【川上貴裕】綺麗ごとの、良い子ちゃん作文しかできない人は、もはや、合格は無理でしょう!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 不合格の理由, 合格への戦略, 面接力向上
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レトリカ教採学院(教採塾)の川上です。
先週のブログでは、選挙の候補者に置き換えて、教採受験者の稚拙な語りを、ぶった切りました。
同様のテーマ第2弾、ということで、本日のブログは、「友人に話さない(話せない)ことは、面接官にも話すな!」というお話を、していきますね!
面接で、「私は、子どもに寄り添いたいから、教師になりたい!」と、自己アピールを語ろうと思ったとします。
まずそこで考えてください。
あなたは、同じことを友人に言えますか?
例えば、友人が、「なんで教師になりたいの?」と聞いてきたら、「子どもに寄り添いたいから教師になりたいんだよね。」というように、本当に答えるのでしょうか。
絶対、答えないですよね。
あまりにも、良い子ちゃん作文で、友人との会話には、使えたものではありません。
この、良い子ちゃん作文は、教採でも、面接官には通じません。
確かに、友人と話すときと、面接官と話すときとは、違いがあります。
でも、その違いは、敬語や丁寧語であったり、フォーマル感といったものです。
あなたが話す内容そのものの違いは、ありません。
自己アピールや志望動機は、相当程度、普遍的なものです。
普遍的というのは、友人にも話せるし、家族にも話せるし、面接官にも話せる内容という意味です。
結局、普遍的な内容でなければ、面接用の綺麗ごと、良い子ちゃん作文に過ぎません。
同様に、
友人から、「ボランティアしていると聞いたけど、どんな感じ?」と、聞かれたとします。
あなたは、まさか、「ボランティアで、人と触れ合うことの大切さと、協力することの重要さを学んだよ。」とは、答えないでしょう。
でも、面接では、そのようなことを、平然と語ります。
ここまで述べると、皆さんお分かりいただけたことと思いますが、要は、面接のための単なる、良い子ちゃん作文では、聞く人の心は動かせないということなのです。
面接官の共感や好感を勝ち取りたいのであれば、耳に心地よい抽象語を、散りばめないことです。
最近は、「子どもに寄り添う」という表現のオンパレードです。
教採で唱えなければならない呪文なのかと、いぶかってしまう程、氾濫しています(笑)。
面接での語りは戦略的につくり上げていくものですが、戦略的につくり上げるとは、綺麗ごとを作文するという意味では決してありません。
この違いに気が付かなければ、合格に値する文章や語りは紡げません。
私の個人レッスンでは、綺麗ごとの、良い子ちゃん作文をする人向けに、以下の、3つの課題のようなユニークな特訓から、始めることがあります。
1.友人と会話していると仮定して、友人の質問、「なぜ教師になりたいの?」という質問に答えてください。
2.友人と会話していると仮定して、友人の質問、「どんなところが教師に向いてるの?」という質問に答えてください。
3.友人と会話していると仮定して、友人の質問、「教採は競争倍率も高いそうだけど、自分は、どこを売り込んで勝つつもりなの?」という質問に答えてください。
もちろん、これらに対する答えが、そのままの完成ではありません。
むしろ、そこからがスタートになるわけですが。
皆さんも、試しに、やってみてください。
綺麗ごとの、良い子ちゃん作文では太刀打ちできないことが、よくご理解いただけることと思います。
この3つの例の質問に対しても、綺麗ごとの、良い子ちゃん作文しかできない人は、もはや、合格は無理でしょう。
教師自身の根本的な理解、あるいは、思考力・判断力・表現力なくして、子供に指導するのは無理ですからね。
教採を受験される皆さん、普遍的な語りの内容(友人にも、恋人にも、家族にも、面接官にも語れる内容=あなたが本当に語りたい想い)を見つけて、言葉にしてみてくださいね!!
ではまた!
川上貴裕