「子どもの心に寄り添う教師になります。」
「子どもの自己肯定感を伸ばしていきたいです。」
「人と繋がることの大切さを伝えていきます。」
「子どもの笑顔で教室を満たします。」
こんなこと言うから、面接で落ちるんですよね。
言っていることは、確かに間違ってはいない。言葉自体の使い方が特に間違っているわけでもありません。でも、こんな言い方では、聞き手(面接官)の心には全く響かないのです。
語りとは、自分の言いたいことを伝えることではありません。自分の言葉によって相手の心を動かして、自分の望む方向に相手を動かすことです。教採の面接で言えば、面接官を共感させて、受験者に有利な高評価(採用したいという評価)をもらうことです。
それなのに、どこかで聞きかじったような無味乾燥で退屈な表現をしても、聞き手の心は動きません。
そもそも「子どもの自己肯定感」って何ですか?もっと分かりやすくて、相手の心を打つような言い方はないのですか?
「人と繋がることの大切さ」を知らない人がいるのですか?誰だって、当然のこととして知っていることではないのですか?何のためにこんなことを言うのですか?
「子どもの笑顔で教室を満たす」ために何をするのですか?冗談でも言うのですか?
「子どもの心に寄り添う」とは具体的には何をすることなのですか?
これらの表現には具体性はありません。これらの表現は、どれもどこかで聞きかじったちょっとした美辞麗句です。そして、こんな表現のみを聞いて感動するような聞き手はいません。
それなのに、面接演習では、こんな表現のヒットパレードです。なぜなのでしょうね。確かに、面接はオフィシャルな場ですが、こんな人の心をまったく動かさないくだらない表現を次から次へと口にする場所ではないのですけれどね。
私は、面接講座の受講生には、いつも次のように言っています。
「友人や恋人や家族に言えないようなことは、面接官にも言うな!!」
例えば、「アルバイト」の話をするとします。
友人や恋人や家族から、「最近、アルバイトの調子はどう?」と聞かれて、
「働くことの大切さと、人と触れ合うことの素晴らしさを学んだよ!」なんて言うのですか? 言うわけないでしょ!!
それよりも、例えば「酔払いの接客って面白いよ。酔払いもね、ちょっとしたコツで接するとすごく喜ぶんだよ。たぶん、俺、いまの店で、酔払いの接客が一番、上手いと思うよ!」なら、普通に話せるでしょう。
面接官が聞きたいのもそういう普通に話せる話です。「働くことの大切さ」とか「人と触れ合うことの素晴らしさ」なんていう表現なんか聞きたくもありません。そんなくだらない表現よりも、「酔払い客のあつかいの極意!」のような話を聞いてみたいのです。
ですから、友人や恋人や家族と話すときの語りと、面接官と話すときの語りとは基本的は同じです。ただ文体が違うだけです。面接での語りの方が、よりオフィシャルな話し方で、より丁寧でフォーマルな話し方になるだけです。
このフォーマルな話し方というのを多くの人が、はき違えます。フォーマルな話をしようとすると、いきなり、「~の大切さ」とか「~の素晴らしさ」なんて意味のない言葉が次々と出てくるのです。
そして、こんな人が面接で不合格になるのです。
友人に興味を持たせ、家族を笑わせるような語りが、実は面接でも合格につながります。
語りとは、聞き手の心を動かして、話し手の望む方向に聞き手を動かすことという大原則を忘れてしまったら、もうその語りには何の力もありません。
いつまでたっても、面接で、「子どもの心に寄り添って」とか「子どもの笑顔を大切にして」などと言っている人には、面接で合格する可能性なんてありません。
面接で語るのはあなたの本当の想いです。本当の想いとは、面接官だけではなく、友人にも恋人にも家族にも堂々と話せる想いのはずです。その本当の想いを相手に伝わる言葉にしていくのが面接の語りの演習です。
教師志望者の皆さん、想いを忘れた教師にならないでくださいね。語りを忘れた教師にならないでくださいね。
教採の面接が終わっても、本当の想いを持ち、それを伝わる言葉にして語ることが重要なのは、決して変わりません。
子どもたちを育てるのは、皆さんの想いと語りなのですからね!!
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
コメントはまだありません