すべての語りで、最も重要なことも、自分の軸を持つことに他なりません。
自分の軸を持たず、面接で質問されたら、その都度、考えて、「とりあえず」話すから、語りがダメダメになるのです。
「ありのままの自分を出してくる」なんて、愚の骨頂です。
もちろん、「ありのままの自分」が、自分の軸を確立し、自分の想いを確固たるものにし、それを伝わる言葉というカタチにした上で、何十回、何百回と面接の語りの練習をし、磨き上げた自分というのであれば、その「ありのままの自分」で合格を勝ち取ることは可能です
ろくに準備もせず、想いも固めず、言葉も練らず、何もしていない自分をごまかすために「ありのままの自分を出してくる」などと言っている人は、実のところは、「負け犬の遠吠え」です。
能力や資質は、綿密な準備と演習で身に付くものです。
相手に伝わる語りも、綿密な準備、想いの構築、そして、言葉というカタチに磨き上げることで完成します。
何もせず、ただ、「ありのままの自分」で勝負すると言っているのを聞くと、「あなたは、そんなに偉いの?準備も練習もせず、高評価をもらえるほど、もともと立派な人だったの?」と意地悪して聞いてみたくなります。
「ありのままの自分」で勝負に勝つことは絶対にできません。
練習もせず、スポーツが上手になることはありません。
練習もせず、楽器の演奏が上手くなることはありません。
練習もせず、語学が上達することはありません。
こういうときは、練習の重要性を自覚しているのに、面接の語りになると、「ありのままの自分」などという逃げに走ります。
プロの選手は、練習もせず、準備もせず、「ありのままの自分」で競技しているのでしょうか?
プロのピアニストは、練習もせず、準備もせず、「ありのままの自分」で演奏しているのでしょうか?
「ありのままの自分」論をすぐに持ち出す人は、無能かつ怠惰かつ卑怯かつ臆病な人です。
厳しいことを言って、ごめんなさい。
でも、真実です。
もし、教員採用試験の面接に出かける人に声をかけてあげるときは、
「ありのままの自分を出してきて。」
なんて言ってあげないでください。
それよりも、
「準備した成果を出してきて。」
と言ってあげてください。
苦しい練習を重ね、綿密な準備を重ねた人は、その結果としての自分を、単なる「ありのままの自分」とは認識していないはずです。たとえ、「ありのままの自分」という言葉を使ったとしても、その背後には、「何百回の練習と、何千回の演習の成果としての今の自分」という意識があるはずです。
安易に「ありのままの自分」という聞き心地だけがよい言葉に逃げてはいけません。
教採の面接での合格の唯一の方法は、綿密な準備、確かな戦略、膨大な練習量です。
それがあれば、自分の軸を創れます。
皆さんも、綿密な準備、確かな戦略、膨大な練習量で、自分の軸を創りましょう!!
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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