教育を通して社会を変えます!教採塾の熱い願いです!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教採塾の新企画, 教育論
【教員採用試験のバイブル】
時代は流れていきます。
特に、情報化社会・ICT社会の現在は、ものすごい勢いで、物事が変わっていきます。
私(河野)が大学生の頃、携帯電話もスマートフォンもありませんでした。
もちろん、LINEもメールもありませんでした。
どうやって、友人たちと連絡を取り合っていたのか、いまでは、もう思い出すことができません(笑)。
携帯もメールもLINEもなく、どうやって友人たちと連絡を取り合っていたのか、自分でも、いまやミステリーです。
インターネットの発達で、物事を調べるというのも、瞬時に手のひらの上でできるようになりました。
物事を調べるのに図書館に行くという習慣は、日常生活では、あまりなくなりました。
教育の世界も、情報化・ICT化の波が、押し寄せている【はず】です。
あえて、「【はず】です」と書きました。
今の日本の学校教育を見ている限り、情報化・ICT化が高度に進んでいるとは言えません。
経済的・予算的な理由もあるでしょうが、情報化・ICT化を妨げている最大の要因は、文化的なものだと、私は考えています。
文化的なものというのは、学校教育に関わる多くの人のメンタリティということです。
日本の学校では、今でも、紙に書いた文書・書類が重んじられます。
いまや、保護者を含めて、ほとんどすべての学校関係者がデジタル端末を保有しているにも関わらず、連絡は、基本的には紙です。
学級通信も、保護者への連絡も、職員会議の資料も、すべて、紙・紙・紙です。
世の中に、これだけ、ICT文化があふれていても、学校教育の中だけは、昭和40年か50年くらいで、時間が止まっています。
パソコンもプリンターもあり、PDF化も瞬時にできるのに、いまだに、手書きの文書が重んじられる傾向もあります。(特に、履歴書など。)
教育者の中には、Kindleなどの電子ブックではダメで、紙とインクの本でなければダメだと豪語する人もいます。
LINEでのやりとりや通話では、友情は育たず、直接会わなければ、人間関係は築けないと説教する昭和の大人もいます。
ひどい人になると、ICT機器やインターネットを使わないことが、文化・伝統を守ることだと考えています。
世の中は、どんどん、進んでいます。
アマゾンや楽天で買い物をし、スマホ経由でホテルや飛行機を予約し、電子マネーで買い物をし、ネットバンキングでお金を管理する時代です。
でも、学校教育の世界だけは、昭和のシステムで動いています。
学校教育だけではないかもしれません。
およそ、教育の世界は、昭和のシステムで動いています。
簡単なアナロジーをしてみましょう。
大好きなミュージシャンのコンサートがあるとします。
まずは、私たちは、インターネットでコンサートの情報を調べます。
きっとそのミュージシャンのサイトには、詳しいコンサート情報が載っているでしょう。
コンサート情報を読んだら、次は、チケットを入手します。
ほとんどの場合、チケットぴあのようなインターネット上のサイトでチケットを購入するでしょう。
購入したチケットは、コンビニで発券してもらうことになるでしょう。
すべては、ネット上での手続きです。
支払いも、銀行振込か、クレジットカードの決済でしょう。
コンサートの紙媒体のパンフレットをミュージシャンの所属会社に請求する人はいないでしょう。
そもそも、そういったコンサートの紙媒体のパンフレットなど存在しないでしょう。
チケットも、いまや、チケット売り場で買うという人はいないでしょう。
そもそも、ミュージシャンのコンサートのチケットのチケット売り場という存在自体が希少なものになっているでしょう。
でも、学校教育は違います。
いわゆる学校教育でなくても、教育の世界は違います。
まずは、「資料請求」から始めます。
紙媒体の資料があることが前提となっています。
多くの場合、分厚い紙媒体の資料があります。
資料を請求し、資料を郵便で受け取り、その資料を読みます。
全ての情報は、当然ながら、その学校(教育機関)のホームページに掲載されています。
多くの場合、その資料自体のPDF版すら、ホームページからダウンロードできるでしょう。
資料を読んだら、今度は、電話で話を聞こうとします。
電話で何を聞くのでしょうか。
資料(パンフレット)を読んだだけではわからないような資料なら、そもそも、そのような資料を作る必要すらありません。
ただ、誰かと話してみたいという昭和の習慣です。
アマゾンで買い物をするとき、チケットぴあでチケットを買うとき、誰かと電話で話す必要はまったくありません。
おそらく、教育の世界でも、誰だかわかりもしない人と、電話で話す意味など全くありません。
高校や大学なら、いざしらず、教育機関の最大のサービスは、教育そのものです。
「体験入学」の意味は、まったくありません。
コンサートのチケットを買うかどうか決めるのに、ミュージシャンに体験視聴を求めることはできません。
アマゾンで買い物をするのに、アマゾンの物流センターを見学することはできません。
でも、教育に関わる場所では、次のようなプロセスを取ることが多いようです。
資料請求をする。
電話で話す。
体験入学(見学)をする。
申し込む。
ネット経由なら、瞬時できることを、何日も何週間もかけます。
21世紀のこの時代に、本当に愚かなことです。
そもそも、紙媒体の資料など、資源の無駄です。
紙媒体の資料より、はるかに詳しいホームページ(サイト)を作っている企業がほとんどですから。
詳しいホームページもないような企業なら、そもそも相手にする必要がありません。
対面での説明を重視する企業は、おそらく、対面によるプレッシャーで契約させようと狙っているのでしょう。
また、体験入学や見学という制度も個人情報保護の観点から問題があります。
まだ、入学するかどうかも決めていない人が、既に在籍している生徒が学んでいるところを見るというのは、プライバシー保護の観点からふさわしいことではありません。
「授業の雰囲気を知りたい」という声がありますが、授業の雰囲気が講師の教え方というのであればともかく、授業に参加している生徒の雰囲気まで見て、入学するかどうかを決めるというのであれば、既に在籍して、そこにいる生徒たちが、外部の人に勝手に評価されていることになります。
もし、このような方法で、その授業に申し込むかどうかを決めるというのであれば、公平を期すために、既に在籍している生徒にも、「先程、見学した人を入学させてもいいかどうか」の投票をする権利を与えるべきですよね。
はい。難しいことを言っています。
難しいことは言いたくありません。
だから、資料請求も、電話での説明も、体験入学(見学)も不要なのです。
アマゾンで買い物をするように、チケットぴあでチケットを買うように、旅行サイトで外国旅行に申し込むように、ネット上の情報を精査して、いろいろ口コミ等を調べて、それで満足すれば申し込めばよいし、満足しなければ申し込まなければいいだけなのです。
昭和のやり方を踏襲することに満足するという習慣を、私(河野)は、徹底的に嫌ってきましたし、これからも嫌います。
ですから、教採塾は、紙媒体の講座資料は廃止しました。
すべての情報は、ホームページやブログ記事、ツイッターやフェイスブック、LINE@にあります。
それらを見ていただいて、受講するに値する講座かどうかをしっかりと判断していただければと思っています。
教採塾には、体験入学(見学)の制度はありません。
既に在籍している(早めに申し込んでいる)受講生の個人情報とプライバシーを守るためです。
教採塾は、主任講師の河野が、直接、受講希望者にお会いして、説明する制度はありません。
教採塾にとって、河野正夫は教採塾の看板講師であり、ポール・マッカートニーのようなアーティストだと考えています。
従って、河野に会って話をするためには、河野のスーパーセッション(個人指導)を受講するか、単発講座等の講座を受講するしかありません。
河野が無料で、受講希望者に会って、話をすることはありません。
こう言うと、「なんて生意気なんだ!」と感じる人もいることでしょう。
「生意気だ!」と感じるのは、教採塾を教育機関だと考えているからです。
ポール・マッカートニーのコンサートのチケットを買うかどうか迷っているときに、ポールに連絡して、ポールと話してから、チケットを買うかどうかを決めるという人はいないでしょうし、そんなことができるはずもありません。
日本では、教育機関だけが、他の機関とは異なった扱いを受けているようです。
私は、これもすべて、日本の小学校・中学校・高等学校等が、保護者と児童生徒を甘やかしすぎているからだと考えています。
なにもかも面倒を見て、不当な要求も受け入れすぎているからだと、私は感じています。
実は、いま、講座のあり方も悩んでいます。
日本の予備校は、どこに行っても同じです。
公務員試験の対策講座であれ、教員採用試験対策講座であれ、どこでも同じようなものです。
「講座資料」があり、それを読み解きながら、講師がレクチャーをするという、昭和の頃から、何も変わっていない、旧態依然とした講座です。
資料があり、それを講師が解説する
何十年も変わらない講座のあり方です。
そして、誰もが、「これでは退屈だ」、「これだけで合格できるわけではない」と感じています。
でも、それが予備校、それが講座だと我慢して、高い受講料を払って、講座に参加しています。
いまや、YouTubeやその他のネット動画等が氾濫し、何が人の興味関心を惹きつけ、何が多くの人の心を動かすのかについて、多くの人はわかっています。
でも、教育のあり方だけは変わりません。
変えようよしないし、変える能力を持っている人も組織も少ないのが現状なのではないでしょうか。
教採塾は、ここにも挑戦してきましたし、これからも大いに挑戦していきます。
ただ単に、講座資料を配布して、講師がそれを解説していくなんて講座では、本当の意味での学びは成立しませんし、そもそも、教採合格なんて勝ち取れるはずがありません。
はっきり言って、世の中の予備校や講座のほとんどすべては、ただ単に、受講生を集めて、受講料を徴収して、アリバイ作りみたいな講座をやっている、マネーメーキングのためだけの制度です。
金儲けが前提にあり、そのために、受講生を集めて、退職校長でも雇って、講義をさせて、講座としての形を整えるというだけの予備校で満ち溢れています。
教採塾は、そんな予備校でありたくない!
教採塾は、そんな予備校には絶対にならない!
教採塾は、教育を通して、社会を変える!
私(河野)は、このことを強く強く、心の中に持っていました。
でも、まだまだ、私(河野)の努力では不足です。
教採塾も時に、普通の予備校のような雰囲気になってしまうことがあります。
講座資料を配布して、それを講師が解説するという雰囲気になってしまうこともありました。
できるだけ、そうはならないような講義にしてはいましたが、やはり、昭和の形になってしまいがちでした。
そういう雰囲気になってしまうこともあるからこそ、教採塾もまた、昭和の形の教育機関だと思われ、資料請求、電話での相談、体験入学の希望などが寄せられます。
アマゾンや楽天に商品カタログを請求する人はいないでしょう。
アマゾンや楽天に、物流センターで直接、商品に触りたいと連絡をする人はいないでしょう。
それは、アマゾンや楽天が新しい流通形態であり、ICTを通じた新しいションピングの形だと、すべての人が認知しているからです。
恥ずかしいことに、教採塾は、まだまだ、昭和の形をした「塾」だと思っている人が多いようです。
すべては、認知度の低さ、私(河野)の努力不足のなせるわざでしょう。
本当に反省すべきことだと、恥ずかしく感じています。
反省はしながらも、私(河野)は、宣言します。
教採塾は、21世紀型の新しい教育・学習を提供します。
教採塾は、旧態依然とした昭和の教育を変革します。
教採塾は、教育を通して、社会を変えます。
2018年11月からの教採塾は、受講生の教採合格を100%確実にしながら、新しい教育や学習の息吹を感じられるような楽しい講座を提供していきます。
楽しく、ためになり、教採合格に直結する、21世紀型の講座を展開していきます。
教採塾は、進化し続けます!!
負けるもんか!!(微笑)
では、また明日!!
河野正夫