このブログでもよく申し上げていることですが、
学び方を学ぶことは重要です。
学びとは、必然的に、学ぶ対象(学ぶ内容)だけを学ぶのではなく、その学び方をも学びます。
そして、学び方がわかれば、自分での学習がどんどん進んでいきます。
学び方を学ぶことが重要だということは、古今東西、往古来今、あまねく知られていることです。
教員採用試験に合格するために学んでいる人も、教採合格のための学び方を学ぶということは、もちろん、重要なことです。
ところで、学び方と、教授法というのは、似ているようで大きく違います。
教授法とは、学校等で学ぶ際の教え方、あるいは、学び方を総称したものです。
教育史を概観した人は、ご存知だと思いますが、
経験主義
学問中心主義
人間中心主義
といったおおきな「くくり」での教授法(カリキュラム)もありますが、
イエナプラン、ドルトンプラン、問題解決学習、プログラム学習、発見学習、完全習得学習、有意味受容学習などなど、提唱者により、様々な教授法(学習法)が提唱され、実践されてきました。
これらの大きな「くくり」の教授法(カリキュラム)、あるいは、提唱者による様々な教授法(学習法)も、それぞれにメリットがあり、それぞれがそれなりに流行した時代や地域もありました。
しかし、重要なことは、特定の教授法(学習法)は、絶対不変のものではなく、時代により移り変わり、場所により千差万別だということです。
現在、というより、新しい学習指導要領の規定により、これからの日本の学校で重要視されるのは、いわゆるアクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)ということになります。
アクティブ・ラーニングの考え方も、優れたところはあります。
アクティブ・ラーニングを、新学習指導要領的に分析した、「主体的な学び」、「対話的な学び」、「深い学び」も、その文字面、あるいは、答申等に書かれているそれぞれの定義を見る限り、ある程度の有用性はありそうです。
でも、教授法(学習法)に飛びつくのは、考えものです。
言い換えるなら、アクティブ・ラーニングを行えば、すべての学習上・教授上の問題は解決するというものではありません。
アクティブ・ラーニングを行えば、すべての子供が、見違えるように学力を向上させ、バラ色の教室が待っているということではありません。
失礼を顧みず、申し上げると、アクティブ・ラーニングもまた、学校教育の世界における、一つの流行りに過ぎません。
50年後の教育史の教科書には、数十年前に提唱されたアクティブ・ラーニングについて、客観的に記述され、その功罪が書かれることになるでしょう。
アクティブ・ラーニングもまた教育史の一部であり、生まれ、流行り、次の教授法(学習法)によって、取って代わられることになります。
私(河野)自身は、アクティブ・ラーニングの有用性を認めながらも、日本の学校におけるアクティブ・ラーニングの成功の可能性は、もしかしたら、あまり高くないのではないかと危惧しています。
アクティブ・ラーニングに特に反対する気持ちはまったくありません。
既に、新学習指導要領でも、導入が決まっているのですから、粛々と、かつ、クリエイティブに実践していけばよいと考えています。
しかし、アクティブ・ラーニングは、教育の現状を劇的に、あるいは、奇跡的に改善する魔法の杖ではありません。
アクティブ・ラーニングと言っておけば、何か良さそうなものに見えるというような、「広告的」な使用のされ方が多いのではないかと、実は、危惧しています。
「アクティブ・ラーニング=学力の向上」ではありませんし、教員採用試験の勉強で言えば、「アクティブ・ラーニング=合格の保障」ではありません。
アクティブ・ラーニングは、学習に関する哲学、あるいは、学習に対する立ち位置であり、成功させるのも、失敗させるのも、指導者の資質、学習者の意欲・既存の学力などによって大きく左右されます。
繰り返して言いますが、アクティブ・ラーニングを行えば、奇跡が起こるというものではありません。
教採塾は、11月の新年度の各講座で、15分1チャプター制を導入します。
筆記試験対策では、概ね、10分レクチャー、5分演習、
面接対策では、概ね、5分レクチャー、10分演習、
ですが、これは、アクティブ・ラーニングを意識したものではありません。
結果として、アクティブな(主体的で、対話的で、深い)学びになるのであれば、それはそれで、素敵なことですが、私自身としては、アクティブ・ラーニングを実践するという意識はありません。
アクティブ・ラーニングは、まだまだ、発達途中の教授法(学習法)です。
アメリカ等で実践されたものが、どれだけ、日本の教育に、あるいは、日本の教育を既に受けた日本の学習者に成功裏に応用できるかは、今後の実践を待つ必要があります。
言葉だけで、アクティブ・ラーニングに飛びつくほど、私は、教育の素人ではないつもりです。
繰り返しておきますが、私自身も、アクティブ・ラーニングの成功を祈る者の一人です。
でも、私自身は、アクティブ・ラーニングの壮大な実験材料に、私の講座と受講生を使うつもりはありません。
教採塾の講座は、教採塾の受講生が、もっとも合格を勝取れる教授法・学習法に乗っ取って指導します。
15分1チャプター制は、厳密な意味では学習法ではありません。
単なるプラットフォームです。
この形式を取ることにより、各受講者にふさわしい学習が可能になります。
アクティブ・ラーニングを気取って、講座を売り込むつもりなど全くありません。
15分1チャプター制は、人によって、「理解・記憶」中心に捉えることもできますし、「思考・表現・判断」中心に捉えることもできますし、もしかしたら、「関心・意欲」を掻き立てるものかもしれません。(ここで使った言葉は、観点別評価の用語ではありません。類似のものがあったとしても、それは意図したものではありません。)
15分1チャプターは、講座を進めるプラットフォームであり、そのプラットフォームという舞台の上で、個々の学習者がどのように学ぶかは、ここの学習者の得意とする方法で学んだほうが学習効率が上がり、学習成果も上がると考えています。
私は、教育学者として、まだ日本では実践の蓄積があまり多くないアクティブ・ラーニングを、教採塾の21歳から57歳という大きな年齢の幅があり、また、バックグラウンドも多様なすべての受講生さんに押し付けるつもりはありません。
アクティブ・ラーニングそのものには、私は、希望を抱きたいと思っています。
でも、希望だけでは、科学的な教授法(学習法)には、なりません。
教採合格のための講座は、教育の実験室ではありません。
教採塾は、常に、科学的に根拠のある方法で、教採合格を勝ち取っていきます。
アクティブ・ラーニングについて学びたければ、いくらでも書籍等をご紹介します。
教採塾は、将来、アクティブ・ラーニングも実践できる人が、教採に合格していただく場です。よく知りもしないアクティブ・ラーニングを実験してみる場ではありません。
学び方を学ぶことは重要ですが、特定の教授法に固執することに大きなメリットはありません。
学ぶ目的を忘れて、特定の形式にこだわる意味はありません。
日本とアメリカで教育学を学んだ、教育学者の河野正夫は、教育を商業的なメッセージで捉えることなく、学問の本質、科学的な試験の合格方法に基づいて、受講生の合格可能性を飛躍的に向上させることを求め続けます。
では、また明日!!
河野正夫
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