フレーズに騙されるな!本質を見抜け!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教育論
【教員採用試験のバイブル】
先日、教採塾の講座をしていて、「わかる授業」について、受講生とディスカッションをする機会がありました。
そのディスカッションの一部で、私が話したのが、意味のない「Why?」を聞くよりは、意味のある「What?」の方が、はるかに効果的だという話をしました。
つまり、教師が児童生徒にする発問は、「Whatより、Whyの方が良い」というのは、極端なフレーズであって、このフレーズにとらわれてはいけないということを力説しました。
一般には、大学等では、発問は、「Whatより、Whyの方が良い」ということが教えられているようです。
しかし、これは、「What」の意味をとても狭くとらえ、いわゆる一問一答の答のように「What」を捉えるから、「What」ではいけないということになるのです。
日本人は、受験勉強で、丸暗記、しかも、一問一答的なものに慣れすぎているので、それに対する警鐘としては、「What」ではいけないというのはわからないではありません。
例えば、
フランスの首都はどこか?
答はパリ。
3+7は、いくつか?
答えは、10
というのは、典型的な一問一答としての「What」でしょう。
授業での主要な発問がこういう一問一答的な「What」ではいけないというのは理解できます。
しかし、次のような「What」はどうでしょうか?
フランスの都市で一番行ってみたいところはどこですか?
一人で無人島に1週間滞在するとして、3つだけ持っていけるものがあるとします。何を持って行きますか?(食料・水・寝る場所はあるものとします。)
あなたが日本の総理大臣だったら、オリンピック・パラリンピックを成功させるために、どうしても取り組みたいことは何ですか?
◯+△=10、このとき、◯と△に入る数字は何でしょうか?
これは、表面上は「What」の質問ですが、実質的には、「What」の背後に「Why」も存在しています。
しかし、「Whatより、Whyの方が良い」というフレーズを大学などで教えられると、若い先生たちは、皆、「なぜ〜〜だと思いますか」とか「なぜ〜〜したのでしょう?」という風に、発問に「なぜ」を入れなければいけないと、ナイーブに考えてしまいます。
つまりは、「Whatより、Whyの方が良い」というフレーズを教えられたので、「What」ではいけない、何が何でも、「Why」にしなければいけないと思ってしまうのです。
教え込まれた特定のフレーズで、思考が硬直化してしまう典型例です。
もちろん、「Why」(なぜ)という聞き方が適切な時は、「Why」(なぜ)で構いません。
でも、「What」が適切な時は、「What」でいいのです。
「What」が思考させる要素を内在し、実質的に「Why」をカバーしていれば何の問題もありません。
でも、やはり、特定のフレーズ、例えば、「Whatより、Whyの方が良い」というのを教え込まれると、「What」はいけない!と思い込んでしまうのですよね。
大学の先生方、こういう副作用があることを考えながら、フレーズをご指導くださいね!!(微笑)
では、また明日!!
河野正夫