情報伝達することと、コミュニケーションすることは、違いますよ!!

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先日、ある英語教師志望者とお話ししている際、その英語教師志望者が次のように言いました。

英語は単語をただ並べるだけでも通じるんです。例えば、5時にパブに行きたいというとき、例えば、five o’clock、pub、goと言えば、確実に通じます。だから、単語だけでも英語でコミュニケーションはできるんです。

私は、この話を聞いて、大きな違和感を感じました。

コミュニケーションとは、事実という情報だけを伝達する営みなのでしょうか?

確かに、five o’clock、pub、goと言えば、5時にパブに行く、という情報の基本的な要素は伝わるかもしれません。

しかし、そこには、「一緒に行きましょう」とか「パブに行くという先約があるのです。」といった、本当に伝えたい想いが表現されていません。

私たち人間のコミュニケーションは、事実だけを伝えて、それに伴う想いや感情を一切伝えないとうことは、ほとんどありません。

コミュニケーションは、事実を伝えるというよりは、想いを伝えるという側面の方が圧倒的に多いのです。

5時にパブに行くという事実だけを伝えることは、実は、あまりなく、例えば、

5時にパブに一緒に行きましょう。

5時にパブに行くことになっているので、ご一緒できないのです。

5時にパブに行くので、緊急の要件があれば、そちらに来て欲しい。

などなど、想いや願いを伝えます。

そして、言葉を使うということは、その想いや願いが、もっとも適切にかつ効果的に伝わることを目的にしています。

ですから、ただ、単語を並べて、情報としての意味させ通じればいいというのは、コミュニケーションのそもそもの役割を取り違えています。

たとえ外国である英語であっても、コミュニケーションの手段として使う以上、単語だけ並べて、事実としての情報だけが伝わることで満足していては、英語を話す意味がありません。

単語でけ並べるような無機質の語りでは、人間関係は構築できませんし、他人から認知されうる自分らしさや、社交的なやりとりはできません。

もし誰かが、

It is hot today.

と言ったら、

Would you like a glass of water?

などと声をかけたいものです。

Hot!

Yes!

といっただけの会話には、コミュニケーション的な価値はあまり見出せません。

また、言葉はその人の人格、人間性、気品などを表します。

英語でも、その人の教養、上品さ、優しさなどを表現することができます。

自分の人となりを表現できない語りは、無機質で、退屈で、表層的な語りです。

母語である日本語では、言葉が相手に与える印象をとても気にするのにもかかわらず、外国語である英語を話し始めた途端に、そういった配慮をゼロにして、単語だけでも通じるといった誤った言語観を振り回すのは、ちょっと思慮が足らないように思ってしまいます。

情報伝達とコミュニケーションは違います。

英語でも、本来の意味でのコミュニケーションが成立するような話し方をしたいものですね。

では、また明日!!

広島教採塾
河野正夫

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