今年最後の日に,後悔は清算しなければ!!(微笑)
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教採塾の新企画, 教育論
【教員採用試験のバイブル】
今日は,2018年12月31日。
あと,数時間で,今年が終わります。
せっかくの区切りなので,後悔はすべて清算して,新年を迎えたいと思います。
後悔というのは,
河野正夫は,自分自身のスーパーミーを忘れかけていたかもしれない。
ということです。
私は,いつも2次試験のための講座では,受講者(教採受験者)に,
スーパーミーを演じきれ!
と言っています。
スーパーミーとは,自分が理想とする自分,自分がありたい自分のことです。
面接で,素のままの自分で望むから,緊張に負けたり,語りが崩壊したり,話下手になるのです。
自分が理想とするスーパーミーを確立して,それを演じきれば,緊張することも,語りが崩れることも,話が下手になることもありません。
例えば,シェークスピアの「ロミオとジュリエット」という戯曲(演劇)を演じるとします。
あなたが,ロミオ(ジュリエット)という役を演じることになったとします。
あなたは,ロミオ(ジュリエット)を演じます。
大勢の観客の前で,鼓動は高鳴るかもしれませんが,ロミオ(ジュリエット)の言葉に,「え~と」とか「え~」とか「あの~」とかが入るわけがありません。
あなたは,鼓動は高鳴りながらも,ロミオ(ジュリエット)を演じきることでしょう。
ロミオ(ジュリエット)は,素のあなたではないので,大勢の観客の前でも,崩れ去ることはありません。
あなたの緊張と,ロミオ(ジュリエット)の役作りは,根本的には全く違うものだからです。
面接でも,自分が理想とするスーパーミーを確立して,それを演じきれば,面接は最高のパフォーマンスで実演できます。
その時の語りは,最高の語りであり,聞き手(面接官)を魅了することでしょう。
さて,私自身も,これまで,ずっと自分自身のスーパーミーを演じきろうとしてきました。
でも,最近は,あまり,それができていなかったように感じるのです。
これが,今日,ここで言っている,私の後悔なのです。
ちょっと,具体的に説明させてください。
私のスーパーミーは,例えば,面接指導のスーパープロフェッショナル,語りの指導のスーパープロフェッショナルです。
もちろん,相当程度の事実と実績に基づいたスーパーミーです。
自分でも相当程度の自負があるスーパーミーです。
その完成形をスーパーミーとしてきっちりと演じきろうとしてきました。
ところが,最近,「普通の講師」,「普通の指導者」を演じてしまうこともあったのではないかと後悔しているのです。
3年ほど前,教採塾を株式会社にしました。
川上貴裕も指導者として教採塾に加わってもらいました。
だんだんと,「組織」としての教採塾,河野と川上という「講師陣」の統一性ということを考えるようになっていました。
これは,ちょうど学校が,本来は,もっともっとエキサイティングで,クリエイティブなところであるはずなのに,学校という組織が独り歩きして,組織としての行動しかできなくなるのとよく似ています。
また,学年団に,多種多様な教師がいるにもかかわらず,学年団で歩調を合わせるとか,学年団で指導のレベルを(指導の巧妙さも含めて)合わせるようになるのと同じかもしれません。
河野正夫は,組織ではやりたいことができないと思い,大学教員を辞め,自ら,教採塾を立ち上げたのに,教採塾が組織になったら,組織の論理で動いていたかもしれない自分がいます。
教採塾が,この15年間で大きく発展したのは,河野流の自由奔放で,理論と実践と実績に裏付けられた情報発信があり,河野の「スーパースター性」があったからです。
決して,うぬぼれているわけでも,自慢しているわけでもありません。
河野が,普通の講師,普通の指導者になったら,教採塾の価値はなくなります。
河野はミラクルを起こし,例えば,十何回不合格になり続けた人でも,一発で合格させるというレジェンドが多くの人を惹きつけてきました。
河野のレジェンドに嘘はありません。
だからこそ,多くの人が教採塾の講座を受講してくださいました。
でも,最近,教採塾が大きくなり,組織となって,河野は,「組織人」を演じようとしていたのかもしれません。
組織の理屈で考え,講師陣の歩調を合わせるといった,普通の学校で見られるメンタリティを持ち始めていたのかもしれません。
でも,もうそれは,断固として,止めます!
河野は,普通の講師,普通の指導者にはなりません。
河野は,スーパー・ティーチャー,ミラクル・ティーチャーであり続けます。
河野は,組織の論理や講師陣の歩調合せのために行動はしません。
河野は,受講者が教員採用試験に確実に合格することだけを目標にして行動します。
ここ最近,伝説の受講生と言われた人たちに,「河野先生は丸くなりましたね!」と言われることが増えていました。
誉め言葉かなと思っていた自分がいました。
誉め言葉だと思ってはいけませんでした。
これは,私への最大の警告だったということが,はっきりとわかりました。
これからは,「丸く」はなりません。
スーパーミーを追求していきます。
スーパー・ティーチャー,ミラクル・ティーチャーであり続けます。
そんなことを決心した,2018年大晦日でした!!
では,また明日!!
河野正夫