戦う勇気,嫌われる勇気,名前を出す勇気を持ちたいものです!

教育論

【教員採用試験のバイブル】

 

「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」と言うのは,夏目漱石の『坊ちゃん』の冒頭文ですね。

 

「親にも似ず,子供のときから,戦ってばかりいる。」と言うのが,河野正夫のライフストーリの冒頭文になりそうです(微笑)

 

確かに,私は,子供の頃から,組織や大人の理不尽が許せず,ずっと戦ってきました。

アメリカに住んでいた時は,友人たちから,”Freedom Fighter”(自由の戦士)のニックネームをもらっていました。

 

私は,難しいことや面倒なことが嫌いなので,そもそも意味のない争いをする方ではありません。

どうでもいいことは,極力,放置します。

 

でも,理不尽なこと,人の権利を侵害すること,個人の尊厳を踏みにじるようなことには,毅然と立ち上がります。

そして,相手は,ほとんどすべてが,巨大な組織です。

学校であったり,大学であったり,権力者であったり。

 

ここにそのストーリーのリストを書きたいくらいですが(笑),今日は,やめておきましょう。

興味があったら,私(河野)を飲みに誘ってください。飲みながら,”Heroic Tales”として,お話ししましょう。

 

昨今,学校教育の現場は,ブラックだと言われます。

あり得ないような残業が続き,土日も祝日も部活動指導があり,膨大な量の校務分掌を押し付けられ,心も身体も過労死寸前という人も多いと聞きます。

 

でも,私は,こんな経験をしたことがありません。

あらゆる理不尽と戦ってきたからです。

定時出勤・定時退勤,土日や祝日は必ず休むを徹底していました。

有給も基本,すべて,使い切ります。

理不尽を言われたら,堂々と反論します。

最終的には,法律・規則の側に立っている人に分があります。

法律や規則に従っている限り,上司も組織も何も手出しはできません。

 

本当は,日本の学校現場もブラックにはなり得ないはずなのです。

でも,恒常的にブラックになっているのは,やはり,戦う人が少ないからなのでしょう。

 

もちろん,いったん戦いを始めれば,たとえ法律や規則に従っているからオフィシャルな制裁は加えられなくても,人間関係は崩れるかもしれません。職場の上司や先輩の同僚からは嫌われるかもしれません。

嫌われる勇気なくして,戦うことはできません。

戦いの代償は,ほとんどの場合,周囲の人から嫌われることとなります。

 

日本人は,人に嫌われたり,人に陰口を言われるのが,何より嫌いですから,これを避けようとします。

これを避けるためには,自分の権利が侵害され,自分の心身がむしばまれても我慢します。

私のような人間にはない発想です。

私は,自分の権利が侵され,自分の心身に悪影響が起こりそうな理不尽には,真正面から戦いを挑みます。

 

何度も言いますが,法律と規則の側に立つ限り,負けることはありません。

もちろん,上司や組織や同僚の一部には嫌われます。

私のような人間は,嫌われることをそれほどイヤなことだと思っていないので,このリスク・代償は,甘んじて受けます。

自分の権利や心身が侵害されるよりも,嫌われる方が,よほどマシだからです。

 

そう言えば,何年か前に,米倉涼子さん主演の「ドクターX」というテレビ番組がありました。

 

 

米倉さん演ずる主人公のドクターX(大門医師)の口癖があります。

 

「医師免許がなくてもできることは,いたしません。」

 

このセリフを聞いて,なるほど!と思いました。

 

これを学校現場に応用すれば,

 

「教員免許がなくてもできることは,いたしません。」

 

ということになるでしょう。

 

授業で教科指導をする,生徒指導をするなどは,原則として,教員免許がなければできないことです。

教員免許とは,子供を教育する・指導するための免許です。

 

でも,学校で教員がさせられていることは,教員免許がなくてもできることが圧倒的に多いですよね。

 

近年,「チームとしての学校」という言葉がもてはやされるようになりましたが,そもそも教員免許がなくてもできることは,教員以外が行い,教員とチームを組むというのは,当たり前のことであり,いまさらかという思いがしないでもありません。

 

また,日本の組織は学校現場であれ,一般の民間企業であれ,クレームを恐れ過ぎます。

もちろん,公正なクレームは,組織の在り方や業務の仕方を改善するための有用なインプットとなり,顧客満足の上からも尊重されるべきものです。

でも,日本では,モンスター・ペアレントやモンスター・カスタマーとでも呼べるような理不尽なクレームや要求が多く見られます。

 

私が社会人としての最初の10年間を過ごしたアメリカでは,一瞬にして,無視,あるいは,警察等に通報されるようなクレームも,日本の組織では,それこそ「土下座対応」で,取り扱っています。

特に,学校への保護者からのクレームや要求は,時に,理不尽の域を超えますが,それでも,できるだけ保護者の意向に沿うような対応をしています。

 

学校を始めとして,組織が理不尽なクレームにさえ,弱腰で対応するために,モンスターはさらに肥大化し,さらに理不尽なことを言ってくるようになります。

毅然とした対応ができないというのが,日本の組織の悪いところです。

特に,学校現場では,保護者に対して,「事なかれ主義」が多すぎます。

 

私(河野)は,こういう理不尽なクレームについても,毅然と対応してきましたし,理不尽な要求に屈することは,金輪際ありません。

 

私は半分冗談で,日本に悪質なクレーマーが多いのは,学校教育のせいだと言っています(微笑)。

そもそも,学校で,子供を甘やかし,保護者を甘やかすから,理不尽なクレームが許されると思うようになるのではないかと感じているのです。

理不尽なことを言うと,毅然とシャットアウトされるという「しつけ」を子供にも保護者にも知らしめる必要があると考えています。

 

教採塾は,その点,毅然としています。

そんなに理不尽なクレームは来ないのですが,たまに理不尽なメールが来れば,毅然と対応しています。

そもそも理不尽な要求のクレームは,その文章自体が,稚拙であり,無礼千万です。

上品に,知的に,冷静にクレームをする術すら知らないのです。

こういう人には,「お前はバカだ」ということを知らしめてあげるしかありません。

もちろん,教採塾は上品に反論し,「バカだ」などという言葉は,クレーマーには使いませんが(笑),クレーマーが「自分は相手にもされていないんだな」と分かるように対応します。

 

クレーマーのもう一つの情けない側面があります。

自分の名前は匿名にしたうえで,批判するということが多いのですよね。

学校現場の保護者のクレームは,この点は,まだマシなのかもしれません。

名前も顔も出してのクレームですから。

 

でも,世の中は,匿名のクレームに満ち溢れています。

自分の名前も顔も出すことなく,他者だけを批判・非難するという卑怯な振る舞いしかできない人がかなりの数いるのですよね。

臆病者で卑怯者が,裏でコソコソ暗躍するという感じですね。

私は吐き気を催すくらい,こういう人が嫌いです。

 

今日のブログ記事は,話がずいぶんときな臭いものとなりましたが,私(河野)は,常に,

 

戦う勇気,嫌われる勇気,名前を出す勇気を持ちたい

 

と思っています。

 

理不尽と戦うのならば,嫌われる勇気を持ちます。

戦うのならば,名前と顔を出して,堂々と戦います。

戦わずして,屈することは,絶対にありません。

 

こんな教師がもっともっと増えると,日本の学校は変わるような気がします。

 

戦う勇気,嫌われる勇気,名前を出す勇気を持ちたいものです!

 

 

では,また明日!!

 

 

教採塾

河野正夫

 

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