なぜ、子供を学校に通わせるのか? 表面的で、平凡で、インフレした語りに、逃げないでくださいね!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 合格への戦略, 面接力向上
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【レトリカ・ブログ】
レトリカ教採学院(教採塾)の川上です。
今週のオンライン校の課題は、
「なぜ、子供を学校に通わせるのか。」
でした。
なぜ、学校に通うことが、いいのでしょうか。
家庭教育や、塾に通って学ぶのと、何が違うのでしょうか。
多くの方は、
『多様性を知ることができる』
『みんなで学ぶことができる』
『価値観の違いを発見できる』
『仲間を作ることができる』
『肌で感じる/直接感じることができる』
などを、語ることと思います。
理解はできます。
ただ、これらの表現は、使い古されていますし、インフレ化していますし、何より、表面上の、薄っぺらい語りに、留まっている気がして、なりません。
そもそも、
「なぜ、子供を学校に通わせるのか。」
この課題は、ある種の、皆さんの志望動機でもあります。
学校に通わせる、必要性、有益性、特殊性などを、明確に語れないのであれば、教師の存在意義は何なのでしょうか。
もちろん、教育の主役は、子供達です。
しかし、教師として、どう携わるのか、どう成長させていくのか、どう貢献していくのか。
その軸がなければ、この課題の回答は、いつまで経っても、平凡な語りに、終止してしまいます。
続いて。
裏付けのない、平凡で、曖昧な表現での語りには、多くの疑問が投じられてしまいます。
先程の例で言うと、「多様な価値観を学べる。」、「仲間を作ることができる。」、「肌で感じることができる。」、などです。
多様な価値観も、塾や、習い事など、学ぼうと思えば、いくらでも学べる手段があります。
仲間も、塾や習い事、地域のコミュニティなどで、作ろうと思えば、いくらでも作ることができる、手段があります。
反論しているのではありません。
ただ、学校とそれらの違いが、人数や規模の違い程度であれば、「質を優先と考えれば、良いのでは?」、と保護者に言われたときに、皆さんは返答のしようが、ないのではないでしょうか。
「いえいえ、校内で、より多くの人と関わることで・・・」、と本気で、説得できるでしょうか。
皆さん自身も、納得できるでしょうか。
「肌で(直接)感じることができる。」、というのも、同様です。
教育者の多くは、直接的な関わりをもってして、学んでいる/学ばせている、という安心感を抱きます。
しかし、最近の子供は、何か調べるときは、まず、YouTubeを見るそうですね。
皆さん自身も、YouTubeを見たり、書籍を読んだり、オンラインの講座に参加したり、間接的な学びを、たくさんしているのではないでしょうか。
皆さん自身が、直接・間接に関わらない学びや生活をしているのに、なぜ、直接的な学び・体験にこだわらせるのでしょうか。
敢えて、自らが、『直接学ぶ・感じることの良さ』を語ることで、このような疑問が生じていきます。
最後に。
面接の語りにおいて、相手意識がもてない人は、きれいな言葉を並べただけの、表面的な語りに終わります。
例えば、「多様であるからこそ、色々な価値観が学べる。」
と、いう語り。
『大勢』の中で、『大勢』の価値観を知る。
大事なことだとは、思います。
ただ、『個人』への具体的な還元が、知る(学ぶ)ことに、留まっています。
どちらかというと、受動的な印象を、感じます。
保護者にとって、
我が子が、大勢の中で、大勢の価値観を知ることができる、というだけで、「学校に行かせたい!」、と本気で思うでしょうか。
相手意識がある人は、保護者が何を願うか、何を想うかまでを、掘り下げて考えることができます。
保護者は、何より、我が子が最優先です。
友達や教師との関わりも、ある意味、副次的なものでしかありません。
つまり、
保護者の思考・願いからすれば、受動的な内容よりも、結局は、我が子が、何かを知ることで、どう成長していけるか、どう学んでいけるか、どう習得していけるか。
その確信がもてる語りが、欲しいわけです。
我が子が、自立できる、という安心が、語りの中に含まれていなければ、意味がありません。
したがって、
上記の例で言うなれば、
「多様であるからこそ、色々な価値観を学べる。」
という受動的な語りから、
「多様な学びの中で、自分の信念、考えを構築できる。」
と、するべきです。
「自分の信念、考えを構築」、と語ると、我が子が、成長している様子、自立に向かっている印象を、強く感じることができ、安心することができますよね。
いかがでしたでしょうか。
今回のブログについては、かなりの志望者が、当てはまっているように、感じますが・・・(笑)
どうか、表面的で、平凡で、インフレした語りに、逃げないでくださいね。
学校教育に携わる人間として、教師を夢見る人間として、自信、誇り、納得をもって、明確な語りに、していってほしいものです!
ではまた!
川上貴裕