受講生を除籍処分にしたなんて、センセーショナルなことをほんの数行だけ書きました。
こういったことは、当日にブログに書くとどうしても感情的になってしまうので、翌日に回したわけです。
私は、やはり、「善人」に教師になってほしいと思います。
「善人」とは「悪人」でない人、つまり、悪意がない人という意味です。
私たち、人間は完璧な存在ではありません。ミスもするし、誤解もする。でも、私たちは、そういった間違いや手違いを善意で解決していきます。
何か手違いがあったら、そのことを相手に素直に伝え、手違いを改める。自分にミスがあったのであれば、真摯に謝る。たとえ、相手に非があっても相手を攻撃することなく、ミスをリカバリーし、協力体制を強める。
私たちは、こんな営みで、毎日を生きています。
私たちは、こんな営みで、周囲の人と交わっています。
善人は善意で行動します。
相手が忘れていれば思い出させてあげる。相手がミスをすれば指摘してあげる。相手が困っていれば助けてあげる。そんな感じです。
でも、悪人は悪意で行動します。
相手は忘れているだけなのに、自分のことが嫌いだから無視していると邪推する。相手はミスをしただけなのに、自分のことが嫌いだからわざと意地悪をしたと邪推する。相手が困っていても、今がチャンスとばかりに攻撃する。そんな感じです。
善人と悪人は同じ世界を見ています。善人と悪人は同じ人々を見ています。善人と悪人は同じ状況を見ています。
でも、善人と悪人の解釈の仕方は違います。善人と悪人の対処の仕方は異なります。
教師になれるのは、善人だけです。
教師には善意が必要です。
悪意がある人は、教師になれません。
悪意ある悪人は、教師になってはいけません。
昨日、初めて受講生を除籍処分にしたといったのは、悪意がある悪人に受講をご遠慮いただきました。
除籍処分というのは比喩です。そのような処分を出した訳ではありませんし、私が強制的に受講を辞めさせたわけでもありません。
悪意ある人が邪推と誤解を重ねた挙句に退塾すると申し出てきたので、退塾を了承しただけです。
でも、私の心の中では、それは「除籍処分」なのです。ですから、本来の受講キャンセル料(わずかですが)も免除しました。
形式的には自主退塾ですが、私の心の中では「出て行ってくれ」と感じたからです。
受講生のことに関しては、私には守秘義務があるので、詳しいことは申し上げられません。
ただ、昨日、退塾した受講生は、悪意ある悪人であったということは申し上げたいと思います。
他人のミスを自分への攻撃だと邪推する。
通常のプロセスを自分への嫌がらせだと邪推する。
一言かければ済むことを、何もせず、自分は無視されたと邪推する。
それらすべてをやっていて、自分は感情的ではなく、冷静だと宣言する。
驚きました。
こういう人が教師を目指しているとは。。。
私はこんな性格ですから(微笑)、こういう人にははっきりとものを申し上げます。
申し上げるとこういう人は、私の目の前から逃げ出すしかありません。
なんだか後味が悪いのですが、悪人を教師にするお手伝いはしたくないので、この結末もよしとしますね。
単なる自主退塾を、心の中で「除籍処分だ!」と思っている私も悪意ある悪人なのでしょうかね。。。
いやはや、人間の心は奇奇怪怪なものですね!!
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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