【川上貴裕】切り口の感性を磨き、頭の中の引き出しを増やし、テンプレート化からの脱却を図ってくださいね!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 合格への戦略, 教採塾の新企画, 面接力向上
教採塾の川上です。
誰かと話しているとき、「結局何が言いたいの?要点は何?」と苛立ったことはありませんか。
個人的な経験則から述べると、頭の悪い人に限って、ダラダラ説明したがります。
たくさん説明すれば、相手が納得してくれると信じて疑いません。
友達同士であれば、親身に聞いてくれる人はいるでしょう。
しかし、面接官は、最初の数十秒で言いたいことの意味が汲み取れなければ、聞くことをやめてしまいます。
「子供の前でも、こんな話し方をするのだろうな。」と、それだけで評価は下がります。
子供なんて、もっと素直です。
つまらない授業、ダラダラと教師が説明を続ける授業は、すぐに子供の集中力は切れてしまい、落書きや手悪さ、昼寝を始めますよね。
ダラダラと話す人の、最も初歩的な課題というのは、頭に思いついた順番で話してしまう、ということです。
自分がおバカだという証拠を、自ら露呈させているようなものです。
普段の会話で毎回考えることは難しいとは思いますが、教壇に立たれている方であれば、
・どの視点から話せば、スムーズに相手が理解してくれるのか。
・どの視点から話せば、相手が興味を持ってくれるだろうか。
(第一声は、どこから語り始めるべきなのか。)
・結論から言うべきかどうか。
このようなことを、自分の中で常に考える癖づけ、習慣づけをしておかなければいけません。
また、上記に加え、語りの内容がテンプレート化していることも、「要点は何?」と苛立たせたり、聞き手がスムーズに理解できなかったり、共感できなかったり、飽きられたりする要因の一つになっています。
テンプレート化というのは、例えば、学校の儀式的行事の挨拶がそうですね。
同じ流れ、内容が多く、聞き手が涙を流して感動するような挨拶は、なかなかありませんよね。
そのような挨拶が2、3人続くと、「長いな。」と、座っている時間すら苦痛に感じた経験が、皆さんも一度はあることと思います。
もちろん、この気持ちは、挨拶をしているご本人も重々承知しています。
しかし、「儀式的」行事ゆえに、やらざるを得ないわけです(笑)。
教採の場に置き換えて、例を挙げると、
面接官が、「あなたが思う、教員にとって最も必要な資質や能力とは何ですか?」と聞いたら、受験者が、「はい、私が思う、教員にとって最も必要な資質や能力は、○○です。」と、いうように、全ての回答に質問を繰り返す、というのが、まず1つ。
テンプレート化しているので、当たり前だと感じるのでしょうが、面接官からすれば、「俺が聞いたんだから、質問内容くらい知ってるよ!さっさと要点を言えよ!」と苛立たせてしまいます。
もう1つは、
・明るく元気で、楽しいクラスを作りたい。
・何事も諦めず、努力することの大切さを教えたい。
・子供たち一人ひとりを、しっかりと見て、些細な変化も見逃さない。
というような語りが、テンプレート化されているということです。
もちろん、その内容は事実として、間違ったことは言っていません。
現場では、大事なことだと思います。
ただ、面接という特殊な場において語ると、「巧言令色 鮮し仁」と感じられてしまいます。
つまりは、
「綺麗ごとや、浮ついたことばかりだな。」
「本心ではないな。面接用に準備してきたものだな。」
「はいはい、また参考書からの言葉で取り繕っただけね。」
と、感じられてしまうのです。
面接官の気持ちにもなってみてください。
朝から晩まで、しかも数日にわたって、何十人もの受験者の同じような、テンプレート化された語りを聞き続けなければいけないのです。
苦痛である以外、他に何もありませんよ。
本当に、うんざりします。
さて、本日は、皆さんにご覧いただきたい文章をご紹介します。
奇しくも、今週は多くの市町村で成人式がありましたね!
成人式もまた、テンプレート化された挨拶が多いですよね(笑)。
そのような中、以下の成人式の挨拶は、切り口の感性が素晴らしく、かつ、クリエイティブものです。
数年前の、西宮市市長(当時)の挨拶文です。
―――
今村元市長(ご本人)のブログより抜粋:
(抜粋開始)
新成人の皆さんは、年上の人たちからのアドバイスを散々聞かされることになるでしょうが、ハタチのころの私とって、そのテの話に意味があったのかは疑問です。
みなさんより年上の人たちからの、所謂アドバイス的なモノは、もちろんみなさんのへの愛からくるモノではありますが、ハタチのみなさんが大事にすべきことは、年上の人たちのアドバイスではありません。
たとえば、年上の人たちが「そんなの無理だ・やめておけ」と言ったりします。
その人は、あなたがその挑戦に破れて失敗すること、そして、その失敗があなたを大きく傷つけることを心配してそう言ってくれているのです。
彼は彼の経験上、あなたの挑戦が失敗に終わると思っているのです。
でも、その人が「無理だ」と言うのは、「その人にとって無理」だっただけで、あなたには可能かもしれません。
その人にとっての限界より、あなたの限界がもっと遠いところにある可能性はじゅうぶんにあります。
ときには、彼らの「無理だ」という言葉が、可能性に溢れた若さへの嫉妬からくるものでありさえします。
たとえその人の言うように、あなたが失敗したとしても、その失敗したところから、次の挑戦をすればよいだけの話です。
失敗して、傷ついて、だいじなものを失って、そして、そこからどうするのかこそが、あたらしい価値を生み出せるかどうかなのです。
経験に基づく先人の言葉が価値を持つことも、ときにはありますが、彼らの言葉に束縛されることなく、自らで判断し、新しい価値を創造することのほうが重要です。
自分で決断し、自分で挑戦し、自分で失敗し、自分で這い上がり、自分で限界を超え、自分で常識を疑い、自分で新しい価値を創造し、自分で恋をし、自分で血と汗を流し、自分で幸せをつかむ、自由と責任があるんだという希望を、きょう成人式で新たにしてもらいたいと思います。
みなさんが、これまでの人たちには無理だったことに挑戦し、新しい価値を創造できなければ、社会は発展しません。
みなさんは、私たちの世代に発明できなかったものを発明し、私たちの世代に救えなかった人を救い、私たちの世代が実現できなかった夢を実現する人たちです。
みなさまの若さに対して、最上級の敬意を表したいと思います。
(抜粋終了)
―――
ネット上では、
「こういうの、もっと早く聞きたかった!」、「心に刺さった!」、「他の挨拶より、よほどタメになった!」、と言うような感想で溢れていましたが、皆さんはいかがでしたでしょうか。
きっと同じような感想ではないでしょうか。
教採に向けて、ぜひ皆さんも、切り口(どこから・なにから話始めるか)の感性を磨き、頭の中の引き出しを増やし、テンプレート化からの脱却を図ってくださいね!
ではまた来週!
川上貴裕