教師が子供を救うとは??川上が教育論を語ります!!
- By: Kyousaijuku
- カテゴリー: 教育論
教採塾の川上です。
多くの学校で夏休みが明け、再び慌ただしい日々が始まっていらっしゃる方も多いようですね!
子供たちとまた関わる中で、気持ちを新たにして教壇に向かわれていることだと思います。
ただ、4月から積み上げてきた学級規律といったものも、特に小学校では、また一から立て直さなければならなかったりもしますよね(笑)
併せて、子供たちの中には、再び学校が始まるということで、気持ちが沈んでいる子が、中にはいるのも事実です。
4月から7月にかけて、遅刻数が減り、登校日数も増えてきた矢先の夏休み、ということで、また9月からは元に戻ることもあったりします。
文科省も述べているように、不登校は問題行動ではありません。
いじめと同じように、誰にでも、どの学校でも起こりうるものだと考えています。
ただ、自分のクラスの子が不登校になれば、担任を受け持つ我が身としては、不安も多く、悩みも増えることだと思います。
しかし、一番不安や悩みを抱えているのは、不登校児童・生徒の、当の本人です。
教採塾の受講生の1人から、「救いたいけど、でもどうやって、その子供と関わっていけばいいのか分からない。」という相談を受けました。
もちろん、まずは、その子供との信頼関係が構築できていなければいけません。
ただ、まだ信頼関係が構築できていない場合は、そこからスタートですよね。
担任を持っていた私が信頼関係を構築する上で意識していたのは、以下の3つです。
①寄辺となるものを見つける。
歴史の授業が好き、給食が楽しみ、休憩時間に遊ぶことが楽しみ、図書館で読書することが好き、好きな子がいる、先生と話したいなど、何か1つでも、その子にとって、寄辺となるものがあれば、とりあえずは、学校に行きたいと思います。
まずは、1人1人の寄辺を見つけることです。
私はHSP値(鈍感な世界に生きる敏感な人たち イルセ・サンによる本)が高いらしいので、子供たちの表情・声のトーン・しぐさ一つで、考えていることや気持ちが手に取るように分かります。
マン・オブ・スティールのクラーク・ケントみたく、透視することまではできませんが(笑)、隅々の状況が耳や眼、感触から伝わってきます。
後ろにいて、状態が見えていなくても敏感に察知することができます。
これと同じような人は、この時点で、子供たちを把握し、観察することができますので、寄辺となるものをすぐに見つけることができますが、そうでない方は、後述する③の接し方で、距離を縮めていき、信頼関係を構築すれば大丈夫です!
②特別視しない。
不登校児童・生徒にとっては、余計に嫌がるものです。
例えば、休憩時間(広島では、大休憩と言う。)にみんなが外に行っている時に登校してきたら、「おはよう。次の授業は、理科だから、理科室に移動するよ。」程度でいいのです。
「よく来れたね(来たね)!」などと言うから、周りの目も気になるし、来たことが、さも「偉い!」という感じを与えてしまいます。
そのような、教師本位の言葉なんて、一切要りません。
③近寄ってこない・話しかけて来ない子供と距離を詰める。
1日の中で自分に近寄ってこない子供、「今日は会話をしていなかったな。」、と思う子供に、次の日にこちらから会話を仕掛けてみるのも、また1つ、効果があります。
(言い方は悪いですが、信頼関係が構築できている子供は、放っておいても、自ずと教師に近づいて来て話しかけてきますので。)
近寄ってこない子の好きなこと(サッカーが好きならサッカー、絵が好きなら絵を描くなど)を一緒にする。
最初は教師とその子供でやっていても、他の子供たちは教師のやってることを真似ますし、気を引こうと参加してきますので、その輪が出来上がれば、あとは、教師はそっと消えてしまいます。
すると、気が付けば、当の本人が輪の中心になっています。
教師は、当の本人と、他の子供たちをつなぎ合わせる、言わばファシリテーターのような存在として、介在すればいいだけなのです。
また、あるときは、
校門や、靴箱まで見送った後、しばらく距離が遠のいてから、その子に、「忘れていることがあるよ!」と言って、呼び戻します。
きょとん?としている中で、「はい、さようなら!(笑)」とだけ述べると、その子は、「してやられた!!!(笑)」という顔で、笑って帰っていきました。
別の日に、その子から、「先生、ちょっと来て!」と言われ行ってみると、「挨拶がまだでした!おはようございます!」とだけ言って、満面の笑みで遊びに出かけました。
いわゆる、仕返しってやつです(笑)
でも、こういうことを繰り返すだけで、子供は教師に心を開いてくれます。
前回のブログで記載したように、面接での語りで多くの受講生も言っているような、「子供をよく見る。」、「沢山声をかける。」というようなことは、現場では、実は、さほど必要なかったりもします。
別の手立てとして:
これは、間接的な手段ですが、
家庭訪問は割と早い段階でありますので、早いうちから保護者の口調・親が我が子を見る態度を観察するのも効果的です。
ネグレクト系もいれば、過保護系もいます。
あるいは、子供の自立や学校の教育に任せて、のびのびと育てていらっしゃる方もいます。
その保護者の育て方がどうこう、ということではありません。
その子・その保護者にあったアプローチを分析することができる、ということです。
(もちろん、千差万別ですので、アプローチの仕方は、同じ系統でも全く異なりますが。)
さて、最後に。
不登校傾向の子が、今は中学に上がり、生徒会のメンバーとして、学校運営の一部を担っているというのを聞き、教師冥利に尽きるといいますか、信頼関係の構築の仕方は、間違ってはいなかったと感じました。
もちろん、そうは言っても、私はたかだか1年担任を持っただけですし、保護者のお力があってこそです。
しかし、何よりも一番は、当の本人の変化・成長が大きかったからです。
本人以外の外野は、ファシリテーターとして、接するだけです。
「あれをしろ。これをしろ。これはやめておけ。」というような決めつけは、言う必要はありません。
教採塾の講座では、「インフレ用語・ストックフレーズを使うな!!」と日々口辛く言っておりますし、私は、中身のない言葉は大嫌いなのですが、あえて使うのであれば、子供に「寄り添う」だけでいいのです。
「寄り添う」というのは、必ずしも、「いつも近くにいること。」、ではないと思います。
子供にとって、教師が寄辺となっているのであれば、それが既に寄り添っていることになると思います。
常に声を掛ける、様子をじっと観察、というようなこともしなくていいのです。
「必要な時に、傍にいてくれる存在」として、接していけば、子供の安心感は、それだけで満たされます。
子供との距離感、不登校児童・生徒への接し方にまだ不安がある方は、子供の寄辺になるべく、上記の方法でアンテナを張ったり、それ以外の、自信がある接し方でいろいろと変えてみて、挑戦して(試して)みて、子供と関わっていってくださいね!
では、また7の付く日に。
川上貴裕