私が教えている講座の受講生なので、概ね、優れた視点で、良い文章を書いて送ってくる人たちが多いのですが、それでも、読み手の心に響く文章を書くことに慣れていない人は、ダメダメな文章を送ってきます。
ダメダメな文章には、私は、愛情は込めながらも、厳しくコメントを付けて返信します(微笑)。
ダメダメな文章の典型例が、
「~の大切さ」
の多用です。
もう、アホみたいに、「~の大切さ」という表現を使うのです(笑)。
例えば、
「生徒とコミュニケーションをとることの大切さを学んだ。」
「あきらめずに最後までやり抜くことの大切さを実感した。」
「子どもとの間に信頼関係を築くことの大切さに気付いた。」
などなど、枚挙にいとまがありません。
書いている本人は、立派なことを言っているつもりなのかもしれませんが、読み手にとっては、噴飯物のくだらない駄文にしか感じられません。
そもそも、「コミュニケーションをとること」が大切でないなんて思っている人がいるのですか?
誰だって、コミュニケーションをとることは大切だって知っていますよ。誰だって知っていることを、あなたは、アルバイトで、ボランティアで、教育実習でやっと気付いたのですか?
それまでは、コミュニケーションなんてどうでもいいと思っていたんですか?
「あきらめずに最後までやり抜く」なんて、大人として、職業人として当たり前です。それをいまさら気付いたのですか?大学までいって、そんなことに気付いたのですか? 社会人として講師をしながらやっと気付いたのですか?
「信頼関係を築くこと」なんて、人と人が何らかの関係を持つ際には、必須ではないですか。なぜ、いまさら「信頼関係」が大切だと気付いたのですか?
「~の大切さ」なんて言葉を多用する人は、中身のない人です。
想いもなく、伝えたいこともないから、当たり前のことに、「~の大切さ」という言葉をひっ付けて、さも立派なことを言っているかのようにごまかすのです。
そんなに「~の大切さ」という表現が好きなのなら、恋人に、「浮気をしないことの大切さに気付いた」とか「たまには優しくしてあげることの大切さを学んだ」などと言ってみてくださいよ(笑)。怒られますから(笑)。
受験用のへなちょこ作文には、「~の大切さ」という表現がたんまりと出てきます。
受験用にだけでっち上げた文章だから、思いもなく、なにかちょっとした経験に、ちょっとした道徳的な価値観をくっつけて、「信頼することの大切さ」なんて、くだらない表現でごまかそうとするんですよね。
こういう表現を散りばめて、自己アピールを書いて、私に添削を求めると、ものすごいことになります。
まあ、「自爆テロ」みたいなものですから(笑)、私も、全面的に、徹底的に、容赦なく、ダメダメぶりをコメントで伝えます(微笑)。
書き手の都合やごまかしではなく、読み手が読んでどう受け取るか、どのように心を動かすかをしっかりと考えて、文章は書かなくてはいけません。
読み手がどのような感覚で読み始めて、文章のどの部分で共感を持ち、どの部分で好感を持つかをピンポイントで予想しながら、文章を書く必要があります。
読み手分析がなされていない文章は、人の心は動かせません。
あなたは、誰かが、「頑張ることの大切さを知った」と言ったら、感動しますか?
しないですよね。
ならば、あなた自身もそんなことを自己アピール文に書かないでください。
あなたの文章の読み手も、絶対に感動なんかしませんから。
あらら、今日は、かなり厳しい文章になってしまいましたね(微笑)。
100人以上の添削をして、ちょっと思うところが強くなったのでしょうか(微笑)。
というわけで、皆さん、読み手分析をしっかりと行って、人の心を動かす、素敵な自己アピール文を書いてくださいんね!!
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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