教師になろうとしている人に、聞いてみたいと思う質問があります。
あなたは学ぶことのプロですか?
言うまでもなく、教師は、教えることのプロです。
教えることが苦手・下手では、そもそも教師にはなれないでしょう。
でも、私には、教えることがプロの教師は、必ずしも、学ぶことのプロにはなっていないような気がするのです。
教師になりたいと強く願っている人は、教えることが好きで、子供と関わることが好きで、子供の成長を見守りたいという強い想いを持っています。
それはそれで素晴らしいことです。
ところが、その教師志望者が、自分自身の学びとなると、随分と学び下手なのではないでしょうか。
教師志望者は、子供に教える時には、子供の主体的な学びを大切にしたいと言います。
教師志望者のほとんどは、アクティブ・ラーニングや学び合い、多くのアプローチを活用して、子供が考え、表現し、意味ある学びを成立させようと願っています。
教師志望者のほとんどは、知識を丸暗記するだけの学習など、子供にはさせたくないと真剣に思っています。
教師志望者のほとんどは、受験のためだけ、試験のためだけの勉強ではダメだと心底、思っています。
ところが、そうした教員志望者が、教員採用試験の勉強をするときは、旧態依然とした丸暗記中心の勉強しかしません。
「背に腹は変えられない」と言わぬばかりに、典型的な受験勉強をします。
それが上手くいけば、結果オーライということになるのかもしれませんが、そう簡単に結果オーライにはなりません。
教員採用試験に何度も不合格になっても、旧態依然とした丸暗記中心の勉強ばかりしています。
受験勉強も、学びの1つです。
受験勉強には、主体的な学びも、アクティブ・ラーニングも、学び合いも必要ないということは決してありません。
学びは、普遍的に共通する部分があります。
教師志望者は、自分が教員採用試験の勉強をする時には無味乾燥な丸暗記中心の勉強しかしていないのに、教師になったら子供たちに主体的なアクティブな学びをさせたいと言います。
はっきり言って、ダブルスタンダートです。
もっと厳しく言えば、偽善者です。
自分にとって一生の仕事を決めるような試験の勉強の際に、丸暗記中心の、試験が終われば全てを忘れてしまうような勉強方法ばかり取っておいて、教師になったら、子供が一生涯使えるような学びを指導するなんて、できるはずがありません。
子供にとっても、中間試験や期末試験、そして、入学試験は、とても重要な試験です。
その試験のために、子供も真剣に勉強します。
そんな時に、丸暗記だけで教採合格を勝ち取った教師は、「丸暗記だけの試験勉強ではダメだ!」と言うのでしょうか?
丸暗記以外の意味ある試験のための勉強方法を提案できるのでしょうか?
合格するのならば、丸暗記でも仕方がないと思っている人もいるでしょう。
でも、そんな人は、子供の学びを支える教師には決してなれません。
こう言うと、教採は教採だ、教師になったら本物の学びに挑戦する!と反論してくる人もいるでしょう。
でも、子供たちにとっても、定期試験や入学試験は一生を決める試験かもしれません。
子供たちが、試験は試験、丸暗記でいく、と言ったら、それを奨めるのでしょうか?
試験とは、子供たちのそれまでの学習の評価ですから、結局は、子供の学習の評価は、丸暗記の学習の結果で決まるということなのでしょうか?
私は、ダブルスタンダートな人を信用しません。
私は、偽善者を軽蔑します。
ダブルスタンダードな人は、教師に向いていません。
偽善者は教師になるべきではありません。
教師志望者は、学ぶことのプロであるべきです。
教師志望者は、学ぶことのプロになるべきです。
教師になろうとしている皆さんが、受験勉強も学びのひとつであり、無味乾燥で、苦痛で、試験が終わったらすべてを忘れてしまうような勉強ではなく、学ぶ意味があり、楽しく、試験の後も役に立つ学習方法があるということを、子供たちに示してあげてください。
子供たちは、皆さんを見ています。
恐縮ながら、私も皆さんを見ています。
誰が教師に向いているのか、誰が教採に合格しそうなのか、誰が学ぶことのプロと言えるのか、よく見ていれば、すぐに分かります。
誤解しないでいただきたいのは、私は重要項目や知識を覚えることに反対しているのではありません。
重要項目や知識は理解した上で、記憶してほしいと言っているのです。
理解もしていないことを上っ面の言葉だけ丸暗記しても何の意味もありませんし、すぐに忘れてしまいます。
私は常に言っています。
知識は重要です。
教養は宝物です。
多くを知っている人こそ、教師にふさわしい人です。
でも、丸暗記ではダメです。
教師を本気で目指している皆さん、どうか、学ぶことのプロになってくださいね!!
では、また明日!!
河野正夫
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