師匠の特別の取り計らいで、マジシャンの真ん前(マジシャンから50センチくらいの距離)で、素敵なマジックを堪能しました。
変わるはずのないトランプのカードの色が変わる、数字が変わる。
どこからでも、私が選んだカードが出てくる。
ナットに紐を通して私がきつく結んだはずなのに、ナットが瞬時に外れてしまう。
コインが自由自在に消えたり、現れたりする。
私の心に描いた通りにトランプのカードが変化する。
などなど、たっぷりとイリュージョンを見せていただきました。
手品を見ながら、あらためて感じました。
もちろん、手品には、種も仕掛けもあります。
マジシャンといえども、物理法則を変えることはできません。
しかし、マジシャンは、見る人に、物理法則を超えた幻想を味あわせてくれます。
マジシャンに向かって、
「種も仕掛けもあるから、インチキだ!!詐欺だ!!」
という人はいないでしょう。
観客は、いかに鮮やかにイリュージョンの世界に連れて行ってもらえるかを期待しています。
種も仕掛けもあるけれど、それをまったく感じさせず、観客に夢を与えるのがマジシャンの仕事です。
素晴らしいマジックを堪能した後、私は、教育(授業)のことに関連付けて考えました。
もちろん、教育(授業)はイリュージョンでも幻想でもありませんが、教師は、子どもたちを、その授業のとりこにしなければいけません。
語りを駆使し、板書を駆使し、電子機器を駆使し、あらゆる種と仕掛けを駆使して、子どもたちに、興味と関心と意欲を育む必要があります。
世界史の教師が授業中に語るほど、本当は、十字軍の遠征は面白いものではないかもしれません。
数学の教師が授業中に語るほど、本当は、微分はワクワクするものではないのかもしれません。
物理の教師が授業中に語るほど、本当は、オームの法則に魅力を感じないかもしれません。
でも、教師は、それらを授業中に子どもに教えるときには、それらを、興味深く、ワクワクするように教えます。
それができるのが優れた教師です。
そして、十字軍の遠征を、微分を、オームの法則を、興味深く、ワクワクするように教えるためには、授業用の種も仕掛けも必要です。
種と仕掛けを見つけるために、種と仕掛けを仕込むために、教師は教材研究をし、授業の工夫をします。
十字軍の遠征も、微分も、オームの法則も、教師によって、子どもたちの前で語られ、教えられるときに、教師が仕込んだ種と仕掛けによって、楽しく、面白く、ワクワクしたものになります。
教師が行う授業は、本質的に、「見る、見せる、見られる」を伴います。
マジシャンは、手品をしながら、観客の目の動きをよく見ています。観客の目の動きに対応しながら、種と仕掛けを最大限に活用します。
そして、その結果、観客の想像を超えた不思議を創り出します。
マジシャンは、自分が観客にしっかりと見られていることを充分に分かった上で、それでも、観客の意表を突きます。
授業と手品、まったく違う営みのように見えながら、実は、共通したものも多いということをあらためて実感しました。
1時間余りの素晴らしい、マジックの最後に、マジシャンが次のような趣旨のことを言いました。
「皆さんが、今日、ご覧になったのは、皆さんが見たいと望んだ夢です。
皆さんが見たいと望んだ不思議が起こりました。
夢は、望めば、必ず起こります。
今日の不思議なマジックは、すべて、皆さんの心が望んだ結果なのです。
これからも不思議を望み続けてください。
そうすれば、夢はいつでも、皆さんの目の前に現れます。」
なるほどな、これがエンターテインメントなのだな、と思いました。
そして、それは、エンターテインメントだけではなく、エデュケーションにも通じるのだと思いました。
見る、見せる、見られる、これを、もっともっと極めていかなければいけないと思いました。
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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