「次の次の世代に大いに期待している。」
別にすぐ次の世代に期待しないということではありませんよ(笑)。
もちろん、すぐ次の世代にも大いに期待しています。
ただ、私の仕事の場合、すぐ次の世代とは、私の教え子ということになりますから、ほとんどすべて教師になります。
教師として大いに活躍していただき、素晴らしい指導をしていただきたいと願っています。
すぐ次の世代である教え子は、教師として活躍してくれますが、彼らが育むその次の世代は、いろいろな道に進んでいくことでしょう。
ある者はビジネスマンになり、ある者は公務員になり、ある者は学者になり、中には政治家になる者も出てくるかもしれません。
日本を変え、世界を変え、時代を変える者が出てくるかもしれません。
私は、教え子に、半分、冗談混じりに、次のように言います。
「君たちの中からは、21世紀の坂本龍馬やナポレオン、ワシントンやリンカーンは出ないかもしれません。でも、君たちに教え子の中からは、きっとそんな誰かが出てくると信じています。」
次の次の世代に大きな夢を描いています(微笑)。
仮に、教育の世界だけを考えてもすごいことになります。
今、私の教員採用試験対策講座から、毎年、100名くらいが教師になっています。
この100名の教師たちが、毎年40人から300人くらいの児童・生徒を指導することになります。
仮に、私の講座の教え子を「弟子」と呼ばせていただき、教え子が指導する児童・生徒を「孫弟子」と呼ばせていただくとすると、毎年、「弟子」が100名、「孫弟子」が4,000人から30,000人、新たに誕生します。
私の講座からは、毎年、100名ずつくらいの教え子が教師になり、そして、その教え子が毎年それぞれ40人から300人くらいの児童・生徒を・・・という素晴らしい繋がりがどんどん続きます。
10年間で、1,000人の教え子が、2,000人から150万人の児童・生徒を指導するということになります。
150万人が「孫弟子」であれば、その中から、坂本龍馬やナポレオンやワシントンやリンカーンが出てきても不思議はありませんよね(微笑)。
数字は、あくまで単純計算の結果ですが、こうして計算してみるだけでも、教育の奥深さと、教育の重要性が身に染みて分かってきます。
もちろん、「孫弟子」とは呼んでも、彼ら・彼女らは、私のことを全く知らないでしょうし、会うこともありません。
でも、私の教え子(「弟子」)を通して、私のスピリッツがちょっとだけでも、「孫弟子」たちに伝わっていれば、こんなに嬉しい幸せはありません。
「孫弟子」の彼ら・彼女らは、私に勝手に「孫弟子」呼ばわりされて、迷惑かもしれませんが(微笑)、こうして勝手に「孫弟子」だと感じて、日本の未来や、社会の未来に夢を感じることができるのが、教育者である最大の魅力だと思います。
「孫弟子」たちが、日本を変え、世界を変え、時代を変えるような大活躍をするときには、私は、この世にはいないでしょう。
人間には寿命がありますので、「孫弟子」の大活躍をこの目で見ることは、きっとできませんが、必ず大活躍すると信じて、自分の寿命を全うするというのも、教育者の醍醐味ですよね。
今から十数年前、カリフォルニアのワイナリーを訪ねたことがありました。
そこでは、ワインだけでなく、高級ブランデーをつくっていました。
高級ブランデーは、何十年と樽の中で熟成させます。
最高級のものは50年もの長い間、熟成させることになります。
その最高級のブランデーを、まさに今年、蒸留し、樽に入れ、これから先、50年間熟成させる、という話を、そのワイナリーのブランデー職人さんが話をしてくれました。その話の最後に、そのブランデー職人さんは、こう言いました。
「このブランデーが、50年後に熟成し、樽から出て、グラスに満たされ、飲まれるときには、私は、もうこの世にはいないでしょう。精魂傾けてつくったこのブランデーを味わうことは、私にはできません。でも、私は、このブランデーが最高の味になり、このブランデーを口にする人が、みんな幸せを感じることを信じています。それを信じているからこそ、私は、誇りをもって、未来の人たちにこのブランデーを残すことができます。」
私は、この話を聞いて、教育と同じだと感じました。
私の「弟子」そして「孫弟子」が大活躍することを信じているからこそ、私は、誇りをもって、自分の寿命が尽きるまで、教育を続けることができます。
未来に明るい夢が描けると信じているからです。
こんなことを、私の誕生日である今日、5月26日に、あらためて感じました。
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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