「運」と「愛嬌」のある人を採用したいというのは、松下幸之助翁に限らず、普遍的なものではないでしょうか。
教員採用試験に合格するのも、やはり、「運」と「愛嬌」は、必要条件です。
分かりやすいのは、「愛嬌」の方ですね。
「愛嬌」をどのように定義するかにもよりますが、まずは、明るく、元気に、爽やかに、人間的な魅力のある人は、「愛嬌」があると言えるでしょう。
その他、「愛嬌」にもいろいろと種類はあるでしょうが、いずれにしても、明るい人間的な魅力があることが「愛嬌」の根本ですよね。
教採の面接でも、「愛嬌」がなければ、合格は勝ち取れません。
「愛嬌」がないということは、恐らく、「暗い」、「生意気」、「魅力がない」といったことになってしまいます。
難しいのは、「運」の方です。
人によっては、「運」はその人の責に帰するものではないので、「運」の良し悪しで教採の合否が決まったのでは困ると感じるかもしれません。
でも、「運」もその人の才能の一つなのです。
「運」が本当に悪い人は、その人だけではなく、他の人も不幸にします。
誰だって、「運」が本当に悪い人と一緒にはいたくないですよね。
その人と一緒にいるだけで、なぜか、悪いことが起こってしまうということがあれば、その人と一緒にはいたくなくなるでしょう。
「運が悪い」という言葉がイヤなら、次のように表現してみましょう。
「失敗や事故、間違いが、通常よりも、はるかに高い確率で、起こってしまうような人」
どうでしょうか? こんな人と一緒に仕事がしたいでしょうか?
確かに、その人には、責任や落ち度はないかもしれません。でも、通常よりもはるかに高い確率で、失敗や事故が起こってしまう人の側にはいたくないですよね。
では、「運」を良くするには、どうすればよいのでしょうか?
運とは、自分で切り開くものです。
自分の思考を変え、自分の行動を変えれば、「運」は変わっていくことがよく知られています。
「運が悪い」とは、自分の考えを向上させることもなく、行動を変容させることもない人のことを呼ぶと言っても、あながち間違いではないようです。
ですから、「運」とは、単なる偶然とか、神のなせる技ではなく、その人の考えや行動の賜物ということになります。
教採に不合格になったのを「運が悪かった」と考える人には、向上心も行動力もない人です。
教採に「運」で合格しようとする人には、「悪運」が巡ってくるでしょう。
「運」は座して待つものではなく、自ら勝ち取りにいくものです。
私は、「不運」とは、無能無策の人の言い訳だと思っています。
「幸運」とは、有言実行の人の証だとも思っています。
教採も、自分で「運」を開き、自分で「幸運」を勝ち取ってくる人が、合格します。
皆さんの、「運」はいかがでしょうか?
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
コメントはまだありません