あなたが教師になることは子どものためになりますか?
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 不合格の理由, 合格への戦略, 教育論, 面接力向上
【教員採用試験のバイブル】
今日のお題は、
「あなたが教師になることは子どものためになりますか?」
です。
刺激的なお話になりそうです。
教採もその本質は就活です。
教師という仕事に就きたい人たちが競い合って合格者が決まります。
だから、合格するための戦略や戦術があります。教師になるにあたっての志や夢や情熱も必要です。
知識や教養や語りの力も必要です。でも、それは結局は自分の都合です。もうひとつ重要なことがあります。
それは、「あなたが教師になることが本当に子どもたちのためになるだろうか」という視点です。
教採受験のライバルではなく、あなたが教師になることが本当に子どもたちのためになるかどうか、それに自信がありますか?
初心者ですから大きな自信はもてないとは思います。
でも、この自信は必要なのです。
ちょっと言い換えてみましょう。
要は、以下の質問にイエスと答えられるかどうかです。
1.あなたからXXという教科を教えてもらう子どもは幸せですか?
2.あなたに担任をもってもらう子どもは幸せですか?
3.あなたなら子どもを良い方向に導けるでしょうか?
もっと端的に言い換えましょう。
あなたが子どもだったとしたら、今のあなたを教師として尊敬するでしょうか?
あなたが子どもだったとしたら、今のあなたが教師だったら幸せでしょうか?
あなたのような教師をあなた自身はは好きでしょうか?
いくら自分には情熱がある、能力がある、経験があるといっても、所詮は自分自身の都合です。
究極の問いは、あなたが教師になることは、子どもにとって本当に幸せなことだろうか、ということです。
楽しい授業ができないのに教師になる、教科内容を大して理解していないのに教師になる、子どもを指導するとはどういうことか分からないのに教師になる、初心者ゆえの未熟さはやむを得ないとしても、あなたから学ぶ子どもが本当の意味で幸せかどうかを考えてみることは重要です。
子どもたちに心の底から「先生に会えてよかった」、「先生に教えてもらってよかった」と言ってもらえる自信がありますか?
ちょっと厳しすぎる基準だったかもしれませんね(微笑)。
でも、私は教育に携わってからいつもこの基準を私自身に課すべく努力しています。
自分に出逢った生徒、学生、受講生は本当に幸せだっただろうか。
私に教わったことで彼ら・彼女らにメリットはあったのか。私は彼らにとってプラスだったのか。
こんな問いを自分に尋ね続けています。
もちろん、後悔はあります。失敗もあります。
でも、私の存在が、私の指導が、私との出会いが学習者のプラスにならないのであれば、私は教育に携わる資格はないのだと考えています。
私との出逢いがプラスになることが教育者としての私の存在理由だと考えています。
いくつかの都道府県(政令市)は、教採の面接で「あなたを採用しないと本県が損をするということをアピールしてください」とか、「あなたを採用すると得するということを話してください」という質問を毎年しています。
これこそ、あなたの存在理由を問う質問なのです。
他のライバル受験者ではなく、「あなたを採用するとどんな風に子どもは幸せになるのでしょうか?」という問いにほぼ等しいのではないでしょうか。
これに対して、あなたはどんな答えを用意しているでしょうか?
はたして、答えがあるでしょうか? この辺りをよく考えてみることも大切です。
ウソで固めた志望動機は、この部分で崩壊してしまいます。
例えば、本当は専門教科(国語、社会、数学、理科など)で中高の教師になりたかったけれど、教採の受験倍率や募集定員を考えて小学校志望にしたという人はかなりいます。
それが悪いとは言いません。
でも、「仕方なく」小学校の先生になるというのであれば、その先生に学ぶ子どもは幸せでしょうか。
もし、子どもを幸せにできないのであれば、教えているその先生は幸せでしょうか。
この迷いが生じるとき、志望動機は崩壊します。
狡猾な面接官をここを突いてきます。
それが面接官の仕事だからです。
時として、私たちは戦略的に人生を歩まなければならない時があります。
定員2人の中高・専門教科より、定員200人の小学校の教員の方が合格戦略的には魅力的です。
でも、受験戦略的なメリットは教師への志望動機にはなりません。
なぜなら、それは自分の都合で子どもの利益にはならないからです。
それを受け入れた上で、いかに自分の志望動機を紡ぎ出していくか、これは想いと情熱と自分探しのプロセスです。
私がここで言っているのは、面接官をだませるような上手い言葉で志望動機を書けということではありません。
自分が例えば小学校教師を目指す運命的・宿命的な理由を探し出すということです。
たとえ、専門教科では受験が厳しいから小学校を選んだとしても、自分が小学校の教師を志望し、小学生を幸せにし、そして、自分もそれにやりがいを感じる何かを見出し、想いに高め、それを言葉に紡ぎ出します。
これができなければ、どんなかっこいい言葉を願書に書いても、面接本番で崩壊します。
私は、昔、人事担当の面接官に、受験者の志望動機のウソを見抜く方法というセミナーをやったくらいですから(笑)。
ですから、私は受講生の志望動機はしっかりと鍛えます。
単なる言葉の添削ではなく、その人の教師としての存在理由にまで高めます。
宿命的、運命的なものさえ感じられるようにします。そのために、私は時に、受講生と一つの志望動機のために1対1で何時間も議論します。
何時間も議論して、その人の本当の志望動機を見つけていきます。
たとえ、「仕方なく」がきっかけだったとしても、その人のハートのなかにあるどんなに小さくても本当の志望動機、なぜその校種の教師になりたいのかを本人が100%納得するまで探り続け、考え続け、言葉に練り上げ続けます。
このプロセスは、常にほぼ100%成功します。
どんなに「仕方なく」の要素が強い場合でも、必ず運命的・宿命的な志望動機に行きつけるものです。
ちょうど偶然の出会いから燃え上がるような恋愛が生まれるのと似ています(微笑)。
きっかけは偶然でも、結果は運命であることは多いものです。
今、まさに、皆さんは願書などに志望動機を書いている時期ですね。
どうか、おざなりのウソツキ志望動機は避けてくださいね。
そんな志望動機、面接官は心の中で噴き出しています。
そして、面接でズタズタにされます。
そうではなくて、偶然を運命に変えるような想いのプロセスで言葉を紡いでください。
世の中にそんなに必然は多くありません。
小学校の教師になるために生まれた人間なんていないでしょう。
小学校の教師になるために生きてきた人も少ないでしょう。
ある時、あるきっかけで、ある偶然により、人は小学校の教師を選ぶことがあります。
でも、この偶然がその人の運命になります。
その運命を受け入れ、その運命を自覚し、その運命が自分だけでなく、他者を子どもを幸せにするようなものにすることこそ、志望動機を考えることに他なりません。
そして、これは誰でもできることです。
でも、それは簡単ではありません。
しかし、やらなければいけないことです。
こじつけではない志望動機を心に抱くこと、これが教採の面接で合格を勝ち取る最大の秘訣ではないでしょうか。
そして、心に抱いたこじつけではない志望動機を言葉にできた時に、あなたの合格はより確かになるのだと思っています。
今日のお話を次の言葉で結びます。
必然から奇跡は生まれない。
しかし、偶然からは奇跡が生まれる。
人はその奇跡を運命と呼ぶ。
そして、運命は凡人を偉人に変える。
では、また明日!
河野正夫