教育とは何か?この答にはちょっと寂しいアイロニーがあるかもしれませんね!

教育論

【河野正夫の熱い想い】

 

私(河野)は、教育を一言で定義しろと言われたら、

 

子供を大人にすること

 

と答えます。

 

もちろん、大人への教育、生涯学習もありますが、ここでは、いわゆる子供への教育(主に学校教育)という視点で考えますね。

 

教育基本法第1条には、教育の目的として、「人格の完成」と「社会の形成者(国民)の育成」の2つがあげられています。

 

これも、子供を大人にすることと読み取ることができますね。

「人格の完成」がなされることも「社会の形成者」になっていくことも、子供が大人になる重要なプロセスですよね。

 

大人とは、人格が完成され(完成に近づき)、社会の形成者として、地域社会や国になんらかの貢献をしている人と考えることができるでしょう。

 

もし、子供を大人にするのが、教育の仕事なら、教師の職責には、ちょっとしたアイロニーが存在するのかもしれませんね。

 

教師になる人のほとんどは、「子供が好き」な人たちです。

でも、教師の仕事は、「子供を大人にすること」、言い換えるならば、「子供を子供でなくすこと」です。

大好きな「子供」を、「子供」でなくすことが、教師の仕事なんですよね。

 

例えば、小学校の教師の仕事は、あえて言えば、「小学生を小学生でなくすこと」ですよね。

小学生をずっと小学生のままでいさせたら、それは、小学校教師の怠慢ですよね。

小学校教師の仕事は、小学生に成長してもらって、小学校をはばたき、中学生になってもらうことです。

 

確かに、小学生は、純粋で、純真で、ちょっと幼いところもあり、可愛いですよね。

小学校の先生は、そういう小学生が大好きなことでしょう。

「目の中に入れても痛くない」という気持ちでしょう。

 

でも、小学校の先生は、小学生をずっと、小学生のまま、幼いままにしておくことはできません。

小学校の先生の最大の仕事は、小学生に成長して、大人に近づいてもらって、小学生を卒業して、中学生になってもらうことです。

大好きな小学生を小学生でなくすのが仕事というのは、ちょっとアイロニーですよね。

 

教育とは、こういうものなのかもしれません。

小学校でも、中学校でも、高等学校でも、それぞれ、小学生を小学生でなくする、中学生を中学生でなくする、高校生を高校生でなくするのが、それぞれの学校の教師の仕事なんですよね。

 

だから、大村はま先生も、名著『教えるということ』の中で、お書きになっていらっしゃいますが、子供が好きというだけでは、教師になれないのです。

 

子供が好きなのはいいけれど、その子供らしい子供を、大人らしい大人に成長させるのが、教師の職責なのですから。

 

私(河野)のように、教員採用試験対策講座を主催していると、これに似たことが起こります。

私は、教師を目指して、情熱を持って、奮闘している、受講生の皆さんが大好きです。

受講生さんの情熱と理想と志に触れて、私も、日々、学ぶことが多く、そういった受講生の皆さんをご指導しながら、共に学べることをいつも嬉しく、幸せに感じています。

 

でも、私の職責は、受講生さんを受講生さんでなくすことです。つまり、教採に合格して、教採塾から羽ばたいていっていただくことです。

私のような仕事では、受講生さんのリピーターというのは、あまり良いことではありませんものね!(微笑)

 

これまでにも、ずっと受講生でいてくれればいいのに!(笑)と思った受講生さんがたくさんいました。

伝説の受講生と私が勝手に呼んでいる人たちは、みんなそうでした。

でも、私の仕事は、すぐにでも教採に合格してもらって、講座を羽ばたいていってもらうことです。

 

教育には、常に、別れが付き物です。

別れというのは、物理的に、子供たちが、その学校を卒業して去っていくということだけではありません。

教師が大好きだった子供が大人になって、子供でなくなっていくという別れもあります。

幼くて、可愛くて、無邪気で、純真だった子供も、大人っぽく成長していきます。

 

私(河野)の場合でも、教採に合格しようと奮闘していたちょっと勉強不足の若者が(微笑)、教採に合格して、教壇に立って、「先生」と呼ばれ、素晴らしい教育実践を展開していきます。

私が記憶している「ちょっと勉強不足の若者」は、もうそこにはいません。

子供や保護者、同僚から、慕われ、尊敬される素敵な「先生」がそこにはいます。

 

もちろん、大人になった後の児童生徒と交流するのも楽しいでしょう。

私も、教採に合格して、教師になられた後の、元受講生と交流するのは楽しいです。

 

でも、教師としての思い出に残っている「教え子」の姿は、なくなっています。

もちろん、ある意味では、なくなっていなければいけませんよね。

ぐっと成長して、大人に、立派に、素敵に変わっていてほしいですからね。

 

こんなことを繰り返すのが、教師の仕事ですよね。

 

ふと、今から、1400年近く前の唐代の詩人、劉希夷の詩の一節を思い出しました。

 

年年歳歳花相似

歳歳年年人不同

 

年年歳歳花相似たり

歳歳年年人同じからず

 

(画像は劉希夷です。)

 

なんだか、感傷的な金曜日でした!(笑)

 

 

では、また明日!!

 

 

教採塾

河野正夫

 

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