不合格の負の連鎖をつくっているのは自分です。自分を変えれば合格は勝ち取れます!!

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何年も何年も連続して、教員採用試験を受験しているのに、毎年、不合格になってしまう人がいます。

 

いわゆる、不合格の負の連鎖に陥っている人がいます。

 

今日は、不合格の負の連鎖について、お話してみたいと思います。

 

 

 

 

不合格の負の連鎖には、いろいろありますが、まず、次の2種類に分類できます。

 

 

(1)1次試験(筆記試験)での連続不合格型

 

(2)2次試験(個人面接)での連続不合格型

 

 

まず、(1)の1次試験(筆記試験)での連続不合格型については、ひとえに、自分に最適の勉強の仕方がわかっていないということがあります。

 

このブログでも過去に書きましたが、多くの教採受験者は、教採の筆記試験の勉強を、いわゆる受験勉強、つまり、高校入試や大学受験のときの丸暗記型の勉強をしています。

 

丸暗記型がそれ自体悪いということではありません。

 

自分が丸暗記型では、満点や満点近くの高得点に達するはずがなく、せいぜい60%内外しか取れないと知っていても、丸暗記型の勉強しかできません。

 

こういう人は、中学校時代も、高校時代も、入学試験でも、丸暗記型の勉強をして、せいぜい平均点かそれ以下くらいしか取った経験のない人です。

 

丸暗記型の勉強では、自分は高得点は取れないと知っていても、それ以外の勉強方法を知らないので、あいかわらず丸暗記型の勉強法を続けている人です。

 

学習方法を知らないという無限ループにはまってしまうと、いつまでたっても、苦行である丸暗記型の勉強をして、いつまでたっても、平均点かそれ以下の得点を取り、競争倍率が2倍以上の教採の筆記試験で、毎年、敗退を続けます。

 

1次試験(筆記試験)での不合格の負の連鎖に陥っているのは、自分に最適な勉強法、つまり、自分が満点か満点近くの高得点を勝ち取ることができる勉強方法を見出していないということです。

 

もちろん、中学校・高校・入学試験等で、満点か満点近くの高得点を取る勉強方法を確立している人は、教員採用試験での1次試験(筆記試験)も難なく高得点で合格を勝ち取ります。

 

不合格の負の連鎖に陥ってしまうのは、高得点を勝ち取る、つまり、自分が理解し、活用できる学習方法を見出してない人たちなのです。

 

学び方を知らない教採受験者になってしまうと筆記試験を乗り越えることが困難になります。

 

自分に最適な学習方法を見出すことが何よりも重要です。

 

 

(2)の2次試験(個人面接)での連続不合格型の最大の特徴は、自分の弱みが自分で客観的にわかっていない、あるいは、わかっていても、それを払拭し、強みに変える方法を知らないということです。

 

面接は、人が人を選ぶ営みですから、客観的な評価ではなく、主観的な評価です。

 

どんなに精密な面接評価シートが面接官の前に置かれているとしても、最終的には、面接官の主観的な評価で合否は決まります。

 

教採の面接で最も不合格になりやすい人は、そもそも、こういった主観的な評価に文句を言う人たちです。

 

面接はフェアでないとか、面接は客観的ではないとか、自分がどうして面接で低い点を付けられるのがわからないとか、そのようにしか思えない人は、不合格の負の連鎖に陥ってしまう人です。

 

そもそも人が人を選ぶのに、フェア(純粋な意味での公正・公平)があるはずもなく、客観的になるはずがありません。

 

あなたが面接で低い点を付けられた最大の理由は、面接官があなたに好感を抱かなかったからです。

 

 

私は、よく面接を恋愛に喩えます。

 

恋愛もまた、恋愛の相手を選ぶ基準は、フェア(公正・公平)なものではなく、客観的でもありません。

 

愛する人に、愛してもらえない最大の理由は、その人があなたのことを好きではないからです。

 

 

人が人を選ぶという営みである面接に、マークシート方式の試験レベルの客観性や透明性を求めるのは、自分に人間的魅力がない人の「負け犬の遠吠え」以外のなにものでもありません。

 

面接では、採用側の面接官に、気に入ってもらわなければなりません。

 

気に入ってもらうとは、好印象を持ってもらう、好感を持ってもらう、共感してもらうということです。

 

 

3、4年前でしたか、私の個人レッスンを受講されたある方が、個人レッスンが始まるや否や、面接官の悪口、面接制度の矛盾の指摘、自分がいかに面接で不当に扱われたかの苦情を話し始めました。

 

私は、その様子とその人の話しぶりで、この人はそもそも人に好かれる人ではないなと感じました。

 

一通り、その人の愚痴と苦情をお聞きして(30分以上かかりましたが。。。)、私は、その人に次の質問をしました。

 

 

「あなたは、これまで人生で、誰かにものすごく好かれたことがありますか?」

 

 

大胆な質問でしたが、あえて聞いてみました。

 

その人は、即座に応えました。

 

 

「いいえ、特に、人に好かれたということはありません。」

 

 

予想以上に、正直に答えてくれました。

 

私は続けて、その人に次の質問をしました。

 

 

「人にあまり好かれないタイプということでしたら、そんなタイプの人が、子供たちの前に立って教育をすることができるでしょうか?保護者とよい人間関係を築けるでしょうか?」

 

 

その人の答は、次のようなものでした。

 

 

「教師は、教科指導をきちんとするのが最大の仕事で、特に人に好かれるということは重要ではないと思います。教科指導の能力で判断してほしいものです。」

 

 

なるほど。そういう考えなのかと感じ、さらに、私は、次の質問をしました。

 

 

「教科指導の能力と教科の能力は違いますよね。教科指導の能力とは、教科を人である教師が人である生徒に教えることですよね。そこには人間関係や信頼関係や人間的魅力が介在してきます。教科の能力なら、あなたの専門の教科の知識や教養や技能がどれだけあるかとうことになります。あなたの言うのは、どちらですか?」

 

 

その人は、

 

 

「後者です。専門の教科の知識や教養や技能の力です。」

 

 

と答えました。

 

 

私は、次のように聞きました。

 

 

「あなたは、本当に、生徒と関わり、生徒にあなたの教科を指導するという意味での教師になりたいのですか?」

 

 

その人は、この質問には、答えられませんでした。そのかわり、

 

 

「とりあえず教採に合格して、それから考えます。」

 

 

と言いました。

 

 

私が、

 

 

「なるほど。では、そういうあなたを採用側は教師として採用したいと感じると思いますか?」

 

 

と聞くと、

 

 

その人は、

 

 

「私なら、採用しませんね。」

 

 

と答えました。

 

 

その人は、頭は良く、知識も教養もある人だったので、私が伝えようとしたことが、ここで分かったようです。

 

というより、自分が本当に教師という仕事に就きたいかどうかということを考えるきっかけになったようです。

 

その人は、これまで、人に好かれよう、人に好感を持ってもらおうと考えたことはあまりなかったようです。

 

教師になるなら、教科の勉強をして、成績さえよければ教採にも合格すると思っていたようです。

 

面接も、自分が頭がよく、筆記試験の得点もそれなりなら、当然、合格するものだと思っていたようです。

 

採用側の面接官が、自分の人間的魅力をどう感じるかについては、ほとんど考えていなかったそうです。

 

この人は、ちょっとあくの強い人ではありましたが、決して悪い人ではありませんでした。

 

何時間も話すと、それなりに面白く、また、一生懸命に勉強しているなと思わせる人でした。

 

でも、2次試験の面接では、何回も何回も不合格になったようです。

 

この人が2次試験での不合格の負の連鎖に陥ったのは、個人レッスンで私と話すまで、自分がなぜ面接で不合格になるのかがまったくわかっていなかったというのが最大の理由です。

 

こんなに頑張っているのに、こんなに自分は才能(知識)があるのに、毎年、不合格になるのは、面接官が悪いからだと信じていたようです。

 

 

2次試験の個人面接で、毎年のように不合格になる人は、自分のどこが好感を持ってもらえないのか、共感してもらえないかを分かっていないという共通点があります。

 

確かに、好感を持ってもらえないところ、共感してもらえないところは、時として、自分の性格や人格や外見や話し方といったその人のアイデンティティにつながる部分があります。

 

たとえ、面接指導という場でも、その人の性格や人格や外見や話し方で、その人のアイデンティティに関わるようなところ、その人の意志だけではすぐには変わらないところを指摘するのは、なかなか憚られるものです。

 

指摘する方も、指摘される方も、大きな心理的な負担が伴います。

 

 

でも、教採の面接での不合格の負の連鎖から脱却するためには、こうした指摘と、分析と、劇的な転換・改善への戦略を立案することが重要です。

 

 

ところが、ここで、次の根源的な問いが発生してきます。

 

 

パーソナリティ(人格)は、変えることができるか?

 

 

深い質問です。

 

心理学的に、一般論で答えるのなら、「変えられない」ということになるのかもしれません。

 

 

では、変えられないとしても、教採の10分~30分程度の面接の持続時間の中で、パーソナリティ(人格)を本来の姿とは異なったものに見せられるか?という質問に対しては、これまでの私の経験からは、「見せられる」と答えることができそうです。

 

しかし、そんな手法を用いて、教採の面接を受験するのが、倫理的に正しいことなのかどうかには、疑問が残るかもしれません。

 

 

あらら、話がちょっとディープな方向に行ってしまいましたね。。。

 

 

このブログ記事のこの部分の本来の趣旨は、

 

教採の面接での不合格の負の連鎖から脱却するためには、自分の面接での不合格要因を明確に意識し、分析し、その不合格要因に対して、劇的な転換・改善への戦略を立案することが重要である

 

 

ということです。

 

 

ディープな部分については、日を改めて、書いてみようかと思っています。

 

 

 

 

では、また明日!!

 

 

 

教採塾

河野正夫

 

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