【川上貴裕】多くの受験者は、根拠ない、古臭い精神論や根性論だけで、突っ走ります。感情のままに語るだけで、適切な法律論・情勢を知らなさすぎです。
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 合格への戦略, 教育論, 面接力向上
【レトリカ教採学院】ブログDE教採
【レトリカ・ブログ】
レトリカ教採学院(教採塾)の川上です。
先日、オンライン校で、以下の課題を提示しました。
「教師は,夜間や土日でも,子供に問題行動などがあると,呼び出されたりすることがありますが,このことについて,どう考えますか?」
この課題の回答に対して、
<今回の課題への皆さんの回答には,添削講師が,厳しい追加質問・反論質問をいくつかします。それらの追加質問・反論質問に耐えられる回答を投稿してください。>
という条件で、私(川上)が、追加質問・圧迫質問を、それぞれの受講生の回答に、記載していきました。
まずは、ここで、このブログをご覧いただいた方、この課題を初見で考える方は、ご自身がどのような考えになったか、簡単に、頭に想起させてください。
その上で、以下をご覧ください!
まず、全体的な総評としては、
「古い思考・価値観の人が多すぎる。」
「金八先生や、GTOの見すぎ!」
「学校現場のブラック化で麻痺しているのか。」
ということでした(笑)
というのも、
多くの人が、「命にかかわること、問題行動であれば、駆けつける」方向性の回答をしていました。
実際に、心配で駆けつける、というのは、あるかもしれません。
ただ、この課題の意図をよくよく考えると、「駆けつける」という選択肢は、まず最初には出てきません。
どういうことか。
以下に、私の総評を転載します。
ご覧ください。
‐‐‐
総評:
教師の呼び出しについては、働き方改革の観点からして、≪教師以外≫が担うものです。
確かに、命に関わることは、重要な案件ではありますが、土日・夜間に向かったとして、教師に対応できるものはありません。
例えば、最悪の場合から、考えていきましょう。
子供の遺体の引き取りに立ち会うために、連絡を貰ったところで、親族ではないので、法律的な根拠からしても、教師には、引き取る資格も権利もありません。
担任を受け持つ子供の家が、火事だからといって連絡されても、教師にできることはありません。
燃えている最中に、連絡があったとして、「こちらへの連絡よりも、消防局への連絡が最優先でしょ!」と、諫める他ありません。
子供が病院に運ばれた、という場合でも、まずもって、病院から、教師に連絡が来ることはありません。
連絡先自体も知らないでしょうし、知っていたとしても、監護権も何もない人に、連絡をする意味がありませんから。
保護者に連絡がいくだけです。
もちろん、保護者から、緊急連絡網で、電話がかかってくることは、あるかもしれません。
しかし、ここで担任が取るべき(取るしかない)行動は、「ご連絡ありがとうございます。この件については、管理職に報告しておきます。」と伝えることだけです。
「薄情者!」と思われるかもしれませんが、教師にできることは何もありません。
実際としては、心配だから、向かうこともあるでしょう。
保護者の気を落ち着かせるくらいは、貢献できるでしょう。
ただ、それは、教師というよりも、一個人として向かう、という感覚に近いものです。
ちなみに。
「管理職に報告」後の、お話もちょっとばかり。
報告の際に、「見に行ってくれ」と言われたら、業務命令として、行くことはあるかもしれません。
もちろん、この場合、業務命令として、合意すれば、向かえばいいのです。
反対に。
業務命令だからと、行ったはいいものの、後々、「やっぱり、土日や深夜に、教師を向かわせるのはどうなのか。」というような不服があれば、申し立てをすることもできますよね。
その場合は、もちろん、担任の責任ではなく、管理職の責任が問われるだけです。
さて。本題へ戻ります。
働き方改革の方向性としては、定時以降や土日の電話は、留守番電話にしておく、という事になってきています。
アメリカの学校では、勤務時間外の事件や出来事については、どのような内容であれ、一切関知しません。
もちろん、後日、記者会見を開いたり、関係諸機関と連携して保護者のケア・対応をすることはありますが。
アメリカに倣え、という事ではありませんが、今の教育界の情勢や、働き方改革からして、
命に関わること、性行不良の案件だとしても、土日・夜間に【教師が駆け付ける】というのは、やはり違いますよね。
もっとも、「命に関わることや、問題行動は、土日や夜間であっても駆け付ける。」、という語りは、その時間も教師が学校にいないといけない/携帯を常に持ち歩いて、待機を心しておかないといけない、ということの裏返しにもなります。
アウトです。
加えて、
自ら、このように、「命に関わることは・・・」、とか、「問題行動の際は・・・」と、それらだけを限定した語り・表現に逃げると、いろんな疑問が出てきます。(疑問は、後述。)
表現の工夫が必要です。
「命に関わること」というのを、上手く語るには、
例えば、「子供が、『今から死のうと考えている。』というので、連絡してきた。」という事例を、挙げた場合。
「その場合、連絡が来た以上は、早急・迅速な対応が必要だよね。」と、すぐに面接官も、感じてくれますよね。
ただ、
「自殺未遂にしても、自殺未遂前なら、今述べた対応が必要ですが、自殺未遂後なら、どうでしょう。」
という疑問も、出てきます。
皆さんは、どう考えますか。
まさか、例えば、子供がリストカットした瞬間に、保護者が、学校に連絡をしてくることはないでしょう。
まずは、救急車を呼びますからね。
そうなると、学校や担任に連絡がくるのは、子供が、病院に運ばれた後です。
そこに駆け付けたところで、教師にできることは、ありません。
下手すれば、面会謝絶になっているわけですし。
心配で駆け付ける、というのは、理解できますが、教師にできることと、という観点では、何もありませんよね。
結局は、「命に関わる場合は・・・」と、いうように、限定的な語りをすると、ケースバイケース過ぎて、自らの語りの首を絞めることになってしまいます。
何より重要なのは、
家庭それぞれで対応、また、関係諸機関と連携できるように、指南しておけばいいだけのことです。
重要なのは、ここです!
指南、あるいは、周知できていないから、「困ったらとりあえず学校に連絡」と、いうことになるのです。
保護者や地域用の危機管理マニュアルを、学校が作成しておけば、それに則って、保護者も行動します。
マニュアルができているという事は、地域や関係諸機関との連携も、バッチリできているわけですから。
また、マニュアル内には、「土日・夜間に起こった緊急の事案については、適切な関係諸機関に連絡する。学校へは、土日・夜間は、留守番電話へ。あるいは、翌日(平日)に、学校に報告する。」
と、記載しておけば、いいだけのことです。
「信頼関係のために!」といって、土日や夜間においても、何でもかんでも教師が担うから、いつまで経っても、働き方改革が進まないのです。
そもそも、学校外や土日、夜間に起こったことで、学校との信頼関係がどうこう言うのは、おかしな話です。
信頼関係は、学校内の教育(授業、生徒指導)で、構築していくものです。
土日や夜間の対応での、信頼関係構築は、そもそもの仕事に含まれてもいません。
昭和の古い精神論・価値観でしかありません。
もちろん、上記の、私のような言い草は、聞き手の面接官に敵意を示す事になりますし、実際は、どんな内容であれ、心配で駆け付ける、ということも、あるとは思います。
しかし、この質問の意図をよく考えてみてください。
面接における、この質問の意図は、「働き方改革について、ちゃんと分かっているだろうな。読んでいるだろうな。」ということに、他なりません。
「そうだよな。」、「さすが、働き方改革を、よく良く分かっているね。」と、納得させることが重要です。
多くの受験者は、根拠ない、古臭い精神論や根性論だけで、突っ走ります。
感情のままに語るだけで、適切な法律論・情勢を知らなさすぎです。
このような質問で、その人の教育者としての、知識・教養の差が、圧倒的に出るんですよね。
最後に。
ただ、実際は、本当に難しい所で、面接において、「 一切協力しないよ!」という方向性では、さすがに、「信頼関係構築として、いかがなものか。」、「教師としてどうなのか。」と反論されかねません。
根性論・精神論の面接官は、まだまだ多いですからね(笑)
なので、上手く、語る必要があります。
その意味で、敢えて言うなれば、
「保護者の言いなりにはならない&でも、寄り添っていく」、という方向性を、上品に、適切に、語ることが必要ですね。
‐‐‐
以上が、総評の転載でした。
皆さんは、古い価値観・精神論の持ち主でしたか。
あるいは、適切な知識・教養をもって、解答できましたか。
このような課題を、教採では、どんどん出していってほしいものですね(笑)
ではまた!
川上貴裕