社会人・職業人は、信用・信頼が基本です。
長年築いてきた信用・信頼も、たった1回のミスやマナー違反ですべてが崩れさってしまうこともあります。
また、初めて接する場合でも、その時に、大きなミスやマナー違反があったら、二度と会ってもらえないかもしれませんし、信頼関係を築くことができないかもしれません。
ここが小学校・中学校・高等学校などに在席している児童生徒とは違うことです。
子供は、ミスをしても、マナー違反があっても、それで終わりではありません。過ちは改め、反省をそれからの行動に生かします。
子供がするいわゆる悪いことは、次の学びの出発点となります。
でも大人は違います。特に、社会人・職業人は違います。
信用・信頼を失えばそれで終わりです。
ここで、誤解している人がいます。
「それで終わり」というのは、そこで付き合いがなくなるとか、口もきいてもらえなくなるということではありません。
大人の付き合いの場合、何かミスやマナー違反があったからといって、その場で叱責をしたりケンカをしたりはしないものです。
すぐに仕事の関係や人間関係が消え去ったりはしません。
でも、心の中で、「こいつはダメだな」と思います。そして、二度とその人を信用し、信頼することはなくなります。
仕事の関係や人間関係はあるけれども、それはあくまでも契約や状況によるもので、心の中では、その人とは完全に一線を引くことになります。
これが大人の世界、社会人・職業人の世界の厳しさです。
大人の世界、社会人・職業人の場合、例えば、次のようなことをしたら、たぶん、「こいつはダメだな」と思われます。思っている人は、仕事上、表面には出さないかもしれません。言葉にはしないかもしれません。でも、心の中では、「こいつはダメだな」と思って、その人とは一線を引いてしまいます。
支払いの期限を守らない。
欠席や遅刻を繰り返す。
口ばかりで何も成果を出さない。
いつまでも子供のように甘える。
自分で調べたり判断せず、いつもわかりきったことを聞いてくる。
電話の対応がまるでなっていない。
メールの書き方がLINEと同じ。
上記のようなことをしていたら、社会人・職業人の世界では、誰からも相手にされなくなります。
表面上は付き合っていても、それは表面上だけです。
心の中では、「こいつはダメだな」と思い、一線を引いています。
私(河野)の場合ですと、そうですね、講座を複数回、欠席する人とは一線を引いてしまいます。
もちろん、1回や2回、病気や学校行事で欠席して、補講するのは誰にでもあることです。
しかし、それが、3回、4回と続き、しかも、別校舎や別時間帯の補講ではなく、課題チャレンジ補講ばかりを選んでいる人とは、完全に一線を引いています。
確かに、補講は受講生の権利ですから、権利を行使されるのは当然です。でも、講座を受講しておきながら、講座に複数回、来ない人を、私は信用しませんし、信頼もしません。
受講生が権利の範囲内で行動していても、社会人・職業人としてダメだなあと思うと、私はそういう人とは一線を引いてしまいます。
特に講座で差別的な待遇はしませんし、何かペナルティがあるわけでもありません。
ただ、「この人はダメだな」と思い、親しくなりたくないなと思うだけです。
でも、教採合格を目指す講座で、担当講師から、「この人ダメだな。」と思われ、一線を引かれ、親しくなりたくないなと思われたら、もう終わりです。
その講師は、講座での通常講義などの通常業務以外で、その受講生を合格させたいとは思わないでしょうし、通常業務以外の支援など決してしないでしょう。
社会人は、契約だけで生きているわけではありません。
契約上はここまでだけど、この人は頑張っているから、これを助言してあげようとか、あれを紹介してあげようとか、そういうエキストラの部分が真の成功をもたらします。
でも、学校教育にどっぷりとつかり過ぎている人は、大人になっても、社会人・職業人になっても、児童生徒のように、どんなミスをしても、どんなマナー違反をしても、許してもらえると思っています。見守ってもらえると思っています。
大人は無理ですよ。
社会人・職業人は無理ですよ。
一度、信用・信頼を失ったら、もうそれまでです。
表面上は何も変わっていないように見えても、心の中では、完全に見捨てられています。
そんなこともわからない人が、最近、多すぎるような気がしています。
私の杞憂ならよいのですが。。。
では、また明日!!
河野正夫
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