「学級開きで何を語りますか?」、という質問にどう答えるかで、昭和の古臭い価値観を引きずる教師か、令和を生きる価値観の教師かが、すぐに分かります!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 合格への戦略, 教育論, 面接力向上
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レトリカ教採学院(教採塾)の川上です。
「学級開きで何を語りますか?」、という質問にどう答えるかで、昭和の古臭い価値観を引きずる教師か、令和を生きる価値観の教師かが、すぐに分かります。
私が面接官であれば、この語り次第で、受験者の合否を決めたいくらいですね。
学級開きなのに、いきなり、禁止・注意事項、説教くさいことを、語る人がいます。
そのような担任は、「口うるさそうだな。」と、初日から嫌になりますよね。
古い価値観に囚われている人、もっと言えば、自分の指導に自信が無い人ほど、それを語って、子供達を囲っておかないと、安心できないんですよね。
むしろ、囲い込みでしか、指導ができないのでしょう。
だから、子供にも、「あれするな、これするな」と、禁止ばかり語ります。
内容としても、「人に迷惑をかけるな」、「もう高学年なんだから」、「○○高校の一員たる自覚をもって」、「仲間意識を」、など、抽象的な精神論ばかり押し付けます。
そのような言葉を言われて、納得する人がいるでしょうか。
「人に迷惑かけないようにしよう。」、「高学年としてちゃんとしなきゃ。」、などは、各々、自分自身が心に留めておくだけでよいのです。
人が指図したり、説教に使ったりするべきじゃありません。
実に稚拙で、浅はかですよね。
もっとも、一番の問題は、子供たち自身が、「良くしたい、そうでありたい!」と、思える指導に、方向転換できる【知性】が、その教師にないことだと思いますが。
余談:
「みんな違って、みんないいんだよ!」、「個性を大切に!」と、語る人ほど、実は、禁止・注意事項を語っている傾向も、見て取れます。
教師の資質としても、一貫性が無いため、子供との信頼関係も構築できず・・・もう、アウトですよね(笑)
(余談 終)
皆さんも子供時分、説教じみた先生は、嫌いだったことと思います。
なぜ、自分が嫌だったことを、繰り返すのでしょうか。
もし、「自分が苦労したから、下にも同じ苦しみを。」という発想であれば、本当に危険ですね。
無意識に、「子供をちゃんとまとめなきゃ!」というので、言っているにしても、
子供にとっては、初日から説教で押さえつけられることは、嫌だと分かっている。
↓
でも語ってしまう。
↓
相手の気持ちが汲み取れない教師。
ということで、とても生徒指導は任せられません。
何が禁止・説教かを分かっていない人も、稀にいますが、その人は、もはや教師として、向いていませんよね。
禁止・注意事項、説教などで、自覚や態度、ルールなどを強制することは、もはや教育ではありませんよ。
縛れば縛るほど、自分の枠に収まっていない子供に対して、苛立ち、怒鳴ったり、最悪の場合は、体罰に発展したりしますからね。
また、別の視点として。
自覚や態度を強制したり、はみ出し者が出ないように、ルールだと言って縛って、囲い込み、統率をとろうとすると、同調圧力にまみれた仲間意識の集団になります。
そのような集団の中では、必ず、いじめが発生します。
先日、東京校でも、河野が話していましたが、いじめ予防のための最善は、【できるだけ集団を作らないこと】です。
集団があるから、同調圧力・仲間意識ということで、「あいつだけ違う。」というように、いじめが発生するわけです。
大学で、サークルやクラブに入っていなかった人は、いじめに出くわす場面も無かったはずです。
個人個人であれば、変な人がいても、関わらなければいいだけです。
集団として縛るから、不平不満が生まれて、攻撃対象が出来上がっていくのです。
今の日本は、クラスという、まとまりを無くすことはできていません。
であれば、クラス・学級という、空間的な集団はあっても、ルールや自覚論で縛ることによって、形成される同調圧力の集団は、無くしていかなければいけません。
古い価値観に囚われている人は、
多様性はあればあるほど良い、個性は違って当たり前、みんな違って当たり前、だからこそ、楽しい!、ルールは少ない方が楽しい!という認識から、始めていかなければいけませんね。
今回の課題は、「学級開きで何を語りますか?」でした。
初日から嫌われる、古臭い価値観の教師と、やる気と意欲と、楽しみに満ちた語りができる教師、皆さんはどちらの教師で学級開きを始めますか。
ではまた!
川上貴裕