誕生日は、お仕事をお休みして、優雅な時間を過ごしています。
今、シェラトンのクラブラウンジでこの記事を書いています。
赤ワインのグラスをお供に、静かな時間を過ごしています。
静かに過ごしているからこそ、教育についての想いを新たにしています。
たとえ、仕事はしていなくても、教育への想いが止まることはないようです(微笑)。
誕生日だからこそ、自分の人生を振り返ってみました。
東京オリンピックが開かれた翌年の今日、5月26日、私は生まれました。それ以来、今日まで、ずっと学び続けてきました。言い方を変えるなら、生まれてから今日まで、ずっと「教育」の恩恵を受けてきました。
最初は、家族からの愛、父母からの愛に満ちた「教育」でした。母に話しかけられ、母の胸で眠る私も、何かを学んでいたはずです。
母語となる日本語。家族からの愛情。安心できる母の胸。泣けば誰かが助けてくれるという人間愛。
言葉も分からない乳児だった私もそんなことを学んでいたはずです。それもまた「教育」に他なりません。難しく言えば、乳児への家庭教育ということになるのでしょう。
そして、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院、アメリカの大学院、たくさん学びました。たくさん教育の恩恵を受けました。
教えるという仕事をしながらも、多くを学んできました。アメリカの高校教師、アメリカの大学教員、日本の高校教師、日本の大学教員、そして、広島教採塾。教えることは学ぶことだという想いを強くしました。
今日、誕生日を迎え、自分の学びを振り返って、自分が恩恵を受けた教育を振り返ってみると、思い出されるのは、すべて、「人」です。「人」、「人」、「人」なのです。
最初は、父母、そして、幼稚園の先生、小中高の先生、大学・大学院の先生。同級生、先輩、後輩、同僚、上司、教え子。私の学びの思い出は、常に「人」と繋がっています。
知識も教養もたくさん得ました。いろんな経験もたくさんしました。でも、どの知識も教養も経験も、あの時、あの人に学んだ。あの時、あの人に教えた。そんな思い出に彩られています。
教育は「人が人を育てること」とも言われます。また、「人は、人によってしか教育されない。」とも言います。
まさに、教育は人です。教育には人が存在します。人がいるから、学びも教育も成立します。人を想うことなしに、教育を想うことはできません。
私がこれまでに学んできたことは、私がこれまでに出逢ってきた人から教わった賜物です。出逢いの数だけ学びがありました。
誕生日の今日、それをあらためて強く感じました。
ただ学んだんじゃない。たくさん出逢ったんだ。
このことを感じて、ちょっと嬉しくなりました。
たぶん、私は学問バカでもなく、勉強の虫でもありませんでした。
私が好きだったのは人でした。
だから、きっと今でも教育に携わる仕事をしているのでしょう。
だから、きっと人と話すのが好きなのでしょう。
私がご支援している受講生の皆さんは、教師になります。
このひとりひとりの教師が、多くの子どもたちと出逢います。
こうやって、人の繋がりの連鎖が起きていく。
それが教育の成果なんだなと思います。
人の繋がりの連鎖が、人々に、そして、私たちの未来に、幸せをもたらしてくれることを信じています。
誕生日の今日、私がほのかに感じているような幸福感を。
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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