『合う・合わない』を見極めることも,合格を勝ち取るために重要なことです!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教育論

【教員採用試験のバイブル】
どんなに美味しい料理でも,すべての人が美味しいと思うとは限りません。
どんなに美しい人でも,すべての人が好きになるとは限りません。
どんなに面白い物語でも,すべての人が面白いと思うとは限りません。
人の好みはそれぞれです。
一般的な傾向や流行はあるかもしれませんが,それでも,すべての人の好みが同一になることはありません。
特に,人がある対象に感じる「合う・合わない」というのは,その人が持っている根本的な相性であり,他人からの強制で変えられるものではありません。
教員採用試験の参考書や問題集でも,それぞれの受験者には,「合う・合わない」というのが必ずあります。
多くの先輩たちを合格に導いたと言われる参考書や問題集でも,ある受験者にはまったく「合わない」かもしれません。
ある勉強法が多くの人々を合格に導いたとしても,その勉強法は,ある受験者にはまったく「合わない」こともあります。
「合う・合わない」というのは,本当は,ものすごく重要なことです。
日本人の多くは,比較的,集団的思考をしますので,大多数に受け入れられるものは,すべての人に受け入れられるはずだと思いがちですが,それは,とても危険な考え方です。
多くの人が,美味しいと思うエビやカニも,それらに対するアレルギーを持っている人にとっては,危険な「毒」となります。
薬だって,多くの人に有効な薬も,特定の人には,重篤な副作用を引き起こすかもしれません。
世の中には,すべての人に確実に有効なものなど存在しません。
ひとりひとりが,自分にぴったりと「合う」有効なものを探し出すしかありません。
教員採用試験の勉強方法もまさにその通りで,「先輩がこうして合格した」,「先輩はこうしたから不合格になった」,「先輩はこれだけやれば合格すると言っていた」というような言説は,時として,全く役に立たないことがあります。
その先輩には,有効だった・有効でなかった方法が,他の人には,まったく反対の効果をもたらすこともあります。
ここの見極めができる人が,教採でも合格を勝ち取れます。
人はそれぞれ違う。
人はそれぞれ学びの個性がある。
人はそれぞれの戦略がある。
このことを忘れてしまうと,みんなが同じ勉強法だけをやってしまい,その勉強法に合っている人だけが合格し,合っていない人が不合格になります。
これは,ちょうど,ある病気の人すべてに同じ薬を投与すると,その薬に合う人は治療できるけれども,その薬に合わない人は,最悪の場合,死んでしまうというのと同じです。
教採塾も同様です。
教採塾での学びが,自分にピッタリと合っている人もいます。
教採塾の学びが,全然,自分には合っていない人もいます。
教採塾のモットーは,
楽しく学ぶ。
楽して学ぶ。
意味を理解しながら学ぶ。
活用できるように学ぶ。
満点(高得点)が取れるように学ぶ。
ライバルに圧倒的な差を付けるように学ぶ。
表現できるように学ぶ。
語りのレトリックを学ぶ。
語りのパフォーマンスを学ぶ。
印象を向上させる。
なにより,明るく,元気に,爽やかに。
です。
こういう学び方になじめない人は,教採塾は合っていないかもしれません。
また,こういう学び方に挑戦してみたい!という人は,教採塾はピッタリ合っているでしょう。
時々,教採塾の講座を受講したけれど,自分には合わなかったという人もいます。
当然のことです。
丸暗記だけしたい人は,教採塾は合わないでしょう。
子どもたちには,アクティブ・ラーニングをさせたいけれど,自分は暗記中心の受験勉強だけで合格するしかないという人は,教採塾には合わないでしょう。
勉強とは苦行そのものだから,受験までの我慢だと思っている人は,教採塾には合わないでしょう。
しかしながら,
せっかく学ぶのならば,楽しく,しかも,楽をして,効果的,かつ,効率的に学びたいという人は,教採塾に合っています。
学んだことをどんどん使って,満点(高得点)で,自信を持って,余裕を持って,合格を勝ち取りたいという人は,教採塾に合っています。
自分を変え,運命を変えて,新しい自分を発見し,自分でも好きになれる自分を演出して,周囲の人を幸せにしながら,合格を勝ち取りたいという人は,教採塾に合っています。
教採塾に合っていない人が,悪いというつもりは全くありません。
人はそれぞれです。
人はそれぞれ学び方があります。
人はそれぞれ合格の勝ち取り方があります。
教採塾は,教採塾が自分に合っているかも!という人のご受講をお待ちしています。
では,また明日!!
河野正夫