ものすごく難しい質問ですよね。
昨日、高校世界史志望の方から、「理想の教師とは?」、「理想の世界史教師とは?」という質問をいただきました。
世界史の教師を例にして、ちょっと考えてみましょう。
「理想の世界史の教師とは?」という質問を考えるためには、まず、「世界史とは何か?」、「なぜ世界史を学ぶのか?」という質問を考えなければなりません。
人は、なぜ世界史を学ぶのでしょうか?
世界史を学ぶ意義とは何なのでしょうか?
世界史の教師は、この質問に雄弁に答える必要があるでしょう。
私は、次のように考えています。
世界史とは、地球というこの惑星に生きてきた人類の歴史であり、
世界史がなければ、地球の歴史は、単なる地学・天文学の歴史となる。
地球という惑星は、約45億年前に誕生しました。
人類が地球に誕生したのは、人類の定義にもよりますが、数百万年前くらいです。
現代人の直接の祖先と呼べる人類が生まれたのは、数万年前くらいと言われています。
人類が歴史を歴史として記録し始めたのが、数千年前です。
地球の歴史の45億年に比べれば、人類の歴史の数万年とか数千年と言うのは、ほんの最近のことです。
よく地球の年齢を1年とすると、人類が誕生したのは12月31日の夜になると言われています。
そんなごくわずかの期間ですが、人類の歴史である世界史は、この惑星の歴史をワクワクするものしてくれます。
世界史がなければ、地球の歴史は、地球という惑星の単なる地学的な歴史です。惑星としての天文学上の歴史です。あるいは、生物学的な歴史です。これらは、すべて科学として、地球という物体、あるいは、生物という生命体の歴史です。
世界史は、当然ながら、人類の営みの歴史です。
人類が誕生し、集団を作り、社会を作り、国家を作り、文明を作り、「地球」という惑星を「世界」という社会に変えていきます。
科学の研究対象であった地球と言う惑星が、世界史という人類の視点で、人類の社会である「世界」という対象で研究ができるようになります。
世界史の存在は、惑星としての地球を、人類の活動の舞台としての世界に変えるということです。
地球は、核やマントルや地殻や海水や空気でできています。
世界は、人類の叡智で発展してきました。
世界は、人類の経験と苦難と成功の結晶とも言えます。
世界史は、そんな人類が歩んできた道を教えてくれます。
人類がいなかったら、地球は、ちょっと寂しい惑星だったかもしれません。
世界史によって、人類は、自分たちがすむ惑星である地球を、「世界」として見ることができます。
英語で言えば、”Earth”ではなく、”World”で見ることができるわけです。
この視点で見ると、大陸も島も海も火山もすべて人類の営みの中で捉えることができます。
ユーラシア大陸の大部分を征服したモンゴル帝国、島国から「日の沈むことのない大帝国」を築き上げたイギリス、地中海を「我らの海」と呼んだローマ帝国、火山によって一夜にして滅んだ都市ポンペイ。
大陸や島や海や火山は、人間の歴史の中で大いに活躍しています。
地球を見たときに、単なる惑星と呼ぶのか、人類の活躍の舞台としての世界と見るのか、それは世界史を学ぶかどうかで決まると言ってもよいでしょう。
理想的な世界史の教師とは、そんなことから考え始めて、この地球を、この大陸を、この海を、この島を、この火山を、人類の営みの中のダイナミックな存在として、語れる人ではないでしょうか。
少なくとも、私は、そんな世界史の教師に、世界史を学びたいと思っています。
皆さんは、理想の教師とはどんな存在だと思いますか??
では、また明日!!
追伸: 今日の記事とともに、過去のブログ記事、「教育は何のためにあるの??」をお読みいただけると幸いです。
広島教採塾
河野正夫
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