人を共感・感動させるとはどういうことか??

今日のお話のテーマは、
「人を共感・感動させるとはどういうことか??」です。

このテーマこそ、コミュニケーションの永遠のテーマと言ってもよいでしょう。

そして、面接試験での達成目標であり、自己アピール、志望動機などの語りの営みの目標でもあります。

人を感動させるとは?

これこそ核心です。

人を感動させるための原則は3つです。

1.感動のコンテンツそのものは聞き手の心の中にある。

2.人は自分の想いを補強してもらいたいと常に願っている。

3.人は新しい視点で自分の想いの正しさを補強して欲しいと常に期待している。 

以上の3つです。

感動とは、驚き・ショックではありません。感動は数値でも事実でもありません。感動は人の心の中に既にあるものを刺激することです。ですから、相手の心にあるコンテンツを上手く刺激できれば、感動を勝ち取れるわけです。

1.感動のコンテンツそのものは聞き手の心の中にある。

このことを念頭に置いておくことは、とても重要なのです。どういうことかと言うと、自分が感動したからと言って、相手が同じように感動するとは限りません。相手の心にありそうな想いのコンテンツを刺激しなければいけません。

一例をあげましょう。特に教採用ではありませんが、このことを考える上で興味深い例です。オリンピックでは当然、金メダルが最高の賞です。金メダルは取れなかったけれども、銀メダル、あるいは、銅メダルを取った日本人選手がいるとします。さあ、このとき、どのような語りが人の心を掴むでしょうか?

最も悪いのは、相手の心にあることとまったく反対のことを言って、相手を不快にさせることです。例えば「だから、日本人選手はダメなんだ。金メダルを取れないようなスポーツ界は無用だ」なんて言ってもダメです。たとえ、それが正論だったとしても、相手は不快になるだけで、共感も好感も得られません。

そうかと言って「銀メダルは2位だし、銅メダルは3位。世界で2位になるとか、3位になるのはそれ自体がすごいこと!」と言っても、あまり聞き手の共感も好感も勝ち取れません。確かに、この語りは相手を不快にすることはありません。相手もきっとそう思っているでしょう。でも、このレベルではダメです。

相手を「なるほど!」と思わせるのなら、「銀メダルも銅メダルも最高。だって、『銀』という字は『金より良い』と書き、『銅という字は『金と同じ』と書くではないですか。金も銀も銅も、それぞれに最高の価値があります」なんて言うと相手は、「いいこと言うねえ!」と反応してくれるでしょう。

これは単なる文字遊び(言葉遊び)ではありません。人の心の中には(この場合は相手の心の中には)、「オリンピックで頑張った選手は素敵だ。たとえ金メダルでなくても、銀・銅メダルを取った選手は素晴らしい。讃えてあげたい。」という気持ちがあります。ですから、この気持ちを刺激してあげなければなりません。

そして、その刺激の仕方を工夫して、銀と銅という字にかこつけて話してみる。もちろん、銀や銅という字に先程のような意味が元々あるわけではありません。ですが、そのような切り口で語ることで、聞き手は自分の考えが文字によって裏付けられたような気持になり、共感してくれるというわけなのです。

金メダルだけでなく、銀メダルも銅メダルも尊いというのは、あなただけの専売特許ではありません。おそらくほとんど全ての人の心の中にあります。この共通の想いを刺激するための方法を考えるのです。それがレトリック論の本質でもあります。

2.人は自分の想いを補強してもらいたいと常に願っている。

このことをしっかりと押さえておく必要があります。確かに人は新しいことを知ろうという欲求もありますが、日常的には、自分が思っている想いを補強して欲しいものです。そして、この想いは本人の想像以上に強い欲求のようです。

皆さんも名言に感動することがあるでしょう。でも、名言はあまり新しい思想を語りません。私たちみんながいつも思っていることを素敵な言葉で表現してくれているだけです。「名言とは、平凡を非凡な言葉で語っているもの」と定義していもよさそうです。

例えば、こんな名言があります。「今日という日は、残りの人生の最初の一日。」私たちがこの言葉を聞いて多かれ少なかれ感動するのは、この言葉が新しい知識や思想を教えてくれるからではありません。今日を大切に、今日に希望をもって未来に進もうという誰でも持っている想いの言い換えに過ぎません。

名言が名言になる理由の一つは、その名言が伝えようとしている内容、コンテンツ、想いが既に聞き手・読み手の心の中にあるということです。そして、聞き手はその想いを補強して欲しいと望んでいます。その望みを叶えてあげるのが名言なのです。名言の力は、実は、聞き手の想いを補強する力なのです。

3.人は新しい視点で自分の想いの正しさを補強して欲しいと常に期待している。

このことが実は再重要です。人は自分の心にある想いを補強して欲しいと願っていますが、ただそれを平凡に繰り返してもらうだけでは満足しません。あまりに平凡な言い方で繰り返すと、かえって説教くさくなり逆効果です。

ショーペンハウエルの言葉に「運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する。」というのがあります。これもなかなかの名言です。でも、これは「いろいろと苦労もあり、逆境もあるけれど、自分で頑張れ!」ということを言っているだけです。後者の言い方だと平凡過ぎて感動しませんし、説教臭いですよね。

人は自分が信じている想いを新たな切り口で、新たな言葉で補強してくれることを望んでいるのです。その切り口を開拓し、新たな言葉を生み出すのが、人を感動させる語りであり、レトリックでもあります。

教採の面接でも同様です。願書に書く自己アピール文や志望動機文なども同じです。面接官が心の中に持っている価値観をうまく刺激してあげることが重要です。そして気の利いた切り口で、センスある言葉で面接官の心の中にある価値観を補強してあげるのです。そうすれば共感・好感・感動を勝ち取れます。

相手を感動させるときに見出さなければな
らない想いとは、自分の想いだけではありません。相手の想いも見出さなければなりません。もちろん、自分の想いは最も重要です。でも、独りよがりの思いでは聞き手の心を掴めません。相手が価値を見出していそうな想いを予想する必要があります。これが聞き手分析です。

そして、言葉を紡ぐときに重要なのは、自分の想いを表現できるという観点だけで考えていてはダメなのです。その言葉が相手の心にある想いを新たな視点で、ちょっと気の利いた形で刺激できるかどうかを吟味しなければいけません。その刺激が感動を生むのです。その刺激が共感・好感を引き起こすのです。

広島教採塾では、まさに、このレトリック論を駆使して、面接の語りをつくり上げていく手法を学びます。常に「想いを見出し、言葉を紡ぐ」ということを追求していきます。

単にカッコいい言葉で面接原稿を書くことを目指しているのではありません。奇抜な表現を学ぼうというのでもありません。平凡で普遍的な価値観を非凡な言葉で表現する、その技法を習得していきます。

人の想いそのものは平凡です。「他者を思いやる」、「未来に希望を持つ」、「決してあきらめない」、「情熱を持ち続ける」、「継続力を持つ」、どれもとても重要ですし、万人が同意しそうですが、思想自体は平凡です。誰でも知っているありきたりの価値観です。これをどのように非凡に表現するかで語りの価値が決まります。

平凡を平凡に語っても人は動きません。凡人のすることです。非凡を非凡に語ると奇抜すぎて理解されず、変人だと思われます。非凡を平凡に語ると倫理的に間違っていると感じられて、悪人だと思われます。平凡を非凡に語るとき、偉人が誕生します。

平凡を非凡に語る、これこそレトリックの真髄です。

「余の辞書に不可能という言葉はない。」、(ナポレオンが言ったらしいもともとの表現は、「不可能、それはフランス語ではない。」だそうです。)さすがは偉人の代表格、ナポレオンです。「あきらめずに頑張ろう!やればできる!」という平凡な価値観を非凡な言葉で表現しました。偉人は、そして、名言は、かくして生まれるのです。

広島教採塾では、この水準で面接を特訓します。この理論を応用して、科学的に理論的に効果的な面接の語りを作り上げる演習を行っていきます。

西欧2500年の歴史を持つレトリック論の応用しながら、「想いを見出し、言葉を紡ぐ」ことを特訓していきます。

平凡を非凡に語る技を身に付けることで教採合格を勝ち取りましょう!!

では、また明日!!

広島教採塾
河野正夫

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