教員採用試験対策講座を主催・担当して、今年で15年になります。
これまでに800人以上の教師志望者をご指導しました。
おそらく700名以上は、既に、教師になっています。
教員採用試験対策講座は、いわゆる「受験講座」です。
教員採用試験という試験に合格するための講座です。
その意味では、私が主催・担当してきた講座は、かなり優秀な成績を示してきました。
さて、現在、私が代表・主任講師を務める教採塾の各講座には、多くの受講生が集まってきます。
受講生の割合は、概ね、大学生(院生を含む)が3割くらい、講師・臨採をしている人が6割くらい、民間企業在籍者等が1割くらいでしょうか。
教採を受験するわけですから、皆さん、教員免許状を取得、あるいは、取得見込みです。
教育に対する情熱も意欲も皆さん、あります。
ほとんどの方が、受講までに教壇に立った経験があります。(教育実習を含む。)
特に、講師・臨採をしている皆さんは、まさに、現任の「先生」であり、日々、教育に勤しんでいます。
ところが、教員採用試験のための勉強というと、こういった教師志望者のすべての皆さんが、いわゆる暗記中心の「受験勉強」をしようとします。
教員採用試験のためには、概ね、教育原理、教育法規、教育心理、教育史、教育時事、一般教養、専門教養などを勉強する必要があります。
でも、皆さん、高校受験や大学受験でやったのと同じ暗記中心の「受験勉強」をします。
理解せずに、ただただ、暗記しようとします。
むしろ、どうせ教採の筆記試験が終わったら必要ないのだから、教採本番までは暗記しておいて、あとは忘れると覚悟を決めています。
つまり、教採後に活かせる学び方を全くしていません。
これらの教師志望者の皆さんは、すべて、教師になったら、アクティブ・ラーニングなり、主体的・対話的で深い学びなり、児童生徒中心の学びを実践しようと意欲に燃えています。
新しい学びの在り方を追求しようと、本物の情熱を持っています。
でも、自分自身が教採の勉強をするときには、暗記中心の「受験勉強」になってしまいます。
もちろん、背に腹は代えられない、という思いがあるのかもしれません。
本音と建て前ということなのかもしれません。
もしかすると、暗記中心の「受験勉強」以外の勉強法を知らないというのが本当の理由なのかもしれません。
いずれにしても、自分の受験のことになると、学び方が、暗記中心に無味乾燥なものになります。
試験だから仕方がない!という理屈が成り立つのであれば、中学生だって、高校生だって、定期テストや入試があるのですから、暗記中心の「受験勉強」を中心にしてもよいことになります。
昭和風のコメディに出てくるような、「はい。ここ、テストに出るよ!」というのが最大の動機づけになります。
いま、教師を目指す人は、「はい。ここ、テストに出るよ!」という言葉だけを子供たちへの動機づけにしたい人はいないはずです。
生徒中心の、課題発見・課題解決型の学び、あるいは、生徒が自ら考え、自ら学ぶ学習方法を追求したいと思っているはずです。
でも、自分の教採受験は、暗記中心の「受験勉強」になってしまいます。
暗記中心の「受験勉強」は、苦行です。
我慢して、耐えて、時間を割いて行う苦行となります。
暗記中心の「受験勉強」は、試験が終わると、意味をなさなくなります。
苦行で暗記したものは、短期間で崩壊します。
暗記中心の「受験勉強」は、学ぶ意義や学ぶ喜びを感じません。
ただ、試験のために勉強する強制感がいっぱいの学びです。
きっと教師志望者が、子供たちに最もやらせたくない勉強方法を、教採の受験勉強で採用しているわけです。
しかし、これは、教師志望者が悪いわけではありません。
教採受験の周囲にある、多くの参考書・問題集、そして、多くの教採対策の予備校や塾の態度にも責任があります。
教師志望者に、単なる暗記中心の「受験勉強」を提案し、強制しています。
受験参考書・受験問題集、そして、教採受験用の予備校や塾は、暗記中心の「受験勉強」以外の学習方法を知らないかのように、昭和風の受験勉強しか提案しません。事実上の学び方の強制です。
教師志望者は、教採の勉強をすればするほど、受験者マインドになります。
いまやっていることは、教採の受験のためだけの勉強で、教採が終わったらすべて忘れることを前提に勉強しています。
壮大な時間の無駄遣いです。
教採塾は、創設以来、このような勉強方法を排除してきました。
教採塾の講座での学びの基本は、
認知ー理解ー記憶ー活用
のサイクルからなります。
まずは、新しい知識に出会う「認知」のステップ
そして、その知識や周辺知識を有機的に考える「理解」のステップ
さらに、認知し、理解した事柄を頭の中に留める「記憶」のステップ
最終的には、学んだことを、実際に使ってみる「活用」のステップ
このサイクルで学ぶということは、単なる暗記ではありません。
学んだことは、理解できています。
学んだことは、自分の知識として、記憶できています。
学んだことは、実際の試験問題を解くとき、そして、その他の多くの場合に活用できます。
そして、学んだことは、教採の筆記試験が終わっても、長期間にわたって、その人の知識と教養となります。
河野正夫の教職教養の講座は、15年も前から、かなりの人気でした。
単なる自慢ではありません。
講義が楽しく、講義が分かりやすく、講義内容が、教師になってからも使えると評判でした。
もちろん、合格率も合格者数も誇れるものでした。
いまでも、10年前、12年前の受講生が、言ってくれます。
「あのとき、河野先生に教えてもらった知識が、いまでも役立っていますよ。」
受験勉強はこうでありたいと、私は考えています。
受験終了とともに、すべての学びが崩壊する、暗記中心の「受験勉強」ではなく、試験にもトップ水準で合格し、なおかつ、生涯、役に立つ知識と教養を学んでほしいと願っています。
さらに、私の講座は、楽しいのです。
ごくたまに、教採に合格して、既に正教諭になっている人が、受講してくれます。
どこか他の自治体に移るのかと聞くと、そうではないのです。
私の講座が楽しいので、わざわざ受講料を支払ってまで受講してくれるのです。
中には、受講している途中で、私学などで正式採用が決まる場合もありますが、その場合でも、私の講座を最後まで、受講料を払って受講したいと言ってくれる人もいます。
理由を聞いたら、
「河野先生の講義でのお話が好きなんです。」
と言ってくれました。
先日、今年度のある受講生さんと食事をしました。私が、講座を10か月受講してみて、どうでした?と聞くと、その受講生さんは、
「毎回の講座が楽しみでした。早く講座日にならないかなとワクワクしていました。」
と言ってくれました。
本当にありがとうございます。
私は、学びは、いかなる場合でも苦行ではいけないと考えています。
私は、学びは、いかなる場合でも、楽しく、人生にとって意味があるものでなければいけないと考えています。
私は、学びは、たとえ受験のための学びであっても、受験は軽々と高得点で合格を決めながらも、生涯、役に立つものでなければいけないと考えています。
上記のことは、教員採用試験の受験だけでなく、児童生徒の定期テスト、入試のための勉強についても言えることです。
試験のためだけの暗記中心の勉強は、学びの結果が短期間で崩壊するだけでなく、苦行であり、意味のないものです。
教採塾の受講生の皆さんは、決して、学びを忘れた「教師たち」にはなりません。
自らが信じる学び方、自らが楽しい学び方、自らが生涯続けたい学び方で、堂々と教採合格を勝ち取り、優れた教師になっていきます。
世の中には、本音と建前があると言いますが、学びには、本音と建前があるべきではありません。
学びを知る教師がもっともっと増えるために、楽しく教採に合格する人がもっともっと増えるために、素晴らしい教育をする教師がもっともっと増えるために、私は、これからも全力で講座を主催・担当するつもりです!!
では、また明日!!
河野正夫
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