今日のブログ記事は、特に真剣に書きます。
もしよろしければ、真剣にお読みいただくと嬉しいです。
今日のブログ記事のテーマは、
信念をもって教採に挑戦し、信念をもって自分を見つめ、ときに、信念をもってあきらめる!!
です。
ややショッキングなテーマの書き方かもしれません。
でも、とても、重要なことなのです。
まず、信念をもって教採に挑戦する、というのは、
教師になりたい、XXXという教科を通じて子供たちに伝えたいことがある、XXXという学校で子供たちを育みたい、という強い志があるということです。
これは、受験作文的な志望動機のことを言っているのではありません。教師になりたい、教育をしたい、子供を育みたいという強い意志のことを言っています。
ごく少数の人ではありますが、教師を単なる転職先くらいにしか思っていない人がいます。
もちろん、職業選択の自由がありますから、転職は自由なのですが、教師という仕事が本当にやりたい仕事なのか、単に身分や収入が安定している公務員ということなのか、という区別は重要です。
職業選択の自由という考え方では、身分や収入の安定で職を選んでも何の問題もありませんが、採用する側からすると、やはり、教師という仕事を本当にやりたい人を採用するのは当然のことです。
職業選択の自由は、その人の職業選択の意志の自由を保障しますが、ある特定の職業(例えば、教師)として採用されることを保証するものではありません。採用されるかどうかは、採用する側の自由意思によるものです。
教師になりたい、教育をしたい、子供を育みたいという強い志がなければ、教員採用試験の面接は、悲惨なことになります。
どれだけ、面接演習をしても、結局は、ボロが出ます。
採用側の面接官も、そこはかなり、厳しく突いてきます。
教師になりたいという志がまったくないのに、面接官をだませるくらいのコミュニケーション・パフォーマンス能力がある人がいるとすれば、その人は、教師より、俳優か、もしかすると、詐欺師に向いている人かもしれません。
教員採用試験に合格するためには、まずは、教師になりたい、教育をしたい、子供を育みたいという確固とした「信念をもって教採に挑戦する」ことが必要です。
次に、重要なのは、信念をもって自分を見つめる、ということです。
信念をもって自分を見つめるというのは、自分が本当にやりたいことを自分がいまやろうとしているかという視点です。
教採においては、合格可能性ということばかりに眼が向いてしまうことがあります。
例えば、
中高社会の志望では定員も少なく競争倍率も高いから、免許を取り直して、小学校志望にしよう。
高校保健体育は定員も少なく競争倍率も高いから、免許を持っている、中学校保健体育にしよう。
自分の故郷(地元)の県では定員も少なく競争倍率も高いから、大都市圏の教採を受けよう。
といったものです。
もちろん、ある意味では、これは、合格のための戦略的な決断です。
一概に間違っているとは言えません。
合格可能性を上げるためには、有効な戦略かもしれません。
でも、2つの点で、致命的な問題をはらんでいます。
一つ目は、採用側の面接官に見透かされるということです。
中高社会から小学校に転身する場合、あなたに小学校教師としての資質や能力が十分にあれば問題はないでしょう。
でも、ただ、合格可能性を上げるために、通信制の大学で免許を取っただけというのであれば、採用側の面接官は、あなたの動機を疑います。
疑いは、低い評価につながります。
あなたが小学校で臨時に講師をして、中高社会よりも、小学校教育の方が自分に向いている、自分のやりたいことがそこにはあるというのであれば、志望動機も胸を張って語れるでしょう。
でも、合格可能性を上げるためだけなら、志望動機は、結局は、受験用作文となってしまい、誰からも信用してもらえません。
高校から、中学校に志望先を変える場合も同様です。
地元(故郷)から、大都市圏(他の地域)に志望先を変える場合も同じです。
もしあなたに、中学校に志望先を変える本気度の高い理由があれば、問題はありません。
本気度の高い理由というのは、あなたが中学校教育に見出したものや、中学校教育に貢献したい理由、あなたの中学校教師としての資質や適性のことです。
でも、ただ単に、合格可能性を上げるための転身なら、面接官はそれを疑い、見抜くことでしょう。
周囲の人は、安易で安直なアドバイスをすることがあります。
例えば、「とりあえずは、中学校で教師になって、(あるいは、大都市圏で教師になって)、しばらく教師をして、また、高校に(あるいは、地元の県に)帰ってくればいい。」といったものです。
もっともそうに聞こえますが、結構、これを実現するのは大変です。
もちろん、中には、上記のアドバイス通りに戻っていった人もいますが、多くの場合、そんなに簡単なことではありません。
「とりあえず」という発想は、人生を狂わせることが多いものです。
「とりあえず」という発想で、人生の決断をしてしまった場合、それを、自分が理想とする人生に戻すことができるのは、ごくごく少数の人です。
ほとんどの場合、「とりあえず」の人生を続けることになります。
このことが、二つ目の点となります。
つまり、「とりあえず」で選んだ人生は、つまらない、面白くない、悔やまれる日々が続く、ということです。
本当は高校教師になりたかったけれど、中学校教師になったという場合、最初の決断の動機が、「とりあえず、中学校教師をして、また、いずれ、高校教師になればいい。」というものであったとします。
既に述べたように、中学校教師から、高校教師に転身するのは、不可能ではないにしても、そんなに簡単なことではありません。
高校教師になれない日々が続きます。
中学校教師に魅力を感じるようになればよいのですが、魅力を感じていなければ、毎日が苦痛です。毎日が後悔です。毎日が面白くありません。
そして、そんな中学校教師に教えてもらう中学生が可哀そうです。
志望自治体の場合も同様です。
本当は、自分の県で教師になりたいけれど、とりあえず、大都市圏で教師になる。
武者修行というのであれば構いませんが、自分の県で教師になるためには、また、教採を受験する必要があります。現職枠の教採もかなり難関の試験です。
現職枠の教採を落ち続けることだってあります。
そうすると、特に望んでいない自治体での教師生活が苦痛になります。
これもまた、その自治体であなたが教えている児童生徒にとっては可哀そうな状況となります。
「信念をもって自分を見つめ」、安易に自分に妥協しないことが必要です。
自分がなりたい教師になる、自分がなりたい場所でなる、ということは、あなたの幸せにとっても極めて重要なことです。
そして、最後の、「ときに、信念をもってあきらめる」も、厳しいようですがとても重要です。
世の中には、例えば、ピアノが好きでも、ピアニストに向いていない人もいます。
野球が好きでも、プロ野球選手になれない人もいます。
歌が好きでも、歌手になれない人もいます。
夢を叶えることは重要ですが、ある特定の夢は叶わないことがあります。
夢は一つではありません。ピアニストになれなかった人が、素晴らしい教師になるかもしれません。プロ野球選手になれなかった人が、有能なビジネスマンになるかもしれません。歌手になれなかった人が、毎週、カラオケを楽しむ幸せな人生を送っているかもしれません。
夢は複数あるものです。
一つの夢だけにこだわることは、素晴らしい結果を生み出すこともありますが、人生を楽しくなくする可能性もあります。
教師になる夢は、素晴らしいものです。
でも、世の中には、教師に向いていない人もいます。
厳しい言い方ですが、これが現実です。
夢を叶えるための最善の努力は必要ですし、尊いものです。
でも、叶わない夢もあります。
その場合は、新しい夢、自分にふさわしい夢を見出すことが大切です。
教師になる夢も、ある人にとっては、叶わぬ夢かもしれません。
今日は、こんなことをブログ記事に書いて、ごめんなさい。
でも、初心に戻って、ブログを書くことに決意を新たにしました。
このブログは、もともとは、「教育について熱く語り、教員採用試験に合格するための秘訣についても語」るものでした。
教採塾は、主催者の河野正夫の信念と指導力と信望で成り立っている講座です。
教採塾は、予備校ではなく、「私塾」だとこれまでも申し上げました。
教採塾の講座を受講してくださり、不可能を可能に、不合格を合格にされたかたは何百人もいます。
教採に合格するのは不可能と思われた方、例えば、
16回連続で不合格になっていた方、
合格定員1名の志望先を受験する方、
民間企業を数社以上転職して教採を受験する方、
50歳代半ばで教採を受験する方、
ある県の正教諭だったけれど、一度、退職して、数年後、再びその県の教採を受ける方、
予備校等の指導者に「あなたは教採には受からない」と言われた方、
こういった方を、合格にお導きしてきました。
決して、簡単ではありませんでした。
でも、「信念をもって教採に挑戦し、信念をもって自分を見つめ」ることを理解し、確固とした信念をお持ちの方は、必ず教採に合格することを、過去15年間で証明してきました。
ただし、中には、信念をお持ちでない方もいます。信念をもって自分を見つめることをなさらない方もいます。教師になる夢が自分に向いていないことを悟られない方もいます。
誤解しないでくださいね。教師に向いていないというのは、経歴でも、不利なバックグラウンドでも、年齢でも、性別でもありません。
教師に向いていないというのは、その人が、教育について本気で考えていない・考えられない、対人コミュニケーション能力がない、社会人としての常識が全くない、あらゆることを「とりあえず」で考える、といった特徴を持っていることです。
こういう特徴が目立つ方は、これまでも、そして、これからも、ご受講をお断りしています。
教採に合格しないだけでなく、万が一、教採に合格したとしても、子供にとって「百害あって一利なし」だと考えるからです。
私、河野正夫は、教採塾を設立したとき以来、「なりたい人が、なりたい場所で、なりたい時に教師になる。それが未来の子どもたちのためになるなら。」をモットーとしています。
本気で教師になりたくない人のご受講を教採塾はお断りしています。
本気で教師になりたい場所を探すことを教採塾はご支援しています。
本気で教師になりたい時が今ならば、年齢が何歳であっても、経歴がどんなに複雑でも、教採塾は、合格にお導きしています。
この場で、はっきり申し上げます。
教採塾は、教採の受験産業の一部だと思われることを、心から残念に思っています。
教採塾は、教師になりたい人に、教員採用試験に合格して、優れた教師になっていただく機会を提供しています。
しかし、教採塾は、教採の受験予備校ではありません。
教採塾を設立した初年度、そこには、教師になりたいと本気で思って講師をしているけれど、なかなか教採に合格しない。教採に合格する勉強方法がわからないという人が10人ほどいました。
その人たちの本気度を信じて、お手伝いを始めたのが教採塾でした。
それから年月が経ち、教採塾は大きくなり、全国の都市で講座を開講しています。
でも、教採塾の精神は変わりません。
本気で教師になりたいけれど、教師になるためには教採に合格しなければならない。合格するための学び方を知りたい。そういう人をご指導し、ご支援したいと願っています。
教採を受けるから、とりあえず、教採塾という予備校に通っておこうという人をご指導したくはありませんし、ご支援したくはありません。
教採塾は、受験産業の一角としての予備校ではありません。
教採塾は、本気で教師になりたい人が、教師になるチャンスをつかむ場です。これまでもそうでしたし、これからもそうあり続けます。
では、また明日!!
河野正夫
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