【川上貴裕】「教師になって、この地で恩返しがしたい。」なんて、恩着せがましいことを言っても、笑われるだけですよ!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教育論
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レトリカ教採学院(教採塾)の川上です。
恩着せがましい語りは、好感が持てませんよね。
しかも、困ったことに、発言者本人が、恩を押し付けをしているということに、気付いていないまま、語っている場合が、よくあります。
例えば、
「教師になって、この地で恩返しがしたい。」
という類の志望動機文を、見聞きする機会が、度々あります。
ハッキリ言って、この語りは、ダメダメです。
恩返しがしたいから、教師を目指した、なんて、自分から言うべきものではありません。
定年時や、栄転する際に、同僚・上司・部下から、「お世話になりました!○○さんには、沢山のお力添えをいただきました。」、などと言われた際に、「せめてもの恩返しですよ。」というのが、適切な使い方です。
あるいは、野球界に多大なる貢献と功績を残したイチロー氏が、「恩返しですよ。」というようなセリフを語るのであれば、「おお!」と、ファンのみならず、多くの人を、感動させることができるでしょう。
まだ、合格もしていない受験者が、自ら語るべきセリフではありません。
面接官からすれば、「何を偉そうに。」と、鼻で笑われるだけです。
「自分は、良いことを言っている!」と、感じるのでしょうが、聴き手からすれば、押し付けがましい、ただの壮大な独り言、自分の言葉に酔いしれているだけの語りにしか感じません。
似たようなものとして。
先日、受講生から、相談を受けたのですが、先輩教員に、「あなたが、6年の担任として、上手くやってこれたのは、今まで(1年~5年)の先生の、積み重ねのおかげだからね。」
という嫌みまがいなことを言われたそうです。
つまり、
「自分が受け持ったクラスの子供は、これまでの先輩教員の指導があったからこそ、上手くできたんだよ!自分の功績だと思って、うぬぼれないようにね!」
という意味合いなのでしょう。
まぁ、若手教員であれば、一度は耳にしたことがある、言われたことがあるかとは思います。
それほど、恩着せがましいセリフが横行しているのが、教育界かと思うと残念でなりませんが。
もちろん、それまでの先生方のご尽力の賜物という、その事実は間違いなくあると思います。
無いと言っているのではありません。
ただ、その6年を受け持った受講生の尽力無くしては、6年生の児童たちの更なる成長はありませんでした。
反対を言えば、5年まで、荒れに荒れていたクラスを受け持ち、6年で修正して、卒業させた、というのもよく聞きます。
「これまでの功績」というのであれば、「1年~5年までの先輩教師の、負の積み重ね。」
とも言い直せます。
生意気かもしれませんが、積み重ねというのであれば、良いことだけではなく、悪いことも積み重なってきているわけですからね。
完全な状態で、あるいは、みんなが『良い子』の状態で、引き継げることはありません。
積み重ねというのであれば、一番は、子供達自身の、成長による自立が大きいわけです。
その発言をした先輩教員も悪気はないと思いますが、あたかも、「我々教師の指導の賜物だ!」と言わんばかりのニュアンスを受けますね。
教育の主役は、あくまでも子供達ですからね。
しかし、最も問題なのは、積み重ねがどうこう、ではありません。
そのような発言は、6年を受け持った先生自身が感じたり、卒業させたときに、他の先生方に向かって、「皆さんのおかげです!」と言うのが筋であって、「ありがたく思え。」というのは、実に、押し付けがましいなと感じます。
もちろん、
さして能力も無いのに、過剰な自信と、一人でやっている感を出している新採もいる、というのをよく見聞きするので、そういう愚かな人には、この手の話で、諫める、というのはアリかもしれませんが(笑)
なにはともあれ、自ら押し付けがましいことを言う人よりは、周りから勝手に、「あの先生のおかげだ!」、「いい先生だな!」と感謝される方がいいですよね。
私は、性根がひねくれているので(笑)、「この人は、こうやって自分で言わないと、誰からも感謝されたり、認めてもらえないのかな。」と思ってしまいます。
面接でも、「恩返し」という押し付けがましいことを自ら語るよりは、「この先生はいい教育をしてくれそうだ!」、「頼りがいがありそうだ!」と面接官に感じてもらえる語りをする方が、遥かに効果的です。
「能ある鷹は爪を隠す』ではありませんが、言動や雰囲気、指導の様子などから、「素敵だな。」と感じてもらえる人を、目指していきたいものですね
では、また木曜日に!
川上貴裕