教員採用試験の採用側が採りたくなる人物になる方法とは?
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 不合格の理由, 合格への戦略, 面接力向上
【教員採用試験のバイブル】
今日は、採用側が採りたくなる人物になる方法についてお話しましょう。
方法とは言っても、こうすれば大丈夫というような話ではありません。
こんな人が好感を持って見られますよ、という話です。
採用される人材になる・近づくという話は、過去にもいろいろな形でお話ししましたし、これからも異なる観点でお話ししていく話題ですが、今日は、学生に期待されるもの、そして、講師(臨採)に期待されるものという視点でお話ししてみましょう。
まず結論から申し上げます。
1.学生は「やりたいこと」を発見できているかどうかが期待される。
2.講師(臨採)は「苦労とやりがい」を発見できているかどうかが問われる。
それぞれの立場の方は、それぞれに関して、自分を見つめなおしてみることが必要です。
1.学生は「やりたいこと」を発見できているかどうかが期待される。
このことはどういうことかというと、まだ21歳か22歳の社会人・教師としては未経験の学生さんには、「何をしたいのか」、「なぜしたいのか」、「どのようにしたいのか」、「何を目指すのか」を、明確に心に持っていてほしいということです。
それらを総合して「やりたいこと」と呼びました。
学生さんの自己アピールや面接カードなどをみると、多くの人が、サークル活動、ボランティア、アルバイトについて書いています。
確かに、学生ですから、それが活動の大きな部分を占めるというのは分かります。
でも、その書き方が凡庸なのです。
サークル活動で部長をして部員をまとめたとか、ボランティアで指導することの難しさが分かったとか、アルバイトでコミュニケーションの大切さを学んだとか、あまりに当たり前で、大して深みも面白味もない平凡なことを書く人が多いのです。
学生さんがどんなにサークル活動やボランティアやアルバイトで頑張ったことを力説しても、社会人を何十年もやっている面接官にしてみれば、小さな子どもがかけっこで1番になったよ!と喜んでいるのとあまり見方は変わりません。
若さゆえの可愛さはあっても、採用上で大きく評価することはないでしょう。
もちろん、頑張ったことを頑張ったと素直に言うことは悪くありません。
部活動でもアルバイトでもボランティアでも頑張ったことは伝えればいいのです。
でも、それが採用に直結するあなたの強みや魅力になるということはそんなに頻繁にあるわけではありません。
頑張ったことをくどくどと伝えるよりも大切なことがあります。
頑張ったという経験を通して、あなたが見出したあなたがこれからやってみたいこと、実現したい夢、到達したい理想、そういったものを、あなたより何十歳も年上の面接官は見ているのです。
あなたが部活動やアルバイトでした苦労はあなたにとっては人生で有数の困難であっても、あなたより何十歳も年上の大人から見ると「ままごと」程度にしか聞こえないことがあります。
そうは言っても、あなたの苦労は尊いものです。
尊いけれども、それを力説してもあなたの能力や適性にはつながりません。
学生生活での苦労話を延々とするよりは、そこで見つけたあなたの夢、志、理想を、抽象論ではなく、具体的な言葉で語るとあなたが何を目指しているのか、何をしたいのかが相手に伝わります。
でも、これは結構、難しいのです。
本当に目指すもの、したいことがなければ抽象的にしか語れないからです。
抽象的にだけ夢や志や理想を語ると、それは陳腐なきれいごとにしか聞こえません。
それでは、聞く人の共感も信頼も勝ち取れません。
きれいごとではない、本当の自分の夢や志を具体的な言葉で語る、自分の言葉で語ることが必要です。
そして、それには本当にやりたいことを持っている必要があります。
教採の願書を取り寄せて、いざ願書に記入を始めるときに、自分に「やりたいこと」、「目指したいもの」が全くなければ、願書は全く書けません。
せいぜい氏名と住所と出身校名くらいしか書けないでしょう。
やりたいことが明確でないのに、自己アピールも志望動機も書けません。当たり前のことです。
それでも無理して願書を書くので、願書の最初の原稿は多くの場合、ボロボロです。
何が言いたいのかもわからないようなことばかり羅列してあります。
そして、7割か8割の学生さんが同じようなことを書いています。
「教えることの大切さを学んだ」といった駄文が満載の表現です。
教えることが大切だなんて当たり前です。
教えることが大切ではないなんて言う人はいません。
教育は大事なんです。
それをなんら志も目標も書かずに、ただ、アルバイトで塾の講師をして、教えることの大切さを学んだなんて書くからダメなんです。
本当にやりたいことを見つけている人はそうは書きません。
部活動もボランティアもアルバイトも大切です。
でも、それは経営術や社会貢献論や仕事術を学ぶにはあまりにも初歩的な場です。
そこでそういった技を学んだと自慢するよりも、それらの貴重な経験から、こんなやりたいことを見つけた、こんな目標を掲げた、自分はこれで人生を歩む、を探し当てるのです。
何度も繰り返しておきます。
学生のうちにできることから一つ一つ頑張っておくことは大切です。
部活もバイトもボランティアも大事です。
でも、それは履歴書を項目で飾るためではなく、やりたいことを見つけるためのプロセスであることを忘れないようにすると、自分を表現するときにもぶれたりしません。
2.講師(臨採)は「苦労とやりがい」を発見できているかどうかが問われる。
現在、1年でも数年でも実際に教壇に立って教えていらっしゃる方は、学生さんとはちょっと異なったものが期待されます。
既に、実際に先生をしている人には、それなりのものが期待されます。これもまた当然のことです。
講師の方には、日々の教育実践の中で「苦労とやりがい」を発見して、それを自分の言葉でしっかりと語れるようになると教師としての魅力もうんと磨かれます。
教師なら誰でもご存知のように、実際に教えてみるといろんなところに苦労を発見します。教師としての能力が伸びれば新しい苦労が見えてきます。
新しい苦労をどんどん発見するのは教師として成長していることの証でもあります。
ベテラン教師になれば、新米教師が見えない苦労が見えてきます。
教師とはやっかいな職業でもあります(微笑)。
でも、苦労を見出し、それを克服し、子どもの学びが成立し、子どもが成長するとやりがいを感じます。
それが教師です。
そのやりがいを自分の言葉で表現できれば素敵ですよね。
そんな語りができる教師は魅力にあふれる教師なのではないでしょうか。
時々、教採の集団面接などで、自分の授業技術の自慢ばかりする講師の受験者がいます。
自分がいかにして生徒指導に成功したかを声高らかに力説する人がいます。
頑張ったのでしょうが、講師歴2、3年の人が教育歴数十年の面接官の前で授業技術や生徒指導術について自慢するとはまさに釈迦に説法です。
自分は現職の講師で学生とは違うというところを集団面接で見せたいのかもしれませんが、50歳代前後の面接官から見れば21歳の学生も25歳の講師も「誤差の範囲」です。
指導技術で差をつけようと自慢しても、どんぐりの背比べとなります。
それよりも、苦労とやりがいを語るほうが魅力的です。
現職の講師だからこそ苦労が分かるのです。
学生には見えない苦労もたくさん知ることができます。
でも、その苦労を克服しながら、教師のやりがいを感じることができます。
そして、そのやりがいは後輩に伝えることもできるものです。
苦労を語らず自慢だけする講師はきっと教育が見えていません。
やりがいを語らず、指導技術だけを吹聴する講師はきっと教育をしていません。
そんなことは、教育歴数十年の面接官は百も承知です。
だから、講師の人は日々の貴重な教育実践の中で苦労を見つけ、苦労を克服し、子どもを育み、やりがいを見つけ、その時の想いやこれからの目標や、自分が目指すものを自分の言葉で語ると素敵な語りになります。
講師は「苦労とやりがい」を見つける必要があるとはそういうことです。
今日はちょっと熱く語ってしまいました(微笑)。
でも、教採に真剣に挑戦している人をサポートするのが私の役目ですから、私も真剣に、そして、熱く語らなければいけないときもあると思っています。
河野正夫