89歳でした。
16年前に、動脈瘤で、片足を切断してから、過去16年間、病気と闘い続けた父でした。
死因は胸部大動脈瘤破裂という、持病の最も危険だった爆弾が破裂するというものでした。
しかし、本人も気づかないくらいの一瞬の瞬間での死だったということで、安らかな顔をしていました。
入院していた父に、私が最後に会ったのは、1月8日金曜日の午後のことでした。
週末の、英語特訓講座、総合対策講座、2次試験対策講座の準備の合間に病院にお見舞いに行きました。
父の病室に滞在したのは、わずか10分くらいでした。
父はいつものように、「仕事が忙しいのに、わざわざすまないねえ。」と私を労ってくれました。
父の病室の冷蔵庫にある栄養ドリンクを私に勧めてくれました。
「飲んで元気になりなさい。」
そう言う父に、私は「食事をしたばかりなので」と言って、栄養ドリンクをもらいませんでした。
今となって振り返ってみると、あの時、素直に栄養ドリンクをもらって飲んでおけばよかったと後悔しています。
病気でずっと入院している父が、私の健康を気遣って勧めてくれた栄養ドリンクでしたので。
そんな父が、私と最後に会った日に、私にかけてくれたもう一つの言葉は、次のようなものでした。
「自分の病気のことで、仕事を止めないように。若者への教育は止めることなく続けて欲しい。」
重病の体ながら私の健康を気遣って、栄養ドリンクを進めたり、自分のことよりも、教員志望の受講生の皆さんのことを気遣うような生真面目な父でした。
振り返ってみると、私が教育学部を志望した時も、父は喜んでくれました。
アメリカで教師をした時も、大学教員になった時も、広島教採塾を主宰し教員志望者をサポートする仕事を始めた時も、父は応援してくれました。
私が教育に携わるのを、死ぬまで応援し続けてくれた父でした。
そんな父の遺言が、「
若者への教育は止めることなく続けて欲しい」でしたので、私は喜んで、その遺命に従います。ですから、今回の父の死去に伴うスケジュール変更も、1月12日に予定されていたプレミアム個人レッスンのお一人にだけにとどめました。
その他のレッスンのアポイントメントは、予定通り行います。
また、父が、「気を付けて行ってらっしゃい」と言ってくれた1月16日の東京面接校も予定通り、開講します。
父の死後、6日後に開講する東京面接校を大成功させることが、父への供養、父への孝行になると思っています。ですから、1月16日の東京面接校は、いつもより格段に、情熱を込めて、想いを込めて、力を入れて、面接の特訓を行います。
1月16日の東京面接校にご参加くださった全ての方に合格していただくことが父の遺命に従うことだと感じています。
父は、顔も名前も知らない、教員を目指している皆さんのことを、本当に応援していました。
次の世代を育てる教師という仕事を尊敬していました。
だからこそ、父は、自分の病気を理由に、若者への教育を止めてはならないといつも言っていました。
今、私は、このブログを、父の遺体を安置している部屋の隣で書いています。
きっと父も天国から、このブログを読んで、少し恥ずかしがりながらも、東京面接校の成功、そして、広島教採塾の全ての受講生の皆さんの教員採用試験の合格を願ってくれていることでしょう。
昨夜、一人の老人がなくなりました。
でも、その老人は、常に、次の世代の若者の成長を願っていました。
私は、そんな父の願いを胸に、これからも次の世代の教師を目指す人をサポートし続けていきます。
東京面接校、大成功させますよ!!
広島教採塾の全ての受講生さんに、教採合格、勝ち取っていただきますよ!!
天国のお父さん、見守っていてくださいね。
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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