趣味を仕事にしては不幸です!!

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昨日のブログで、「子どもが好きだから」だけでは、教師として危ういという、大村はま先生の言葉について考える課題をご紹介しましたが、このブログに関して、私の出身大学の1年後輩から、次のようなコメントをいただきました。

趣味を仕事にしては不幸です。

まさに、その通りですね。その後輩からいただいたコメントはこのフレーズだけだったのですが(笑)、とてもインパクトがある言葉だったので、私なりの考えを続けてみたいと思います。

確かに、教師になるには、子どもが好きで、子どもに愛情を注ぐことができるというのは、必要条件でしょう。

でも、それだけでは、ダメなんですよね。

必要なのは、プロフェショナルな感覚、つまりは、子どもを成長させる、言い換えれば、子どもを大人にする覚悟と意欲なんですよね。

子どもが好きだというのはわかります。でも、子どもが好きというのは、子どもという未成年者が持つ、あどけなさであったり、可愛さであったり、未熟さであったり、純粋さであったり、そんなものが好きという場合がほとんです。

「泣いて笑ってケンカして」という言葉ではないですが(笑)、大人とは違う子どもの姿が好きなんですよね。

でも、教育の本質は、子どもを成長させて大人にすることです。これが、教育基本法に定められている、人格の完成と社会の形成者の育成にもつながります。

子どもを大人にすることが、教師の仕事ということになります。

そして、ここに、「子どもが好きだから」だけの教師には、「悲劇」が訪れるのです。

「子どもが好きだから」だけの教師は、子どもを子どものままにしておきたいと感じるかもしれません。大人とは違う、子どもの幼さ、無邪気さ、純粋さが好きなのですから、子どもが成長して大人になることは、やはり、どこか寂しいところがあるでしょう。

しかし、子どもを子どものままにしておかない、というのが、教育の土台です。

子どもを成長させ、可愛いだけの存在から、人格の完成と社会の形成者という存在に成長してもらうのが教育の働きです。

子どもを子どものままにしておきたいと願う教師がいたとすれば、その人はそう思った段階で、教師であることを放棄していると言えるかもしれません。

「子どもが好きだから」の危うさの本質はそこにあります。

教師の仕事はアイロニカルなものです。

「子どもが大好き」な教師が、大好きな子どもを大人に変えていかなければいけないのです。

子どもという大好きな存在を、あまり好きではないかもしれない大人という存在に変えていくのですから。

でも、教師はこれを続けていかなければなりません。

毎日、毎週、毎年、止むことなく、子どもを大人にし続けるのが、教師の役目です。

「子どもが好きだから」だけの教師は、教育の土台も、教師の役目も理解していないところがあります。だから危ういのです。

いくつか前のブログで、私の受講生が「ドラえもん型教師」と名付けた教師像が、まさにそんな危うい教師なのかもしれませんね。

大好きな子どもを、日々成長させ、日々大人にしていく、その責任を自覚することが大切ですよね。

では、また明日!!

広島教採塾
河野正夫

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