【川上貴裕】相手意識をもたず、そして、深い考察なくして、安易に、言葉に飛びつくのは、非常に危険です!

合格への戦略

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レトリカ教採学院(教採塾)の川上です。

 

 

教採受験者の多くは、どこかで聞きかじった、カッコいい響きの言葉を、すぐに使いまわすという、愚かな傾向があります。

 

例えば、安易に、「教室は間違えるところ!」、「人は失敗して強くなる。」などと、言います。

確かに、失敗を恐れたり、他人の間違いを笑ったりすることは、よくありません。

でも、わざわざ、語りの中で、間違いや失敗を奨励するというのも、おかしな話です。

 

失敗を恐れない、他人の間違いを笑わないということと、間違った方がいい、ということは、イコールではありません。

当然、間違うより、間違わない(正解を言う、正しい行動をする、1回で成功する)方が、良いに決まっています。

 

また、語り手が、

「教師からの発問や課題において、子供たちが、ちょっとした、間違いや失敗をする。」、その部分のみを、解釈・イメージしている辺りも、実に愚かです。

聴き手によっては、いじめの加害者になるのも、法を犯すのも、れっきとした間違いだと、感じます。

子供たちが、この解釈で捉えて、「いじめから、人間関係を学ぶのもいいんだ。」、「法を犯すのも、まずは失敗・間違いだから、いいんだ。」などと思ったら、どうするのでしょうか。

しかし、そのような疑問を問うと、「いえ、そういうつもりで言ったのではなく・・・」と、言い訳を並べます。

 

語り手が勝手に、「この間違いはOK。この間違いは絶対ダメ。」と、屁理屈で決めつけても、子供や面接官には、通じません。

 

「間違い・失敗は大歓迎!」というような言説で語る人は、この部分をまったく考えていないのですよね。

間違うことを、推奨し、「間違うことが良い!」と、言い過ぎることには、語弊があるということに、早く気づくべきです。

 

もう一つ、この手の語りが、通用しない理由があります。

教師=社会人・プロフェッショナル、として考えると、必ずしも良いこととは、言えないからです。

 

例えば、「教室は失敗するところ。」と言っても、理科の実験で、教師のミスによって、爆発を起こしたけど、「多くの子供がケガをしたから、実験方法を正しく覚えることができた!」では、ダメなんですよね。

 

自分は失敗して、強くなるかもしれません。

でも、その失敗によって傷つく人、命を奪われる人が、出てくるかもしれない、ということを、考えないといけません。

人を犠牲にして、自分が成長するという考え方は、共感に値しません。

 

外科医に置き換えて、考えてみましょう。

仮に、外科医が、「手術で、いろんな間違いや失敗を、重ねてきたからこそ…」と言ったら、どう感じますか。

どれだけ、今現在の、その外科医の腕前が良かったとしても、「絶対に、この外科医に、手術は任せたくない!」というような、不安がよぎるのではないでしょうか。

信頼に値しませんよね。

 

確かに、子供たちは、学習や、人付き合いにおいて、失敗や間違いを繰り返し、成長するということは、一理あります。

しかし、教師は、社会人として、プロフェッショナルとして、失敗できないことが、数多くあります。

 

志望動機でも、「様々な失敗を、積み重ねたからこそ…」と、語る人がいますが、子供と同義に、甘んじてはいけません。

共感・信頼にも、値しません。

 

「教採に数回落ちたけど、この失敗を生かせば、いつかは合格する。」では、いけないのです。

もちろん、ご自身の希望や願望として、心に留めておくのは自由です。

ただ、語りで堂々と、述べるべきものではない、ということです。

 

聴き手からすれば、「数回落ちるよりも、すぐに合格する方が、良いに決まっている。」、「同じ失敗を繰り返しているから、いつまで経っても、合格しないのでは?」としか、感じません。

 

相手意識をもたず、そして、深い考察なくして、安易に、言葉に飛びつくのは、非常に危険です。

 

慎重な吟味が、必要だということを、お忘れなく!

 

 

ではまた!

 

 

レトリカ教採学院(教採塾)

川上貴裕

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