック(論理)を重んずるけれども,文系は主観が中心だと言う人もいそうですが,主観ですら,ある程度はロジックで組み立てられていますので,文系にはロジックがないとは言い切れないでしょう。
それでも,理系的な考え方と,文系的な考え方の違いを,たまには,感じてみると,面白いかもしれません。
例えば,シンプルな例で考えてみましょう。
一人の人が,二人の人に親切にし,その二人の人が,それぞれ,二人の人に親切にしていく。こういうことをどんどん繰り返していけば,すぐに世界中の人が親切に触れることができ,世界は,親切にあふれることになる。
ちょっと文系チックに語ってみました(微笑)。
確かに,一人の人が,二人の人に親切にして,親切にしてもらったその二人のそれぞれが,二人ずつの人に親切にしていき,そのまた,親切にされた人がそれぞれ二人に・・・ということを繰り返せば,世界中が親切にあふれますよね。ちょっと,心が温まります(微笑)。
では,理系チックに考えてみましょう。
いきなり,指数関数の話になります。
いわゆる,「2のx乗」ということですよね。
こう考えると,親切のサイクルが,27回目(2の27乗)で日本の人口を超え,33回目(2の33乗)で地球の人口を超えることになります。
だからどうした!という話ですが(笑),理系的(指数関数的に)に考えると,まずは,こうなるでしょう。
でも,ここで終わらないのが,現実です。
確かに,2のx乗ですから,xが増えるにしたがって,指数関数的に増えていきます。
2の2倍は4,その2倍は8,その2倍は16,32,64,128,・・・と増えていきますから,27回目で,134,217,728となり,日本の人口より,多いですよね。
33回目なら,8,589,934,592となり,地球の人口を超えますよね。
でも,それは,1人が2人に,2人が4人に,4人が8人に,8人が16人に・・・というように,次々と新たな人に親切にした場合です。
回数が少ないうちは,まだ親切にしてもらっていない人を見つけるのは簡単ですが,次々と,親切の輪が広がっていくにつれて,まだ親切にしてもらっていない人を見つけるのは,難しくなります。
次第に,周囲の人は,すべて,誰かに既に親切にしてもらった人で,現実的には,まだ親切にしてもらっていない人を見つけることができなくなります。
親切にするということであれば,文系脳的には(笑),何度でも,同じ人にでも,親切にすればいいでないかということになりますが,ある程度の回数に達すると,親切にしてもらった同士で親切にし合う回数が圧倒的に多くなります。
文系の人であれば(笑),むしろ,それで理想で,自分の周りの人と,永久に親切にし合えばいいということになるかもしれませんが,理系脳(数学脳)で考えると,それでは,しっくりきません。
現実においては,2のx乗が,指数関数通りに,親切にされた人を増やすことができなくなります。
親切にするというたとえなので,それでも,文系の人は,何度でも親切にすればいいではないか!と言いそうなので(笑),あえて,新型コロナウィルスなどの感染症で考えてみましょう。
一人の人が,2人に感染させ,その2人が,それぞれ,2人の人に感染させる場合を考えてみましょう。
この場合でも,指数関数だけの観点からは,上記の計算通りになりますので,27回目の感染で日本国民全員が,33回目の感染で地球の人すべてが,感染することになりますが,実際はそうはなりません。
既に感染している人には,それ以上感染させられないので(治癒して,また感染するという場合を除いて),必ずしも,指数関数的には,増えないのですよね。
もちろん,それでも,一つの街とか,一つの都道府県,一つの広域ということであれば,指数関数的に増えますが,それでも,数学の綺麗なグラフのように,2のx乗の放物線が美しく描かれ続けるということはないでしょう。
ここまで,読んでいただいて,このブログ記事で言いたいことは(微笑),表面的に考えるだけでは,文系的な主観でも,理系的な計算でも,あまり,現実を予測することは,難しいことがあるということです。
もちろん,綿密にシミュレーションをつくって計算すれば,理系的な計算で,相当に正確な予測をすることができますが,そのシミュレーションをつくるためには,かなりの観測と実験が必要ですし,時に,社会学的な要素(時に,主観的・文系的な変数)も必要かもしれません。
また,あまり,綿密な計算をせずに,「すぐに世界は親切で満たされる。」,「1か月以内に全世界の全人口が感染する。」などというのは考えものですが,親切の持つ役割を強調したり,感染症の危険を強調するには,こういう端的な(時に短絡的な)レトリックを使うことがあるかもしれません。
現実を正確に予測することは,結構,難しいものです。
現実が,関数通りに動かないということもありますし,関数通りに動かない理由が,理数系由来の要因よりも,主観・文化的な不確定要因がかなり多いということもあるでしょう。
特に,人の心や感情・文化的な慣習が絡む場合には,人の行動を理数的に分析するのは,難しいことが多いようです。
ただ,人数が多くなったり,回数が多くなれば,それなりのパターンが見出せますので,ある程度の予測も可能です。
何が売れるかというマーケティングや,誰が選挙で勝利するかという予測などは,それなりの精度で予測することは可能です。
教員採用試験での合格可能性というのはどうなのですかね。
ある一人の人の合格可能性ではなく,こういうトレンドを持っている,こういう資質を持っている,こういう雰囲気を持っている人の合格可能性を,それなりの精度で予測することは可能なのでしょうか?
これまでは,どちらかというと,文系寄りで,頑張っている人は合格するとか,自分に向き合っている人は合格するとか,日々コツコツ勉強している人は合格するとか,そういう言説で語られることが多かったようですが,理数の知見を持ってきて,何が合格要因として,合格に寄与するのか,どういうトレンドが合格しやすいのかを緻密に観測,分析,実験してみることも重要かもしれませんね。
文系脳でも,理数脳でも,理解できることは,ある対策講座を受講したから合格するとか,ある本で勉強したから合格するとか,ある先生から学んだから合格するということは,あまり正確な表現ではありません。
ある対策講座でも,ある本からでも,ある先生からでも,何を何のために,どのように学び,実践するかを,常に意識し,振り返り,継続していくことが必要ですよね。
合格に奇跡(ミラクル)はありません。
おそらく,合格に偶然はあります。
でも,偶然に頼っていては,ギャンブルと変わりません。
教員採用試験に合格するために,サイコロを振るだけなのか,それとも,文系的にせよ,理数的にせよ,根拠をもって,確実と言えるほどの,予測可能性で試験(面接)に臨むのか,方向性を決めるのは,あなたです。
少なくとも,私(河野)は,文系脳にも配慮した,科学的なアプローチで,合格を勝ち取ることができるように,ご指導していきたいと願っています。
では,また明日!!
河野正夫