先日、受講生と話していて、心の底から驚き、そして、ふつふつと「怒り」が込み上げてきたことがあります。
もちろん、その受講生に対する怒りではありません。
その受講生が受けた無責任な助言に対しての怒りです。
その受講生さんは、40歳代の方。
その方なりの人生を歩まれて、40歳代で、教採に挑戦されます。
ある日、その受講生さんは、先輩教師や管理職に、教採の面接に関して、アドバイスを求めたのだそうです。
すると、先輩教師や管理職からは、「目立たないようにした方がよい」と助言をもらったとのこと。
「目立たないようにした方がよい」という助言に私は耳を疑いました。
特に、その受講生さんが、いつもものすごく派手で、エキセントリックな行動をしているというのならば、わからないではないですが、その受講生さんは、冷静で、真面目な方でした。
「目立たないようにした方がよい」とは、要は、無難に行けということです。
無難とは、誰でも話すようなことを、誰でも話すように言っておけということです。
自分らしさを出さず、個性をアピールせず、平均的なことを言っておけということです。
私は、この助言に対して、怒りがふつふつと沸いてきました。
この助言をした人は、この受講生さんがこの助言を真面目に守った結果、不合格になったら、その結果に対して、責任を持てるのでしょうか?
責任が持てないのであれば、いい加減な助言をするべきではないし、自分の思い付きで、他人の一生をぶち壊すような助言は、犯罪行為にも等しいとまで、私は感じます。
40歳代で、その人なりの人生を生きてきて、あらためて、教員採用試験を受験されるというユニークなバックグラウンドを持っている受験者が、ただただ目立たず、無難に、平均的に、教採の面接を受けて、合格するわけがありません。
その受験者に何も光るところ、輝くところがないのであれば、40歳代の人を合格させ、採用するメリットはありません。
教師としての経験者でもベテランでもないこの40歳代の人を、何のメリットもないのに、合格させるなんてあり得ません。
この受験者が合格するとすれば、その人の熱い想い、その人の圧倒的な人間的魅力、語り口の爽快さなど、何か、「目立つ」良さが必要です。
何か「目立つ良さ」がなければ、合格などあり得ません。
しかし、この受験者の先輩教師や管理職は言います。
目立たない方がいい。
まったく無責任な助言であり、この受験者の将来を潰すような愚かな助言です。
面接官を経験した管理職でも、普段は優秀な先輩教師でも、面接に関してのアドバイスは、概ね、平凡であることが多いようです。
無難にいけ。
目立つことは言うな。
ユニークなことは言うな。
ならば、受験者はどこで合格するのですか?
なぜ教師を目指すのですか?
という質問に、
恩師に憧れたからです。
と答えるのですか?
40歳代の受験者が???
あなたの長所は何ですか?
という質問に、
ぶれない心です。
と答えるのですか?
40歳代の受験者が???
こんな愚かな助言をバカ真面目に守っていては、自分の人生を台無しにします。
自分の人生を切り開き、教採合格を勝ち取るためには、自分らしいユニークさ、自分らしい輝きを、面接官に評価してもらう必要があります。
そのための戦略が必要です。
そして、これは、40歳代の受験者だけにかかわることではありません。
大学生でも、大学院生でも、講師をしている人でも、臨採をしている人でも、まったく同様のことが言えます。
目立たず、無難に、平均的なことを言っていては、採用はされません。
目立たず、無難に、平均的なことをしていろ!というのは、採用された後に、大した出世はしなくてもいいから、定年まで勤めたい人へのアドバイスですよ。
目立たず、無難に、平均的なことだけでは、採用はされません。
そして、何より、目立たず、無難に、平均的な教師から、教わる子供はかわいそうです。
幸いにも、この受験生は、教採塾の講座を受講してくださっていますので、教採塾は、全面的にこの方の合格をサポートします。
教採塾の受講生は、
目立たず、無難に、平均的なことだけを言う受験者
には、絶対に負けません。
教採塾の受講生は、
人間的魅力にあふれ、聞く人を魅了し、その人らしい想いを語る受験者
として、教採の面接に臨みます。
そして、教採合格を勝ち取り、教壇に立った後も、子供たちのために、素晴らしい教育を展開し続けます。
教採塾の受講生は、堂々と、かつ、魅力と自信にあふれた姿で、教採を合格し、堂々と、かつ、魅力と自信にあふれた姿で、教師として活躍し続けます。
これが、教採塾15年の歴史でした。
これからも、教採塾は、この歴史をさらに発展させていきます。
では、また明日!!
河野正夫
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