ある県の教員採用試験の説明会で、「採用試験の勉強は仕事だと思ってやってください」と言われたそうです。
とても素敵な言葉ですね。
教員採用試験の勉強を単なる受験勉強として、一夜漬のようにやっている人は、本当にかわいそうな人です。いや、本当にかわいそうなのは、そんな勉強で教師になった人に教えてもらう子どもかもしれません。
教職教養は、単なる受験科目ではありません。教師になってからも必要な知識です。
教育法規は当然、知っておかなければいけませんよね。何が体罰に当たるかとか、教育公務員の服務規定とか、児童虐待への対応とか、教員として知っておく必要があることです。教採受験が終われば、忘れてよいものではありません。
教育心理だって、学習の理論、発達の理論など、子どもとかかわる教師として知っておいて当たり前です。心理学の基礎の基礎も知らずに、「子どもの心に寄り添います」なんて言っても空理空論、夢想の世界で遊んでいるようなものです。子どもの心に寄り添いたいのなら、心の学問である教育心理をしっかり学んでおく必要があるでしょう。
学習指導要領も重要答申も教師は当然知っておく必要があります。日本の初等中等教育は、学習指導要領に従って行われます。日々の授業の根幹は、学習指導要領によって規定されています。その規定を知らないでは、そもそも授業を計画することすらできません。答申は、その時々の教育課題への提言です。教師としても当然、理解しておきたいものですよね。
一般教養だってそうです。世の中の知識・教養・常識を知らない教師なんて、学校にはいりません。例えば、「自分は数学教師だから、政治や経済には興味もないし、知識も必要ない。自分は数学だけ教えていればいいのだから、数学以外は知りたくもない」なんて、本当に言ってもいいのですか?あなたはそれを生徒にも言うのですか?「君たちは理系だから、文系科目なんかどうでもいいからね」なんて生徒に伝えるつもりですか?
世の中のことをいろいろと知っていて、折に触れて、いろんな話をしてくれる、そんな先生に、皆さんは憧れませんでしたか? そんな先生が好きではなかったのですか? そうならば、そんな先生になってくださいね。
専門教養は言うまでもありません。自分の専門教科のプロでなければ、既に教師である資格は失っています。
もう何度も何度も、くどいくらいに、あちこちで言っていますが、知識や教養がないのであれば、教師にならないでください。「知識や教養だけでは教師にはなれない」ということを、「知識や教養がなくても教師になれる」というふうに捻じ曲げて、自分の無知無教養を正当化してはいけません。そんな人に教えられる子どもたちが気の毒です。
教採の受験勉強のほとんどは、教師になってからも役に立ちます。役立たせてください。役立つように学んでください。教採に合格する学びが、教採合格後に教壇でも役立つようにしてください。
こういうと、一部の人は、「教採も受験だから、今は、受験勉強して合格だけすればいい。」と言います。私は、こんな人には教師になって欲しくないと心から思っています。
こういう人は、教師になって、子どもたちに、「まずは受験勉強しろ。そして、合格しろ。それが一番だ。」と学校の教壇から伝えるのでしょうか?
こういう人に限って、子どもたちには、「受験勉強ではない主体的な学び、興味関心を持った学びをさせたい」などと言います。つまりは、ダブルスタンダードなのです。自分は、カリカリ受験勉強をして、とりあえず教採に合格しようとするけれども、子どもには受験勉強ではなく、主体的な学びをさせたいと言うのです。「自分のことを棚に上げて」という言葉がありますが、まさにそれを実践しているのです。
私は、教採受験の指導をしています。私の受講生の合格率はかなり驚異的です。私は、多くの方から、教採合格へのプロだと認めていただいています。
でも、私は、決して、受験のためだけの空虚な勉強をさせたことはありません。常に、この勉強が教採合格にどう繋がり、また、教採合格後にどのように生きるかを真剣に考え、一生、何らかの役に立つ、刺激になることを学んでもらっています。
教採受験の指導をはじめて10年になりますが、6年前、7年前の教え子で、現在は、かなりベテランの教師になりつつある元受講生の多くから次のように言ってもらっています。
「河野先生の講座で7年前に教えてもらったことが、今、まさに生きています。」
「先生に学んだことを、毎日、教室で使っています。」
「先生に教えてもらったことを、今度は、生徒たちに伝えています。」
私は、こういう言葉をいただくと、講座をして良かった、この先生たちの合格のお力になれて良かったと心から思います。
「教採受験のためだけと割り切る」なんて、しなくてもいいですよ。そんな「割り切り」がなくても合格する学習法はあります。
「教採受験が終わったらすぐに忘れる」ような勉強の仕方はやめてくださいね。そんな勉強法では、きっと教採にも合格しませんから。
私の受講生は、かなり楽しんで勉強しています。彼ら・彼女らは知っています。自分が現在、学習していることは、教採合格にも直結するけれど、将来、教壇でも役に立つということを。だから、受験勉強が本当の意味での苦痛にはなりません。辛くても、勉強したい!という意欲になります。
もちろん、そのためには、私が、講座の指導者として、いま学習していることはなぜ重要なのかを伝えて、理解してもらうことが必要です。ここを覚えろ、暗記しろではなく、なぜ理解し、頭に定着させておく必要があるのかをしっかりと伝えなければいけません。人は意味のないことをするのは、苦痛に感じます。意味があることは辛くても楽しくできます。
この10年で私には二つの自信が生まれました。
その二つの自信とは、
私の講座の受講生は、ほぼ必ず、教採に合格する。
私の講座の卒業生は、ほぼ必ず、優れた教師になる。
という二つです。
これは私が立派だからではありません。
私の受講生たちが、学ぶとは何か、教師になるとはどういうことか、今の学びを将来どう生かすかを真剣に考えて、学習したからです。
「受験が終わったら忘れても構わないような学びをする」というのは、学ぶということをとことん軽視した考え方です。教師になる人が、こんな考えをしているようでは、子どもたちがかわいそうです。
私は、いつも自分に問い直しています。
私の講座が未来の子どもたちの幸せのためにもなっているか?
私の講座の卒業生は、将来、子どもたちを幸せにできるか?
今のところ、上記の問には、胸を張ってイエスと答えることができそうです。
教採合格のために。
未来のこどもたちのために。
今日も、教採対策講座のレッスン、張り切ってやっていきますね!!
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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