【川上貴裕】授業では、重点となる部分を必ず決めておく!

教育論

教採塾の川上です。

 

 

さて、前回の続編とでもいいましょうか。

前回の木曜日のブログでいうところの、「授業の構成力」の部分にあたります。

 

本日のブログは、「授業では、重点となる部分を必ず決めておく。」ということについて。

 

要は、「構成は決めた!あとは、授業を流すだけ。」、という問題ではないということです。

 

子供たちの知識・教養というものは、その授業毎に、単元ごとに、何となく獲得できるとしても、学ぶ視点・ポイント・落としどころが無ければ、学習への意欲というものは醸成されません。

 

意欲がないということは、そもそも授業に主体的に向き合っていないということですので、授業後に獲得できるであろう知識・教養も、それはただの、教師の一方的な教え込みということになります。

 

無論、このような授業は、子供たちにとって、ただただ苦痛な時間でしかありません。

 

苦痛になると、「早く終わらないかな。」と時計ばかりを見たり、落書きを始めたりして、更に集中力は途切れてしまいます。

 

導入や「めあて」で子供たちが興味を抱くような内容にしたり、「ここ!」というピンポイントの部分で惹きつけたりすることができるように、内容や展開を考えて、授業を構成しなければいけません。

 

例えば理科であれば、

 

① 問題・課題把握

② 予想・仮説

③ 実験計画

④ 結果の予想

⑤ 実験・観察

⑥ 結果

⑦ 考察

⑧ まとめ

⑨ 振り返り

 

この上記の流れで、私は実際に授業を行っていましたが、重点を置いていたのは、②の「予想・仮説」と、④の「結果の予想」です。

 

最初は、子供たちは、「早く実験がしたくて仕方ない。」という感じでしたが、ここで、より多くの意見を子供たちから引き出させることが何より重要です。(教師の発問、問いかけの仕方の工夫ももちろん必要です。)

 

多くの意見、特に、予想がばらけるほど、「結果はどうなるのだろう。」と考えますし、自分の予想をより多くのクラスの子に納得してもらうために、きちんと自分なりに筋道立てた予想を発表し合います。

 

また、予想に並行して、「予想がこうだとすれば、結果はこうなるはずだ。」という④結果の予想もさせます。

 

これにより、より複雑で論理的な思考力が育ちます。

 

こうして、たくさんの予想や仮設、結果の予想が出たところで、いよいよ実験に移るわけです。

 

そうすると、自分の予想が合っているのか、はたまた違っているのか。

違っていたら、どうして違ったのか。

また、他の子の結果の予想と比較しながら、真剣に実験を眺めます。

実験の変化が現れるまでは、本当に理科室は静まり返っています。

(結果が気になるから、静まり返っていたのもありますが、火を扱う実験では、「自分の息で焔の風向きが変わって、違った結果になるかもしれないから、正しい実験結果を見るためにも・・・」、と配慮している子もいるほどでした。)

 

変化が現れ出すと、「うわ~ぁ。」と、うっとりしたような声を上げ、一人ひとり本当に目を輝かせます。

この流れが定着すると、子供たちから、「実験も楽しいけど、予想や仮説を立てる場面がめっちゃ面白い!」と口々に述べるようになります。

 

ある時は、社会の時間で。

 

社会は、好き嫌いが本当にはっきりと分かれる教科でもあります。

 

苦手な子の多くは、「つまらない。」、「覚える言葉が多すぎる。」、というのがあるようです。

 

社会で集中力を持続させる、あるいは、「今回の授業は、どんな結末になるのだろう?」と思わせる手法として、「答えのない(意見が出しやすい)導入」を展開することが有効です。

 

例えば、文明の授業で。

 

「古代エジプトのピラミッド。

(いつごろできたものか。高さや、一つの石の大きさの説明)

当時はヘリコプターも重機もなかった。

現代の技術を駆使しても、建設することは不可能だとも言われている。

でも、古代エジプト人は、あんな大きな建造物を造った。

もし、君が現場監督になって、このピラミッドを造るとしたら、どうやって造るだろう。」

 

ある程度、建設の過程は解明されつつありますが、未だに多くの謎が残っています。

だからこそ、例え無茶な考えだとしても、いくらでも想像が効く導入です

そして、重要なのは、その建築法が正しいかどうかではないのです。

正しいかどうかを判断するものではないので、発表もしやすいのです。

また、他の多くの現場監督(子供たち)の建築法を比較する中で、「そんな方法、思いつかなかったな!」と、面白おかしく、より思考力が深まる場面も多くあります。

 

答え合わせはしません。

自分が想像したものが、合っているかどうか気になる子、当時の人たちはどうやって造ったのか気になる子、それぞれいますが、要は、自分が想像に参画したからこそ、答えが気になるのです。

本当に答えが気になる子は、帰って自主学習で調べてノートに書いてきます。

 

これだけでも、意欲という観点では、申し分ありません。

導入で惹きつけることができれば、サッと展開に入っても、想像の時点で集中力が高められているので、授業が終わるころには、「もう授業終わったの?!」と、子供たち本人が驚くほどです。

 

勝ち負けではありませんが、このセリフを出させることができれば、その教師の授業の構成は、勝ちだったと自負できるものだと思います。

 

また、日本史の授業であれば、日本側の視点で描かれていることが多いですよね。

 

そこを、例えば、ペリーの視点で考えてみて、日本に来るまでの船旅、上陸してから、帰ってから、どんなことを考えたか。

あるいは、自分がペリーなら、どのように日本の役人と話をつけるか。

もしそのように話をつけたとしたら、歴史はどう変わっただろうか。

日本側からすれば、「ペルリ」の絵のように、野蛮な人が来たと思われているが、アメリカ側は、日本人のことをどう思っていたのだろうか。

 

と、相手側(描かれていない側)の視点で、歴史を考察してみる、というのも面白いです。

 

これは、「硫黄島」、「父親たちの星条旗」のように、クリントイーストウッド監督がよく取る、両者視点の手法ですよね。

 

加えて、

 

「現代に龍馬が生きていたら、どんな改革をしただろうか。」

「○○時代の人の恋愛ってどんな感じだったのだろう。」

「歴史上では、真面目な人だけど、この人は、実はプライベートでは・・・。」

 

というのも、導入の少ない時間の中で想像したり、こっそり教えたりするだけで、子供たちの食いつきは凄まじいものとなります。

 

「昔の人も、今の人と変わらないな。」と思うと、勝手に親近感がわきます。

親近感がわくと、「もっと知りたい。」と感じます。

ここまでいくと、先ほど述べたように、集中力が持続したまま授業を終えることができます。

 

ありきたりの授業でもちろん構いませんが、その授業を工夫やポイントも考えず、そのまま流すから、つまらない授業になってしまいます。

 

お笑い芸人や、歴代の合衆国大統領も、

 

「ここで笑わせる。」

「ここで感動させる。」

「ここで共感の拍手をもらう。」

 

というようなピンポイントの綿密な戦略を徹底的に練っています。

 

どこに重点・ポイントを置くか。

どの場面、どの部分で子供たちを食いつかせるか。

 

教師も、ピンポイントレベルで、学習指導案・授業案を練らねばいけないのだと思います。

 

公開授業や研究授業で、学習指導案を作る際も、項目・欄の中には「子供たちの反応」というものありますが、あの項目で本当にたくさんの予想や、反応が予測できる教師が、本当に優れた教師だと考えます。

 

反応がたくさん予測できる=発問が秀逸ということの裏返しでもありますから。

 

皆さんの授業には、子供たちが食いつくポイントや重点はあるでしょうか。

ぜひ、いろいろな切り口・視点を探してみてください。

 

根本的なことを言うと、もっともっと知識・教養を磨いてみてください。

 

そうすれば、自然と面白い授業・子供たちが前のめりで聞きたくなるような授業が思い浮かびますよ!

 

では、また木曜日に!

 

 

教採塾

川上貴裕

 

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