面接の語りは,あまりにも,ぎこちないというのではいけませんよね。
ぎこちなさ過ぎては,せっかくの想いも言葉も,相手の心には響きません。
その意味では,
自然に話す
ということは,極めて重要なことです。
ここで,よく議論になることがあります。
面接の指導者の中には,しばしば,
面接は練習し過ぎてはいけない。
ということを言う人がいます。
確かに,ある意味では,このアドバイスは正しいと言えます。
つまり,中途半端な練習をすることによって,ぎこちなさや,悪い癖や,思い出し口調が,語りの表情に,見られるようになっては,本末転倒ということになります。
練習は,徹底してやれば,自然な語りを達成できますが,中途半端な練習では,ぎこちなさや,悪い癖や,思い出し口調が固定される恐れがあります。
つまり,練習をするのなら,自然な語りに到達するまで,やるべきなのです。
自然な語りに到達する前に,練習をやめてしまっては,語りはぎこちなくなってしまう可能性が高いのです。
しかし!!
語りの力の上達のためには,練習は,絶対に必要なのです。
実は,
練習し過ぎてはいけない!
というのは,あまり,賢明なアドバイスとは言えないのです。
重要なのは,練習の質と量です。
練習の質というのは,自然な話し方ができるようになるためには,どうすればよいかという方法論や技術論を踏まえた練習になっているかどうかということです。
練習の量というのは,自然な話し方ができるようになるまで,その域に到達するまで,練習を続けるということです。
プロフェッショナリズムの低い人は,すぐに,
練習せずに,自分らしさを出せばいい。
などと言いますが,準備も練習もない,「自分らしさ」なんて,クオリティの低いぶっつけ本番みたいなものです。
ぶっつけ本番を正当化するための言い訳が,「練習せずに,自分らしさを出せばいい。」に過ぎないのではないでしょうか。
自然とは,準備をしない,練習をしないことの言い訳ではありません。
芸術でも音楽でもお茶でもお花でも,自然な形になるには,ものすごい準備や練習が必要ですよね。
自然な味を出す職人芸の裏には,ものすごい労力と計算と工夫があります。
何もしないで,ぶっつけ本番に臨むことが,自然だと思っている人は,考え直すことが必要ですね。
練習をせずに,ぶっつけ本番に臨むことは,自然ではなく,雑然です。
雑然には,美はなく,魅力はなく,力もありません。
でも,このブログ記事の最初で述べたように,中途半端な練習では,ぎこちなくなってしまいます。
では,どうすれば,自然さを最大限に発揮することができる練習になるのでしょうか?
計算された練習とは,どんな練習なのでしょうか?
面接の練習における計算された練習とは,どんな練習をすることなのでしょうか?
続きは,明日のブログ記事で,書いていきますね!!
お楽しみに!!
では,また明日!!
河野正夫
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