これまで経験したことのない問いに、いかに効果的に考え、答えを見つけ、それを表現するか、これこそ、アクティブ・ラーニングの本質です!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教育論
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レトリカ教採学院(教採塾)の川上です。
先日、飲み仲間の映画監督さんと、飲みに行きました。
かなりフランクにお付き合いさせていただいてはいますが、著名な映画監督さんです!
話をする中で、僭越ながら、私がふと、
「映画のレビューを見ていると、最近の観客は、直線的な物語を好んでいますね。
映画の伏線や、トリック、メッセージ性、オマージュなどが、深ければ深いほど、方向性を間違えて受け取る人、理解できない人、拾えていない人が、多く見受けられる気がします。
また、最低限もっておくべき知識さえも乏しいのに、持論を展開して、語っている人もいます。
表現の自由かつ、趣味の領域ですから、捉え方が違うのは、構いませんが(笑)、やはり、直接的な表現や、セリフに丁寧に織り込まないと、本質を享受できる人は減る一方ですかね。
しかし、観客の知識レベルに合わせて、易しく作っていると、スタッフ・キャストからすれば、納得できない作品だらけになりそうな気がします。
大変な世の中になりましたね(笑)」
と伝えたら、爆笑されていました。
しかし、本当に、共感してくださいました。
PISAの読解能力低下の分析について、先月のブログに記載しましたが、まさか、映画の読解能力低下にまで繋がっているとは!と感じた、飲み会でした(笑)
同様の現象は、教員採用試験にも、起こっています。
教職教養の問題は、この十数年で、確実に、簡単になってきているそうです。
受験者の平均的な学力低下に伴い、それに合わせるように、問題の難易度が低下しています。
もちろん、難易度が低下することは、受験者にとっては、喜ばしいことかもしれませんが。
教職教養の筆記試験が、暗記中心の体たらくになってきているので、近年の教採受験者は、暗記ではなかなか対応できないようなものに、不安や拒否感を感じるようです。
また、小論文に何を書いていいのか分からない、集団討論で何を話していいのか分からない、グループワークなどは何をしていいのかも分からない、というように、正解がない問いに対して、不安や拒否感を感じるようです。
これまで経験したことのない問いに、いかに効果的に考え、答えを見つけ、それを表現するか、これこそ、アクティブ・ラーニングの本質でもあります。
チャレンジングなもの、クリエイティブなものに対応することができなくなってきている、というので、難易度を落とすというのは、悲痛な現実ですよね。
もちろん、最近は、ブラック化が叫ばれているからか、教員志望者が毎年数万人ずつ、減少しています。
加えて、「教採が難しい」という理由で、更なる教員志望者の減少があってはならない、という意味合いも、あるのだとは思います。
しかし、
驚くのは、平均点を見たり、話を聞いたりする限りでは、そのような簡単な難易度でさえも、ギリギリの得点しか取れない教師が多い、ということです。
もっとも、教職教養においては、100点満点中の20点台で合格する者、合格させる自治体もあるようです。
そのような、ギリギリラインで合格した教師に教わる子供は、どうなるのでしょうかね。
「得点じゃなくて、人間性だ!」、という人もいるかもしれませんが、保護者の視点で考えて、そのレベルの得点率の教師に、我が子が教わっていると考えると、どうでしょう。
大いに、不安を感じることと思います。
しかし、志望者の減少や、受験者の知識教養レベルからして、今後ますます、試験の難易度は、低下の一途を辿っていくものと、考えられます。
受験者にとっては、朗報かもしれませんが、社会全体として、あるいは、次世代を担う子供を教育する立場として考えると、いかがなものでしょうかね。
皆さんのご意見、ご感想をお待ちしています!
では、また日曜日に!
川上貴裕