英語のセンスとは、英語文化圏に住んでいる人が語る英語を、文化的な背景も含めて理解することができ、また、英語のネイティブスピーカーを、英語で語りかけることによって感動させることが可能なレベルでのプロフィシェンシーということです。
ウィットある会話、感動させるスピーチ、歴史・伝統・文化・芸術を踏まえた英語表現などを、双方向で効果的にできるレベルでの英語運用能力を目指します。
とかく英語を話すときは、中学生レベルの英語で良いとか、単語を並べて話すだけで良いとか、といったような愚かしい都市伝説を葬り去って、人を感動させ、記憶に残り、品格ある英語が話せるような演習をしていきたいと思っています。
通じればいいなんていう言語運用では、話になりません。
母語である日本語なら、絶対に通じるだけでいいなんて言いませんよね。そこには、エチケットがあり、マナーがあり、また、TPOや、ときには、大人の上品さや、あえて仕込んでいく慇懃無礼さといった言葉の妙技があります。それこそが、コミュニケーションの機微であり、また、言葉の持つ魅力でもあります。
私たちが母語である日本語を話すときには、ただ事実(データ)としての情報を伝達するだけでなく、いかにそれを効果的に、あるいは、丁寧に、あるいは、それとなく伝えるといったことを常に考えます。
ただ単に事実が伝わればいいなんて考えることはありません。
しかし、英語になると急に、「伝わればいい」とか「中学生レベルの英語で構わない」などと言い始めます。
「言葉使いの言葉知らず」とは、よく言ったものです。
このような愚かな言説に惑わされることなく、センスある英語を話せるようになることがとても重要です。
日本人だからそこまで英語が上手くなくてもという議論はあるでしょうが、それは、一般の日本人ならという議論です。
英語教師は、英語の上手な使い手である必要があります。
英語のセンスがない英語の教師なんて、まったく価値がありません。
英語力がなく、英語のセンスがなく、受験英語しか知らない人が英語教師をやっているのは、不幸なことです。
また、ただの挨拶言葉を中心とした、ストリート・イングリッシュしか話せない英語教師も困りものです。
英語は言語です。
言語は文化の基礎であり、文学の土台、文明社会の根幹でもあります。
英語の文化を知らず、英語の文学を紐解かず、英語の文化・文明に無関心な人の英語は、単なる情報の伝達ツールです。それなら、そんな人から英語を学ぶよりも、電子辞書か、グーグル翻訳の方がよっぽどマシです。
結局、英語に自信がない人は、講師経験を積んで、英語の専門教養の筆記試験を免除してもらって、教員採用試験を受けようとします。
また、専門教養の筆記試験を受けるときにも、最初から、リスニングセクションは放棄して、回答したりします。
自分が英語ができないと知っていて、英語を回避して、英語教師になる人が存在することは、とても悲しいことです。
11月からの英語特訓講座では、英語のセンスを身に付けていただき、人の心を動かす「英語での語り方」を身に付けていただきます。
英語に自信を持ち、英語でなら英語のネイティブスピーカーにも負けないという余裕を持って、英語の教師になっていただきたいと思っています。
今年の英語特訓講座は、次の5人の方がいました。
現職の英語正教諭・・・英語のセンスを身に付けるためにご受講いただきました。
現役大学生・・・1次試験を合格されました。
現役大学生・・・1次試験を合格されました。
現職の講師・・・1次試験を合格されました。
現職の講師・・・来年も引き続き、英語特訓講座をご受講いただく予定です。
合格者数としては、5分の4ということになりますが、そんな数字よりも重要なのは、この5人の方が、英語のセンスや、英語での語りの力、英語で語って人の心を動かす、英語のネイティブスピーカーにも負けない語りに自信を持ち始めていらっしゃるということです。
まだまだ、完成形とは言えないかもしれませんが、英語に自信を持ち始めるということは重要なことなのです。
それも、受験英語や資格英語ではなく、本物の英語のセンス、英語で人を動かす語り方に自信を持ち始めたということは、これからは、英語は上達し続けるということを意味しているのですから!!
11月からスタートする英語特訓講座、ご興味があれば、是非、ご受講してくださいませ!!
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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