24年前、若く、熱く、燃えていた河野正夫!!(当時の写真もありますよ!!)

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今から24年前の1990年、私は、広島大学大学院を修了しました(博士課程前期)。

そして、私にとっての初めての「社会人」としての職は、アメリカ合衆国アイオワ州での高校教師でした。

アイオワ州スーシティ市の公立高校で、日本語日本文化を教える教師となりました。

24年前の河野正夫!! 若いですねえ!!(微笑)

私の赴任は、地元新聞で大きく報じられました。

私にとっては、社会人1年目の仕事でした。

教育実習やアルバイトを除けば、教壇に立つのは初めてでした。

初めての教壇が、アメリカの公立高校でした。

教師1年目の私でした。

高校では、外国語科に配属され、スペイン語、フランス語、ドイツ語の先生たちといっしょでした。

特別な財源での採用でしたが、スーシティー公立学区は、私を正教諭として扱ってくれて、職員会議や保護者会、生徒の引率、校内委員会など、通常の業務を任せてくれました。

英語には自信がありましたが、教師なら英語はプロフェッショナルレベルに話せて当然!という雰囲気で(微笑)、普通に英語で校務をこなしていました。

時々、「こらっ!俺は外国人だぞ!!英語は母語じゃないぞ!」と感じることもありましたが(笑)、この時の経験があるからこそ、日本語と英語をほぼ完全に同じように使えるようになったのかもしれません。

高校の卒業アルバムにも、しっかり写真を載せてもらっています。

今から振り返ってみると、私は、この時の経験から、教師としての「イロハ」(アメリカだから、ABCかな。。。)を学びました。

発問、指示、説明などの指導言、教師としての立ち居振る舞い、授業中の場面指導的な生徒指導などなど。相手はアメリカ人で、言語は英語でしたが、試行錯誤しながら、ひとつひとつ教師としての技能と作法を学んでいきました。

「三つ子の魂百までも」という諺ではないですが、いまだに、授業をしていてちょっとした指導言は、英語で出てきそうになります(笑)。そのくらい、体の中に染み込んでいます。

日本で学んだ教授法や指導法と、アメリカの高校での慣習との違いに戸惑ったこともあります。

でも、教育とは、人が人を指導すること、人と人が交流すること、人と人が向き合うということというのは、日本でもアメリカでも同じです。

アメリカ人の高校生たちに、

“You are a great teacher.”

と言ってもらった日には、家に帰って、一人で祝杯を挙げたことも良く覚えています(微笑)。

教師になって最初の数年は、本当に試行錯誤ですが、教師人生の中で最も熱く、眩しく、輝く数年でもあります。

確かに、授業もまだまだ未熟です。生徒指導もまだまだです。教師としてのカリスマ性もあまりありません。

でも、教師になって最初の数年は、完全燃焼の毎日です。そして、この数年が、以後の数十年の教師人生の土台となります。

20年、30年と教師を続け、だんだんとベテランになっても、最初の数年を思い出します。

その当時の自分の未熟を恥ずかしく思い出しながらも、その時の情熱と輝きを取り戻したくなります。

私にとっては、そんな情熱と輝きは、アメリカの高校にありました。

今日、その当時のアメリカの高校の卒業アルバムを見返し、情熱と輝きを新たにしました。

そして、その情熱と輝きを消すことなく、燃やし続けたいと想いを新たにしました。

河野正夫は、まだまだ熱く、輝き続けますよ!!

では、また明日!!

広島教採塾
河野正夫

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