“Hope for the best, but prepare for the worst.”
(最善を望み、最悪に備える。)
これは、アメリカ軍の戦略の基本でもあるそうです。
さて、教員採用試験の受験者の最大の欠点は、”Hope for the best”(最善を望む)ことしかしないということです。
“Prepare for the worst”(最悪に備える)ことができていないのです。
具体的に言えば、ある県の小学校の模擬授業の試験で、過去4年間、算数が出題されていたとします。しかし、その4年間の前は国語だったとします。
「最善を望む」という心からは、「今年も算数だろう。だから、他の教科は出題されないから、勉強しなくてもよい。」となります。
でも、「最悪に備える」という観点からは、「もし、今年、また国語に回帰するのであれば、恐らく、詩の分野が出題されるだろうから、それへの備えをしておこう」となります。
実際、昨年のH島県の教員採用試験の小学校の模擬授業では、4年続いた算数から、国語に回帰し、詩が出題されました。
そして、昨日あったO山県の教採でも、同様のことが起こりました。
O山県の教職教養は、例年、教育心理と教育史は出題されていませんでした。
しかし、今年から、いわゆる一般教養が廃止され、教職教養だけになりました。
「最善を望む」心は、「やった!一般教養がなくなった。ということは、教職教養は、教育原理と教育法規だけをやればいいんだ!」となります。
ところが、「最悪に備える」観点では、「一般教養が廃止されたのだから、教職教養で、教育心理と教育史が出題される可能性が高まる」となります。
差はここで開きます。
ここが合格者と不合格者の大きな違いです。
不合格者は、「最善を望む」ことしかしてきていません。
合格者は、「最悪に備える」ことができています。
最善を望みながらも、最悪に備えることができない人は、教師としての職務はできません。
教育は、常に最善を望みながらも、最悪に備えておかなければならないからです。
私は、常に、「最悪に備える」ことを奨めています。
O山県を受験する受講生には、教育心理や教育史の教材も渡しています。
それをやっていた人は、昨日の教職教養でも困ることはなかったでしょう。
以前に、「受験生になり下がるな!」という記事を書いたことがありますが、最善を望んだ勉強しかできないというのも、「受験生になり下がる」典型例と言わざると得ませんね。
Hope for the best, but prepare for the worst.
(最善を望み、最悪に備える。)
これこそ、合格の秘訣です!!
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
コメントはまだありません