【川上貴裕】間接的なコミュニケーション、他者と敢えて距離を置くことで、思いやり・優しさを芽生えさせる。

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教採塾の川上です。

 

 

毎年、受講生の志望動機文や、自己PR文を添削していると、『思いやりの大切さ』という趣旨のものを、必ず、複数人が書いて、提出してきます。

「○○の大切さ」の、○○に入る言葉(○○=思いやり、学ぶこと、協力すること、何事にも挑戦すること、など)が、大切なことくらい、誰もが周知のことです。

だから、「そんな陳腐な表現を使うんじゃない!」と、教採塾では、禁止ワードの1つになっています(笑)

 

また、個人的には、思いやりを主張することは、自分主体・自己満足であり、押し付けがましい印象や、「こういうのが、日本の典型的な、同調圧力を生むんだ!」としか感じなかったりするため、大切なのはもちろんですが、言葉自体は、好きではありません。

私が(勝手に)敬愛する、チャールズ・チャップリンも述べていますが、感情なんてものは、自分自身が感じて、勝手に、「そうしたい!」と思うことで、完結すればいいのです。

他人が押しつけがましく、「相手を思いやれ」、「困難に立ち向かえ」、「国を愛せ」、なんてことを、言うものではありません。

 

さて。

『思いやり』については、それ自体を育てるよりも、自ら『相手のために何かしたい』という、仕組みを作ること、語ることの方が、遥かに大切でありながらも、難関です。

難関ながらも、思いやり自体を推すのではなく、思いやりの仕組みを提示して、面接官を唸らせることができれば、簡単に、合格を勝ち取ることができます。

後は、自ら、『思いやり』という言葉を出さなくとも、面接官が勝手に感じてくれれば、それでいいのです。

間違っても、結び句に「このようにして、思いやりの心を育てていきたいです。」なんて、語らないことです。

それまでに語ってきた、全てが台無しになりますよ(笑)

少し脱線しました。

 

では、思いやりとは、一体なんでしょうか。

思いやる仕組みを作るには、どうしたらよいのでしょうか。

昨今、多くの課題を抱えている、情報教育に近しい観点で、考察していきましょう。

近年のネット社会は、オンライン上で、すぐに、世界中の人と、直接的に繋がることができています。

しかし、テクノロジーは進化しても、ネット社会での、コミュニケーション、繋がりというものは、今も昔も、何ら変わっていません。

 

何なれば、進歩は、とうの昔に止っています。

否、そもそも、発達していないのかもしれません。

というのも、

実際に人を前にしては、悪口や不平不満が言えない、愚かな奴に限って、ネット上の匿名をいいことに、平気で、他人を心ない言葉で傷つけて、平然としている人たちがいます。

ゲームにしても、ネットで繋がったからといって、何をするかというと、銃で撃ち合ったり、殺し合ったりすることで、快楽を感じる人たちがいます。

テクノロジーの進化、最先端の技術によって、世界中がリアルタイムで繋がっているのに、そのせいで、喧嘩したり、殴り合ったり、病気になったりする人たちがいます。

「何やってんの。」、という感じですよね。

ネット社会、テクノロジー自体が悪いわけではありません。

 

余談ですが、ここをよく、はき違えている教員志望者が、多いのです。

多くの教員志望者は、情報社会の話題になると、必ずと言っていいほど、ネットの『影・悪』の部分を、強調して語ります。

ネット社会・テクノロジー自体は、素晴らしいものであって、使い方や仕組みを理解すれば、ものすごく便利で、強力で、高次元的・飛躍的なものとなります。

しかし、確かに、一方で、テクノロジーの進化によって、

 

・色々なものがすぐに手に入る

・何でも閲覧出来る

・今まではテレビ越しにしか見られなかった人たちと、繋がることができる

・変な奴でも、人気が出ると、それが『正しい』となる(笑)

・自分自身の写真を投稿しまくって、まるで、アイドルかのような錯覚に陥ることができる(笑)

 

からこそ、全て、自分で、いつでも、どこでも、何でも、好きにできると勘違いしてしまい、自己中心的な言動をする人たちが、多く見られるようになりました。

だからなのか、最近は、どこを歩いていても、本当に、愚かで、自己中心的な人間が多いですよね!

ただ、全てにおいて、双方向の『繋がり』が簡単になったがゆえに、『思いやり』なんてものは、無くなりつつあります。

繋がる以上は、責任が伴います。

それはしかし、とても厄介なものでもあります。

もちろん、これは、ネット社会・現実社会に関係ありません。

恋人・友達・仲間・上司・同僚など、頻繁に繋がっていると、喧嘩や仲違い、意見の相違が、必ず起こります。

昨今のコミュニケーションなるものは、その、責任を取る、という誓いも無く、攻撃し合っている状態です。

 

「責任なくして、思いやりは芽生えないのか。」

 

そんな、悲しい疑問さえも、浮かんできますが。

ネットにおいても、現実世界においても、双方向の繋がりというのは、実際は、そのようなものです。

今から数百年ほど前は、ネットはおろか、電話すらなかった時代ですので、遠方にいる人とのコミュニケーション手段は、手紙でした。

このコミュニケーション手段は、直接的・双方向的なものではないので、ものすごく、タイムラグがありますよね。

 

例えば、異国の戦地にいる旦那さんが、奥さんに手紙を書くとして。

「元気にしてるかな?子供が、もうすぐ生まれる頃かな。早く帰って、我が子を抱っこしたいよ。必ず生きて帰るよ。頑張ってるよ!」と、奥さんのこと思いながら、書きますよね。

手紙は、船や飛行機に載せられて国を渡り、数週間・数か月後に、奥さんに届きます。

手紙が届いた時には、既に、旦那さんは亡くなっているかもしれません。

今のように、双方向ではないから、届いた時点の相手の状況を思い浮かべながら、考えて書かないと、コミュニケーションは成立しません。

そのような、双方向・直接的ではない、間接的なコミュニケーションで、たまには、他者と距離を置くことで、思いやりが芽生えていくものなのかな、と感じます。

『思いやり』というよりは、『優しくなれる』という方が、正しいかもしれません。

「LINEやメールじゃなくて、手紙を書け!」ということではありませんよ

 

あ!

もちろん、今の季節柄、「手書きが、気持ちがこもっていていいんだよ。だから年賀状を書こうね!」ということでもありません(笑)

そんな、「昔から続いているものがいいんだ!伝統を守れ!SNSなんて、悪害だ!」なんて、古臭いおっちゃん、みたいなことを言いたいわけではありません。

今の時代、21世紀のハイテク時代に、敢えて、間接的なコミュニケーション、他者と距離を置く、という試みを、提案しているに過ぎません。

間接的なコミュニケーション、他者と敢えて距離を置くことで、思いやり・優しさを芽生えさせるという、この仕組みの提案については、明後日のブログで、引き続き、考察していきます。

 

 

では、また明後日!!

 

 

教採塾

川上貴裕

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